何を見ても何かを思い出す

He who laughs last laughs best

一億総茹でガエル

2021-10-26 19:48:03 | 
この時期おあつらえ向きな本を読んだ。

「総理にされた男」(中山七里)

文庫本の裏のあらすじ紹介より
『しばらく総理の替え玉をやってくれ」――総理そっくりの容姿に目をつけられ、俺は官房長官に引っさらわれた。意識不明の総理の代理だというが、政治知識なんて俺はかけらも持ってない。突如総理にされた売れない役者・加納へ次々に課される、野党や官僚との対決に、海外で起こる史上最悪の事件!? 怒濤の展開で政治経済外交に至る日本の論点が一挙にわかる、痛快エンタメ小説!解説:池上 彰』


政治経済にまったく関心のない売れない俳優だからこそ、官邸で党本部で繰り広げられる国民そっちのけの権謀術数の数々への嫌悪や疑問を率直に口にすることができる。(それが国民にウケ、結果的にしょーもない与党の人気が上がるのだから、阿保らしいことこの上ないが・・・)海千山千の党幹部や閣僚や官僚に、そっくりさん総理が思わず糺す質問は、日頃読者も感じていることなので読んでいて痛快ではある。
それにしても政治ど素人の人間に総理の代役が務まるのだろうか?そんな素朴な疑問への答えも、本書には、ある。

『国民を騙すってことですよ』
『毎日のようにあの芸をしているんでしょう。観客が多少増えるだけの話です』
 
考えてみれば、代役総理でなくとも、上から下まですべからく政治家というものは、国民を騙すのが仕事なのだろう。ずっと三文芝居政治編ばかり見せつけられているので、騙すなら、いっそ見事に騙しきって欲しい、とすら思ってしまうほど酷い昨今だが、選挙も近いので あまりきな臭いことは書かず、本書で思い出した本など諸々を記しておきたい。
 
「総理の夫」(原田マハ)
 
日本初の女性総理誕生の経緯を、主にその夫の視点で描いた本書。
本書は折も折というタイミングで映画も公開されたが、現実は半周×9くらいの感じで遅れているので、女性総理は期待するが期待するような女性総理は誕生しそうにないので期待していなかったコップの中の騒動。
ちょうどその頃、塾帰りの小学校高学年とみられる男子とその父親の会話を、帰宅途中の電車で耳にした。
 
テストのデキだか志望校についてだか、息子の言った言葉に父親が、「男に二言はないな」と念を押した。
すると息子は、「ジェンダーの時代に、その言葉はよくない」と言い返した。
言葉につまりつつ父親は、「日本の元首は天皇で男と決まっているから、日本男児に二言はないんだ」と諭したのだが、息子の反論が振るっていて、車中で聞くともなしに聞いていた人たちは、思わず微笑み頷いた。
 
「日本は古代には女帝がいたのに、その考えの方はおかしい。
 僕は女性天皇がいる国になって欲しいし、
 武士でも男でも女でも言ったことは守るべきだし、間違ってることに気づけば変えるべきだ」
 
それで思い出したのが、「総理の夫」にあった、初の女性総理の夫の言葉だ。
 
『僕は、女性が総理になったとは思わないよ』
『君が総理になった。これは必然だ。しかし、君は男性ではなかった。これは偶然だ。そうだろう?』
 
12月1日 ただお一人の皇女が成人をお迎えになる。
 
「敬宮愛子さまが天皇陛下になられた。これは必然だ。
しかし愛子さまは男性ではなかった。これは偶然だ。」
 
そう言えるような時代になって欲しいと願う、衆議院選挙の秋である。       

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穂高の光

2021-10-20 09:51:25 | 

ワンコが天上界の住犬になって5年と9カ月
今月はたくさん本をお告げしてくれて、ありがとう
真夏のような暑さから一転、ストーブが必要な寒さになったせいもあるし、
二回目のワクチンが思いの外しんどくて倦怠感が続いていたということもあるし、
まぁ色々あって体調が優れない日々だったのだけど、
ワンコのお告げ本がたくさんだったおかげで、
あまりゴチャゴチャ考えずに過ごすことができたよ
ありがとうね ワンコ

で、お告げ本の報告なのだけど、今月は何も考えずに純粋に単純に読書を楽しませてもらったので、
どう報告しようか迷ったのだけど、
『お前にとって一番美しいものって何だ』という問いかけが印象に残った一冊をまず報告するとするよ

「ノースライト」(横山秀夫)

本の帯より
『一級建築士の青瀬は信濃追分へ車を走らせていた。望まれて設計した新築の家。施主の一家も、新し自宅を前に、あんなに喜んでいたのに・・・・Y邸は無人だった。そこに越してきたはずの家族の姿はなく、電話機以外に家具もない。ただ一つ、浅間山を望むように置かれた「タウトの椅子」を除けば・・・・。このY邸でいったい何が起きたのか?』

警察ものが多い横山氏だが、本書の謎を解くのは、一級建築士の青瀬。
建築ラッシュに沸いたバブルの後、その反動で家族も仕事も失った主人公・青瀬を立ち直らせたのは、「あなた自身が住みたい家を建てて下さい」という言葉だった。
ミステリーとしては、なぜ新築の家から施主家族は消えたのか?、施主はなぜ自分が望む家ではなく建築家自身が住みたい家を建てるよう依頼したのか?という謎があるのだが、本書を読む間私が一貫して気になっていたのは、タイトルでもある「ノースライト」という言葉。

浅間山を背にした土地に建てられたのは、南からも東からも十分に光を取ることも出来るにもかかわらず、敢えてそれを補助光にし、北からの「ノースライト」を採光の主役に抜擢した木の家、Y邸。

’’ノースライト’’
ほのかな採光の風合いが素晴らしいフェルメールの絵のほとんどは北窓からの光だし、真珠の選別は北窓からの採光で行われると聞いたことがあるので、ノースライトは、時に気高く、また柔らかく優しく、そして静かに本物を映し出すのかもしれない。
ただ、’’ノースライト’’には、体を温めてくれる温度が乏しいのではないか、それが本書のミステリーの底流を流れているような気がする。

で、今月のワンコのお告げは?というと。
主人公が所属する建築事務所が手掛けようとしていた美術館の画家の言葉だと、思う。
学徒出陣で散った従兄を思い、一人ヨーロッパで絵を描き続けた画家の言葉が、胸にしみる。

『埋めること  足りないものを埋めること
 埋めても埋めても足りないものを
 ただひたすら埋めること』(『 』 「ノースライト」より)

次から次へとすべきことが溢れ出てきて息つく暇もないので、
最近ほんとに疲れやすいんだよ
やりがいを感じることも多いのだけど、何だか徒労な気がすることも多く、
最近の私の口癖は、「賽の河原の石積みのよう」だったのだけど、
きっとワンコはそれではいけないと思ったんだろうね、
だから、まだまだ足りない、と発破をかけるために、この言葉を贈ってくれたんだね

『埋めること  足りないものを埋めること
 埋めても埋めても足りないものを
 ただひたすら埋めること』

たぶんこのまま12月半ばまで忙しいよ
九月には一度ぶっ倒れているので、繰り返さないよう気をつけ、
自分に限界を設けず頑張るよ ワンコ

で、私にとって一番美しいものは、もちろん

     

来月もよろしくね

見守っていてね ワンコ         


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タキるな ①

2021-10-02 08:26:01 | 

まさか新人外科医が奮闘する本に、登山が出てくるとは思わなかったのだが、最近気に入っている作者の本に、主人公の外科医が患者さんと富士山に登る場面が出てきた。

数年前ホテルの窓から拝した朝日に包まれる富士山

 

「走れ外科医 泣くな研修医3」(中山祐次郎)

主人公の若手外科医・雨宮のもとに急患で運ばれてきた21歳の向日葵はステージⅣの癌患者だった。
他病院で治療を受けていたのだが、腹痛を訴え救急車で運ばれた病院(雨宮勤務)で、腹膜に多数の転移と肺への転移も見つけられ、余命いくばくもないことが判明する。
その患者と雨宮が指導する新人外科医凛子が親しくなり、葵の富士登山に雨宮と凛子が付き添うことになるのだ。

葵は人生でやっておきたいことが三つあるという。

スカイダイビングに、屋久島で屋久杉を見ること。

そして第一位が、富士山に登りたいということなのだ。
『うん、富士山。
 私ね、なんかあそこには神様がいるよな気がするんだ。笑われちゃいそうだけど』

山仲間は皆、富士山は登る山ではない、というので、私は富士山に登ったことがない。
うるさいわ、臭いわ、パンパースは落ちてるわ、あれは遠くから拝する山で近くに寄るものではない、と。
また真実富士山に神が座すと信じる冨士講の方々は、富士山の頂上から日の出を拝することはされないともいう。そうすれば目線が太陽よりも高くなり、神ともいえる日輪を見下ろすことになるからだそうだ。


蝶が岳から東を拝する

富士山に登りたいとは思わないが、富士山の頂上で日の出を拝し願いを唱えれば、神様に聞き届けて頂けるかもしれない、と信じたい気持ちはよく分かる。

太陽が姿を現す前からほの明るくなってくる、その気配がまた何ともいず神聖なのだが、一筋の明確な光を浴びた時、その光の神々しさと温かさに、思わず涙がでてくるのだ、皆。

今年もまた山に登れなかったので、新人外科医が奮闘する本で山登りを読むことができたのは、予想外のことで嬉しかったが、そこは外科医が書く外科医の本。やはり視点が違っている。

急坂のあえぐ場面では、「けっこうタキるな」と言う。
タキるとは、Tachycardiaの略で、心拍数が上がるという意味だという。

また雨宮は頻繁に自分の橈骨動脈を触れながら心拍数を確認し、コロナ禍すっかり一般人の知るところとなった酸素飽和度のモニターを取り出しては、葵の状態もチェックする。
出発地点の富士山五合目(ほぼ2400m)で98%だった酸素飽和度が、七合目が見えるころには93%に下がっている。このあたりで高山病の様子を示す葵と凛子医師が酸素缶を吸うのだが、ここでの会話の「酸素って目に見えないんだね」「大切なものは目にみえないんだよ」という会話も、実際に高山病で動けなくなった友を介抱したことがあるので、よく分かる。

この後、頂上直下の「頂上の館」に着いた頃には、86%になっているのだが、この数字は雨宮によると『もしここが病院だったら酸素投与マスクを五リットル/分で開始するレベルだ。あの患者さんたちはこんなに苦しかったのか』というものらしい。

物語は、富士登山が無事だったところで終わり、葵の願いが届いたのかは分からないのだが、酸素飽和度が頻繁に出てくるものだから、このコロナ禍いろいろな思いがよぎった。
酸素飽和度93%というのは、コロナの陽性者が入院できるか自宅待機となるかの見極めの数値らしい。
高山では、それくらい(危険な状態)で山を登る。
どういうわけか私は高地に強く、森林限界を超えたあたりから元気になる。というより、他の人がこのあたりからガックリと元気がなくなるので、私が元気に見えるだけなのだが。
そんな私が一度どうにもしんどくなったのが、新穂高ロープウェイで一気に2200メートルまで上がった時だ。そこから更に西穂山荘(2367m)まであがり、あとは上高地に下るだけの山歩きだったが、私が唯一高山病らしき症状を自覚したのがこの時だ。

それについては、またつづくとする、たぶん

キーワードは、茹でガエルは怖い。


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