もうすぐ出かけないといけないのだが、今朝の産経新聞に手話のことが書かれてあったから、少し。
手話が言語として認められたのは、比較的最近のようだ。
それまでは聾学校などでも口話が教育の主流だったようだ。
口話は読唇術というか、人の口元を見て会話する方式だが、これは私も一時やってみたが、あまり助けにはならない。
なぜなら、たとえば、「あ」と言ったのか、「が」と言ったのかが、判読しがたいから。
この口話だけで全てを乗り切れというのは乱暴な話だ。
その点、手話だと目で見るわけだから、聞き逃しというか見逃しはあまりない。
私自身、手話ができないので、大きな顔はできないが、聴覚障碍者に手話は必要言語だと思う。
私は、若いころは聾学校に行くほどの難聴ではなかったが、年と共にひどくなり、現在は補聴器を外していると、人が来てもわからない。
会話も1対1なら、なんとかできるが、大勢になるとお手上げだ。
手話も覚えようとはしているが、家族がまったく使用しないから、覚えても片端から忘れていく。
こうなることを見越して若いころから手話を勉強しておけばよかったと思うのだが、後の祭りだ。
それでも、さらに悪くなることは明らかなことなので、蟻の歩みでも、少しずつでも覚えていかねば。
詞書「手話」
難聴はよくなることはまずあらぬ蟻のあゆみのごとく覚えむ biko
悲しみの源なりし難聴を嘆くよりまず手話を覚えむ biko
それでは行ってまいります。帰宅は16日(火)の夕方です。
手話が言語として認められたのは、比較的最近のようだ。
それまでは聾学校などでも口話が教育の主流だったようだ。
口話は読唇術というか、人の口元を見て会話する方式だが、これは私も一時やってみたが、あまり助けにはならない。
なぜなら、たとえば、「あ」と言ったのか、「が」と言ったのかが、判読しがたいから。
この口話だけで全てを乗り切れというのは乱暴な話だ。
その点、手話だと目で見るわけだから、聞き逃しというか見逃しはあまりない。
私自身、手話ができないので、大きな顔はできないが、聴覚障碍者に手話は必要言語だと思う。
私は、若いころは聾学校に行くほどの難聴ではなかったが、年と共にひどくなり、現在は補聴器を外していると、人が来てもわからない。
会話も1対1なら、なんとかできるが、大勢になるとお手上げだ。
手話も覚えようとはしているが、家族がまったく使用しないから、覚えても片端から忘れていく。
こうなることを見越して若いころから手話を勉強しておけばよかったと思うのだが、後の祭りだ。
それでも、さらに悪くなることは明らかなことなので、蟻の歩みでも、少しずつでも覚えていかねば。
詞書「手話」
難聴はよくなることはまずあらぬ蟻のあゆみのごとく覚えむ biko
悲しみの源なりし難聴を嘆くよりまず手話を覚えむ biko
それでは行ってまいります。帰宅は16日(火)の夕方です。
音や声が聞こえてくる方向がわからないみたいです。
一緒に歩くときは私が右側を歩きながら会話をしています。
何度も聞き返されると、わかってはいても荒々しく返事をしてしまうのです。
そんな時は悲しい顔をされるので「いけない。。。」と我に返ること屡々です。
そんなで、bikoさんのお気持ちも少しは分かっているつもりです。
話題の手話ですが、手話同士の会話としては便利ですが、
手話で家族やお友達とのコミュニケーションが出来るわけではないですよね。
一般社会での交流には口話・読唇術の取得は一番有効かと私は思います。
話は飛びますが、秋篠宮紀子妃殿下の手話は本当に定評があるそうですね。
〇〇さまには何かおできのことがあるのでしょうかね。
外交とか英語は御達者?だと言われているそうですが。
田舎親爺も一時手話を
習ってみようと
思ったことがあります。
職場で何か役にたつこと
やろうとなったのですが
中々できませんでした。
何気なく手話ができる、
人がいて、いいなあって
思ってことがあります。
私も難聴気味ですが、耳鼻科で聴力検査をすると、「補聴器の必要無し」と言われます。でも毎年春に検査を。私の場合居直って、聴こえない=相手も何も言っていない、とばかりに私に用が在るなら伝える手段はそちらで考えろ、と。聴こうとするから、聴こえにくいことは困る。聴こうとしなければ、誰も何も話しかけていない、ってな調子です。身勝手過ぎますが…ですから手話も口唇術も学んでおりません。九州の友人は、脳梗塞で半身不随、聴覚も喋ることも出来なくなった。彼とはひたすら筆談で意志疎通。でももっと近くに住んでいたら、私も口唇術くらい勉強したのかも…身勝手な人は嫌われ者ですね。
>音や声が聞こえてくる方向がわからないみたいです。
私も片方しか補聴器を付けていないころは、それで困ることが多かったです。
右側だけしかつけていなかったから、左から呼ばれても右を見てしまうんですね。
耳が不自由だと悲しい目に遭うことが多いのですが、しかし、聞こえる人を責めるわけにはいきません。
私も、自分が普通に聞こえていれば、耳の悪い人の気持ちなど斟酌しなかったでしょうから。
その点、紀子様は偉いと思います。しかも、紀子様の手話は上品ですね。手話を少し勉強した者にはそれがわかります。
ああいうふうに弱い立場の人の身になれる人こそが国母にふさわしいと私は思います。
やろうとなったのですが
中々できませんでした。
耳が悪くても、なかなかできないので、まして聞こえる人には難しいことだと思います。
が、やってみたいと思われただけでも尊いと私には思えます。
現在、NHK手話の時間に出演されているタレントさんは、ファンの方に手話で話しかけられて、それにこたえられなかったことが手話を始めるきっかけだったと言われていますが、ああいう方は稀有な方ですね。私には神様のようにも見えます。^^
いいことを教えていただきました。^^
そういうふうに開き直るのも「あり」ですね。^^
私も心が疲れた時は、そのやり方を真似させていただこうと思います。^^
コメント、ありがとございました。