やまんばのひとりごと

あと何年 健康で生きられるかわからないけどその日まで この世に生きた足跡を残していきたいな。

いつまで生きるのか

2016-12-05 20:33:15 | 日記
母が 90歳を超えたころ 頻繁に言うようになった。

私はいくつまで生きるんだろうね。もう 生きていたくないよ。

仕方ないよ。寿命があるんだから。 

もう楽しいことは何もない。足が悪くなって旅にも行けないし 友達はもうほとんど死んでしまったし 眼も白内障で 細かい字はよく見えない。頭もだんだんぼけてきたみたいで 本を読んでも中身がよくわからなし・・・・。と母は 電話で嘆いていた。

経済的には恵まれていたようだが自分のものは何も買わなかった というより一緒に住んでいた兄に ほとんどやっていたらしい。

私は母をよく旅行に連れ出したが 50歳を超えるようになると仕事が忙しくなり めったに母を連れだすことはできなかった。最後の旅行に行ったのは亡くなる3か月前。

熱海の温泉と バラ園と 美術館に行った。
夜 一緒にお風呂に入ったら 熱いお風呂だったが 母は なかなか上がろうとしなかった。
ああ気持ちがいいねえ。 タオルを頭の上に置いて 幸せそうな顔をしていた。

心臓が悪くなってきていたのを知っていたので 長湯はいけない と上がるように言ったのだが 聞こえないふりをして 30分近くも熱い湯につかっていた。
かあちゃんダメだよ。 もう上がろうよ。だって うちにいるときは ぬるくて 少しのお湯でお風呂に入っているから こんな時ぐらいたっぷり入りたいよ。と抵抗したが引っ張ってむりやりあげた。

今から考えると お風呂でぽっくり行くことを望んでいたのじゃないか とくにおふろがすきだったから。もう生きていたくないと 常日ごろ言っていたから。

それから3か月後 朝 起きて胸が苦しくなり すぐ病院へ。診察の最中 発作が起きて 意識不明。2週間ベッドの上にいて 突然心臓が 止まった。

私は母のすごさを思った。 いつも 日頃 病気をしない人は長患いをしないで死ねる。と私に言っていたから。母ちゃん良かったね。苦しまなくて…。激動の戦後を生きて 見事な死に方だった。

私も母の子だから きっと同じ道を通るだろう。まだ 足も目も頭もしっかりしているから あと20年は大丈夫だろう。しかし 友達がどんどん訃報となって 来るようになり さみしさが始まりつつある。私の人生は いつどうやって終わるのだろうか。 

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