【 ももづたふ 磐余( いわれ )の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠( かく )りなむ 】
大津皇子( おおつのみこ )
あぁ
終わりです
これまで
この 磐余の池にきて
あそんだけれど
鴨も
もう見られなくなるょ
大和の景色も
ぃとしぃぁなたさまの
見ることも
24才の ご辞世の歌ですね
多武峰の歌
16首目です
万葉集巻第9・1704 の 歌に対して
返し贈られました
万葉集巻第9・1706
藤原鎌足さまの歌
笠女郎さまが
贈られました恋の歌
鹿路で狩りをされた時に
柿本人麻呂さまが歌われました
多武峰の
桜井市
そして
天の香久山が歌われています歌
桜井市
万葉集巻第3・290と旋頭歌( せどうか )の
磐余と泊瀬山の名が出てきました
万葉集巻第13・3325
談山神社さまの鎮まられます
多武峰(御破裂山)の歌を
続けて16首 お勉強致しましたね
訳語田( おさだ )の
奈良県桜井市の
戒重( かいじゅう )の
古くは
他田( おさだ )宮さま と
よばれました
春日神社さまの
他田坐天照御魂( おさだにいますあまてらすみたま )神社さまと
天武天皇さまで
お母様は大田皇女さま
お父様がなくなられて
わずか 1ヶ月で
この訳語田( おさだ )で
伊勢で
13年間
斎王となられていました
大伯( 大来 )皇女さまに
密かに
ゆかれました
この世に
姉弟の
おさみしい
思いを
姉の大伯皇女さまは
歌われました
このあと
斎宮から
帰京されましたお姉さまは
万葉集巻第2・164を歌われて
弟が
二上山に葬られました時にも2首
お二人のご姉弟の
身をおまかせするしか
道はなかったのですね
弟の悲劇は
あまりにも
はかなくて
かなしく
うつくしく
たった 24才で
ご辞世の歌を
この磐余の池 で お歌いになられ
偉大なお父様に
呼んでいただかれた
かのように
いなくなられてしまわれました
お妃さまの山辺皇女さまは
吉備の
吉備池のあたりで
磐余の池は
西にあったそうです
東池尻
池之内などの地名が
なごりとして残っているそうです
今の
御厨子( みずし )観音さまの
東に広がっています
湿地にたたずまれますと
ご無念が
伝わってくることでしょう
共鳴するところが見つかるので
おだやかに
いい日だそうです
ありがとう於良