【 われはもや 安見子( やすみこ ) 得たり みな人の 得がてにすといふ 安見子得たり 】
藤原鎌足
私は
妻にむかえました
だれもが
手が届かなかった
あの安見子を
得たのです
ぁんっ
すき
ぉそばに
談山神社 の
多武峰の歌 を
万葉集巻第9・1704 で お勉強致しましたね
(中大兄皇子なかのおおえのおうじ)さまと
ともに
大化の改新 を
行われました
藤原鎌足さま
天皇さま に お仕えなさっておられる
采女さま を
臣下がたまわる と いうことは
古代人の信仰に おいて
むずかしいことだったそうです
天皇さまに
采女さまは
国造 の 娘さま
その国の
神さま を 身に宿された
神の女(巫女)さまでした
采女さま は
大化の改新 以後 郡司から 貢献されていますが
安見子さまも
大きいのですね
この
天皇さま が 寝む(やすむ)
ことで
皇子さま を
ご先祖様 と 同じ
伊賀 大山田村 お生まれの
伊賀采女宅子さま も
天智天皇さま の 采女さま で
大友皇子さま の
なられましたね
大友皇子さま の 奥様が
奈良市 高畑 の 比売神社 で
お祀り なされていました
だんだんと
つながって
わかってきましたね !
藤原鎌足さま は この歌 を
大化の改新 の 功により
うたわれたのでしょうか
明日は
いきいき
勢いがあって
心の結びつきが
あつく
なるような日 だそうです
あつく
ありがとう於良