川越市駅 その2

2017-08-16 19:07:14 | 日記

商店街のように至る所に水着のお姉さんのポスターがあると目立ちません。ルビコンを赤間川に見立てたのね。三頭政治をしたのがカエサルみたいです。三つ政府の「やまと」ですね。

道灌橋は江戸城や川越城(初雁城)を作った太田道灌の「やまぶき」を踏みます。七重八重花は咲けども山吹の実ひとつだになきぞ哀しみ。
道灌は雨に降られます。雨具を貸してもらおうと民家をたずねます。ところが雨具ではなく山吹の一枝を手渡されます。怒る道灌。娘は貧しくて蓑も持っていません。伝えるのに和歌で返したと従者から教わります。
道灌は大いに恥じて和歌を勉強します。道灌くん。和歌を勉強してどうするのさ。循環紙幣社会で貧乏や貧困を解消すると娘は蓑を持てるようになるんだよ。好きな和歌の歌い手になっているかも。当時の皆がみな貧乏の状態なら法螺話です。今の日本なら其れが可能なのよ。

川越市顔の天頂部が田谷堰。新河岸川の付け替え工事で旧赤間川の下流域に水が滞るようになりました。田谷堰は水を堰きとめて樋菅に通すお役目をします。

三つの樋菅が壁に孔を開けています。田谷樋菅と宮下樋菅と二丁目樋菅。樋菅の悲観の顳顬です。まっすぐ新河岸川に流れると川越市顔の体液に印を結びます。樋菅を通すと旧赤間川を流れて伊佐沼代用水になります。田畑を網羅します。
県道51号の「ひかん」に水を引きます。ホントはこちら側が「子を宿していない」状態の通り道。生存本能の子の掛け合わせ。悲観は避寒の寒さを避ける。身を寄せたいと願う当たり前に悲観を掛けています。樋菅の右側に公園があります。

原型に基づいて修復する。昭和59年とあります。旧赤間川の通り道。塞いでいたのを掘り返して通したのね。新河岸川の付け替えは1920年(大正9年)~1931年(昭和6年)までの大工事。
私に掛けていますので小学校高学年。第二成長期にあてているのね。道灌の山吹と重ねて声変わり。変声。変性。編成です。第二成長期の生理に対する頭の働きに神経玉を通したのよ。


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