清澄白河駅 その20

2017-03-20 01:52:55 | 日記

清澄庭園の右側のお腹。22の番号ありの伊豆磯石は通行止め。番号なしの伊豆磯石が開いていました。その先が傘亭。2011年の大震災で土台が損傷。傘を外しました。

支配者層は瘡「かさ」を外して中身を確認したのよ。その対象は私にかかる因果。東上線の川越市顔。蔵造りの町並を胎児に見立てて印を刻んでいます。
清澄庭園は三菱財閥の人型。エリート腦の意思の石で組み上げた庭園が清澄の延べる猿と成ります。繋がりは川越の「時の鐘」。清澄白河駅から歩いていける距離にある浄心寺が鐘の在処。
時の鐘の結び直しに行くも、たくさんの因果を頂いてまして、未だに庭園を周りきれていません。傘亭は独立した浮島ではなく、小さなお山の「ぼっち」と成ります。腸の中では小さな出来物。吹き出物。「かさ」です。陰線なので吹き出物は液の易でエキス。

石の並びは、見えにくい場所に20番の紀州青石。21番の伊豆川奈石。22番の伊豆磯石は通行止め。番号なしの伊豆磯石が傘亭の真横に位置していて私を呼んでくれたのです。
20は腹腔神経嚢と消化器。21は副腎。22は腎臓。番号なしは21川越駅と22川越市駅の間の西武線本川越駅。

傘亭から涼亭を見ると松島が中間点。松は私の印。多重塔と雪見燈籠が立ちます。多重塔は多汁。multipleの複数。倍数。たくさんの配線。廃線。敗戦。肺尖(肺の上部)。盃洗の洗い物。総じて声なき声の跡形。後かたづけですね。
また分配。心配。心肺機能と成ります。人間像の首枷を表現した鎖骨のクサリより上に突出した部分を肺尖と呼ぶそうです。
多重人格や多重債務の金銭の琴線のおりもの。多汁の濡れ濡れも身軽にできる事象です。その濯ぎ、注ぎ、淋「そそぎ」が雪ぎの雪見燈籠です。

松島と鶴島が横隔膜の王を隠す膜。神経玉を産む帯です。傘亭と中の島が対の胸。秩父青石が在る中の島は陽の乳部。陰の韻の乳が傘亭で「胸の内」

20の紀州青石が向いていた池は長瀞峽。浄に通じますが争う「ク」ではなく爪かんむりの淨。靜。睜は「目を見張る」の意味で瞠る。睜=瞠 。爭=堂。堂は胴体の胴。とある支配者 から見て「動態」が胴と成ります。静態の靜で声帯。整体。聖体が傘亭に込められた意味です。石橋で因果が変換します。







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