LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

納豆売りの声

2007-12-31 | lohas的情景
「なっとーっ、なっと、なっと、なっとーっ。」
確かそんな掛け声で水戸駅の構内で納豆を販売していたのを記憶している。
いやっ、もしかしたら弁当売りだったかもしれない。
いずれにしても、今ではまったくそんな光景は見られなくなったなぁ。
と思いつつ、立松和平の「納豆売りの声を」読んでいた。

自分が幼少の頃でも近所には納豆売りはいなかったが、それでも、豆腐はあのラッパを吹きながら自転車で売りにきていた。
ラッパが吹くと、ボールとお金を渡されて外に出て行く、そんな記憶がかすかに残っている。
納豆や豆腐売りがきていた時代、半纏を羽織り、鼻水たらしながら近所の子供たちと駆けずり回っていた日々、とても懐かしく感じた。

立松和平が言うように、納豆は、確かに偉い。
納豆は脇役だが、椀の中ではどんな状態であろうとも主役なのだ。
過度な自己主張はなくとも、自分を見失わない。
粘り強くいき続けるそんな納豆。

来年は、こんな生き方を心がけてみたい...。




蟷螂|kamakiri

2007-12-16 | lohas的情景
そう言えばカマキリの卵なんて、ここ数十年見ていないよなぁ、と思いつつ朝日新聞のbe on Sundayを読んでいた。

そのトップ面の日曜ナントカ学では、カマキリが積雪の量をずばり当てるという言い伝えを取り上げていた。
秋、カマキリは木の葉に産卵する。卵が低いと雪に埋もれ、高いと鳥に食われる。
積雪ぎりぎりの高さに生みつけるという話だ。

実際に立証に臨む人がいて、全国で280箇所、3千個のカマキリの卵をサンプリングするに至っているそうだ。
豪雪地帯のカマキリを雪の少ない土地に移して産卵する実験をすると、それぞれ移動先の積雪に近い産卵をする結果も残しているとの事。
カマキリは秋、枝から地中の水分を感じ、冬の積雪を予測しているのではという説もあるそうだが、仮説の域を出ないようだ。
気象庁にしてもさすがに虫の力には頼れないようだ。

ところで最近の子供たちは、野原に行ってカマキリの卵など手にとってみた経験などあるのだろうか?
記事を読んでいたら、昔、皆で鼻水垂らしながら風呂敷をマント代わりに、野原でバットマンごっこで遊んでいた事を懐かしく思い出していた...。

村野藤吾

2007-12-15 | 建築と文化
今朝の日経新聞に建築家村野藤吾が取り上げられていた。

村野藤吾の建築は、モダニズムを基本としながら、随所に華麗な装飾を施してるのが特徴とされ、大阪新歌舞伎座の写真が併せて掲載されていた。

モダニズム建築は確か、機能的で合理的で装飾のない建築を一般的に言っていたはずだ。
そのような中で、武蔵野美大の長谷川教授が、村野藤吾の考え方についてこのように語っていた。

過去の様式を否定した合理主義一辺倒のモダニズム建築の考え方とは根本から違う。
過去の様式とモダニズムは複雑に絡み合っていて、あるときはモダニズム、あるときは違う様式から発想した。

要するに戦後を代表する村野藤吾の建築には程よい柔軟性、発想の豊かさがあるということなのだろう。

村野藤吾の世界平和記念聖堂は、丹下健三の広島平和記念資料館とともに、昨年国の重要文化財指定を受けている。
しかし、一方では日本を代表する村野藤吾の建築物でさえも、時代と共に老朽化したり耐震強度不足のため、取り壊しや建替えを余儀なくされるケースがあるそうだ。

文化勲章の画家の絵を燃やすことは有り得ないのに、建築の場合は無造作に壊されていく、と危機感を表明していた。




トロッケンゲビンデ

2007-12-13 | 美の壺的解釈
トロッケンゲビンデ?はじめて聞く言葉だ。
トロッケンゲビンデとは、乾燥した木の実、花、スパイス、豆などを素材にしてさまざまな飾りを作る民芸クラフトだそうだ。
名前からしてドイツの雰囲気がしたが、やはりそうであった。
南ドイツやザルツブルグ地方で有名なものらしい。

実は、先日事務所でお客様感謝祭を行なったときにカルチャーの先生をお招きし、お客様方を対象にトロッケンゲビンデの講習会を開いていただいたのだ。
もちろんこのような素晴らしい企画は全て当社の女性スタッフが段取りしたものだ。
残念ながら私にはそこまでの閃きはない...。

なるほどと、暫しカルチャー教室の様子を眺めていたが、好奇心旺盛な私が興味を持たないはずがない。
次々と先生に質問していった。
その中でもリースの話をされたのが印象的だった。

リースは花や葉、木の実をつなぎ輪にしたもので、さすがにその存在そのものは知っていたが、リースの意味までは分からなかった。

リースの輪は永遠や平和を意味し、生命・幸福がいつまでも続くようにという願いが込められているそうだ。

ヨーロッパや北アメリカでは、古くから幸福と幸運を呼び込むと言い伝えられている。

単純な物理的な発想で丸い形をしているのかと思っていたらとんでもなかった。
自分の発想の短絡さを思い知らされた。

やはり、物事は全てに何らかの意味があるものだなぁ、と改めて感じた一日だった。





銀杏と影

2007-12-08 | lohas的情景
晩秋の情景には、こんな感じもありかな。
黄葉した銀杏が辺り一面覆いつくしていた。

ほんの少し前までは、大銀杏並木の黄葉見物に人の出も多かったが、
今ではめっきり少なくなった。

足音までも消し去っていくような秋の影...。

Dreams come true |水戸芸術館 2

2007-12-04 | lohas的情景
今年もまたDreams come trueの電飾文字が、水戸芸術館の正四面体に浮かび上がっていた。

周辺のイルミネーションも昨年より多少華やかな感じがする。
気のせいかもれないが。

そんな事をふと思いながら芸術館前を車で通り過ぎた。

駅前の大通りもイルミネーションで覆われていた。

この季節、何か忘れ物をしたのではないかと思いを巡らす。
今年もあとわずか...。

懐石料理と魯山人

2007-12-01 | 美の壺的解釈
今回、NHK「美の壺」では、懐石料理を取り上げていた。
「器は料理の着物である。」という北大路魯山人の言葉が印象的だった。
先日、魯山人展に行ったばかりなので余計にそう感じたのかもしれない。

小生、実は料理にはうるさい。
と言うより、自ら料理をする上で徹底的にこだわるといった方が正解か。
日々の料理はジャンルにはこだわらず、興味を持ったものを和風料理であれイタリアンであれ果敢に取り組んでいる。

もちろん器も気になるところだ。
特に和風料理の場合、料理と器のバランスは重要だ。
魯山人の器など到底手にすることなどできないが、手持ちの器で最大限の美を追求する心は持ち合わせているつもりだ。

「美の壺」では、基本的な盛り付けを紹介すると共に、和包丁での調理例なども披露していた。
魯山人の木葉織部焼曜変の器に鮎を盛り付けた映像が流れたが、小生、まさに憧れるものだ。

「日常生活に雅とか美とかをわきまえ、それを取り入れて楽しめる者は、たとえ貧乏暮らしであっても金持ち性と言えよう。」
とする魯山人の言葉を胸に、現実を見据えながら、ささやかながらの美を自らの料理でも見い出して行きたい今日この頃である。