LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

臥竜梅

2006-02-24 | lohas的情景
先日、水戸弘道館に行ってきた。
弘道館は、徳川斉昭公によって設立された江戸自体最大の藩校だ。
過去何度か訪れたことがあったが、先日「おはよう茨城」で放映されて気になっていたので改めて見学をしてきた。

在来建築や庭園美を痛感すると共に、当時徳川慶喜公や藤田東湖がここで文武両道を貫いていた事を想像すると、感慨深いものがある。

弘道館の入ると、敷地右側に老木の臥竜梅があった。
臥竜梅は、老梅木が倒れ、それでも毎年梅花を咲かせているという梅木だ。
今年も確実に芽を出し、あと数日で開花することだろう。

人も一度や二度倒れても、必ず芽を吹き返せることができると信じている。
早く開花することを願ってやまない。


風邪

2006-02-21 | その他
昨年のインフルエンザに懲りて、今年は家族全員でインフルエンザ予防接種を受けた。
よし、今年は完璧だと思いきや、あっという間に風邪をひいてしまった。

昨年は、高熱・頭痛そして下痢と酷く悩まされた。
病院で点滴まで受けて、医者からは予防接種はやっておくべきだよと言われ、今年は実行に移した。
確かにインフルエンザではなかったものの、なんと症状は去年とまったく同じではないか。

うーん。
予防接種を受けていなければもっと酷かったかもしれない、と思うべきなのかどうか?...。

日曜喫茶室1

2006-02-13 | その他
日曜の午後は、なんと言ってもNHKFMだ。
はかま満夫がマスターとなって様々なゲストを呼び「日曜喫茶室」を放送している。
かなり前から放送されていた。
私の高校時代、昼食後コーヒー片手になんとなく大人の気分を味わっていたのか、確かに聞いていた記憶がある。

最近は、車での移動時や外出しない時によく聞いている。
昨日は、女優松井一代とイエローハットの鍵山取締役会長が出演していた。
どこに共通点があるのだろうかと思ってたら...掃除だった。
伴に、掃除道やスーパー収納術などで極めている二人だ。
イエローハットの取締役会長は、たまたま茨城県の経営品質協会で講演されていたので、自分としては記憶に新しかった。

掃除に対する思いは、
自分自身を愛せるようになろう、と思ったときからだそうだ...。

水戸芸術館3

2006-02-12 | 建築と文化
垂直の構築

磯崎新は水戸芸術館のアートタワーを「無限柱」で捉え、それを垂直の構築へと導いていったようだ。
ルーマニアの彫刻家コンスタンティン・ブランクーシの「無限柱」がモデルになっているそうだ。
無限柱は、何も無い平地に神を招くために榊をたて、立柱の儀式と伴に大地になにものかを構築する根源的な行為をしめしている。

磯崎新は、水戸の今後の無限的な可能性をアートタワーに求めた。
アートタワーは「搭」であるが、完結して見下ろす搭とは異なり、あくまでも下から上へと向かっていく無限柱だと芸術新潮2004.6で主張している。
確かに天に向かっている様は決して完結している姿ではないのがわかる。

また、無限柱の構成ユニットの形についての記述があった。
生命を象徴するDNAの螺旋構造を思い浮かべたようだが、そのままだと巨大なDNA模型になってしまう。
テトラヒドロン(正4面体)を順に積めば、自動的に稜線がトリプルスパイラル(3重螺旋)を描く。
そこで磯崎新は、トリプルスパイラルが果てしなく空中に伸びていく「垂直の構図」をコンセプトにしていったのだ。

先日、各拠点からWEBデザインのために事務所に集まっていたスタッフが芸術館をベンチマークした。
水戸店のスタッフ案内のもと、各スタッフは様々な観点から水戸芸術館を捉えたようだ。
オールチタンに包まれた正4面体を積み上げた姿はさすがに印象的だ。

剛心と重心

2006-02-09 | 建築と文化
最近、耐震偽装問題や違法建築等建築業界を取り巻く様々な問題がマスコミ等で盛んに取り上げられています。
特に、耐震については我が家はどうなんだろうか?と不安を抱いている方も多いと思います。
構造計算の偽装や違法建築など、当然悪質なものであり、建築業界にとってはあってはならないものです。
経緯はどうであろうとも業界全体の信用を損なったことには間違いありません。
我々が真摯に対応し、信用を取り戻していかなくてはなりません。

ところで耐震性能は、剛心と重心が大きく作用します。
剛心は、建物の構造骨組みの抵抗度合いを言います。
建物の各階の重心と剛心との距離で偏心率を求めていきます。
建物は、地震が発生したときに重心と偏心の距離があるため、ねじり剛性が発生します。
そのため、設計プランはなるべく重心と偏心の距離が短いものが良いとされています。

また、建築基準法や告示では、在来工法における梁に関する規定や耐力壁・耐震壁配置規定など存在しますが、法規上曖昧な面もあり梁の掛け方など明確になっていないのが現状です。

建築は、元請とお施主様が一体となって作り上げていくという姿勢が、まずは重要だと考えています。
それと共に、常にスキルアップと感性を磨く事は、建築に携わる者にとって欠かせない事です。



茅葺民家

2006-02-06 | 建築と文化
昨日、図書館に行ったら萱葺き民家のフォーラムが開催されていた。
入場無料だったので、興味本位に会場に入ってみた。
フォーラムも残り1時間という時に入ったので、全てのパネリストの話しを聞いたわけではないが、現在萱葺民家に住まわれている人や建築を通しての茅葺民家の話を少しでも聞くことができた。

茅葺民家は、朝夕、煙がたなびき、ゆとりやおおらかさがあり、まさに日本の原風景スローライフといったイメージだ。
しかし、そこで生活する方にとっては様々な問題があるのが分かった。

普段私は、建築という観点からお客様に対して様々な提案をしている。
今話題のオール電化だったり、床暖房だったり、また最新の住宅設備等等。
しかし、文化財指定を受けそこに住まわれている方は、行政の補助があるとしても簡単には建替えや改造工事など行えない。
あくまでも、現在の住宅の維持に努めなければならないからだ。
確かに、そう言われてみればそうだ。
夏は涼しく、冬暖かいと言われても、冬は囲炉裏廻りが暖かいだけで気密性を高めないとかなり寒いし、
夏は天井が高いので涼しい感じはするがやはり暑いものは暑いとの事。

茨城県では、現在茅葺民家は500~600棟存在するらしい。
日本全国でも統計を取ったときがあるとのことだったが、茅葺の基準が明確でなかったのでどうやらデータはあやふやらしい。
茅葺屋根に板金をかぶせたものや門などにしようしているもの等を含めると6万棟ぐらいだそうだ。

話題は、今後の茅葺民家の維持について、どうして行ったら良いのかという方向に向かっていった。
フォーラムの中での結論は出なかったが、古民家でのデイケアサービスを考えたり、地域のお年寄りに開放したりと、様々な提案があった。

また、茅葺の再生利用についても話がでた。
茅葺屋根の葺き替え時には、既存の萱の1/3はそのまま利用するそうだ。
茅葺屋根って毎年2センチぐらいづつ減ってくるそうだ。

日本伝統文化の維持とライフスタイルの変化。
建築というのもを通して考えてみたい

アントニ・ガウディとはだれか

2006-02-04 | 建築と文化
国外の建築家といえば、ル・コルビジェやフランク・ロイド・ライトなどが近代建築の巨匠として上げられるが、サクラダファミリアの設計に携わったガウディはあまりにも有名だ。

磯崎新は、著書「アントニ・ガウディとはだれか」において、ガイディについてこう記述している。

様式と構造の多様な積層と引用によって
複雑な変容を見せるガウディ建築は、
合理的かつ生理的な空間の全体と部分に
壮大な渦を生み、めくるめくようなカオスに巻き込む。
あたかもそれは、
錬金術師手中の賢者の石のように
形態と色彩を触媒として
意のままの三次元空間を現出せしめる。
それはまた、
随所に展開される放物線とあいまって、
四次元の浮遊感をみちびく。

サクラダファミリアやカサ・ミラ...うーん。表現の違いはあるにしても皆をとりこにしてしまう幾何学的形態の建築物。
コロニア・グエルの逆さ吊りの構造実験。
あのような発想はどこから生まれ出るのだろうか。








恵方巻

2006-02-03 | lohas的情景
今朝事務所に行くと、「恵方巻」という聞きなれない言葉を耳にした。
なんだ?なんだ?さっぱり分からない。
しかし、スタッフの半数以上は知っていたのだ。

恵方巻は、節分に食べる太巻きの事だそうだ。
節分の夜にその恵方(歳徳神・・トシトクジンの在する方位)に向かって、目を閉じて願い事を思い浮かべながら太巻きを丸かじりするのが慣わしになっているようだ。
しかも、食べている間は無言でなくてはならないそうだ。

事務所では、その食べる方向について、北東とか南東とか意見が様々分かれていた。
その後「恵方」について調べた所、今年は巳と牛の間、南微東だそうだ。
といってもよく判らないので、現在では「南南東」という事にしているらしい。
正解に言うと南南東よりやや南の位置だ。

なぜ、年によって位置が変わるのかというと、これまた意味があるのだ。
簡単に言うと、十干(じっかん・・殷の時代に太陽が十個あると考えられていた)に関係するらしい。
なんだか難しくなってきたので、この辺で...。

さて、今晩は豆まきをした後に、無言で恵方巻を食べることにしよう?




こけら葺き No.2

2006-02-02 | 建築と文化
杮葺きの歴史は、鎌倉時代中期まで遡り、それ以前の屋根工法は板葺きが主流だったとの事。
ちなみにコケラ「杮」という文字は、カキ「柿」という文字とは異なる。つくりは、「亠」ナベフタに「巾」ハバでなく、上から下に1本に引く。
瞬間的に見ただけでは分からない。

杮葺きは、今も昔も変わらない工法で、木の目に従って割ったものを用いる。
水戸好文亭の屋根も職人が手割りしたものを使用したそうだ。
これは、木の目が切れない事が、耐久力の用件だからだそうだ。
通常、挽材は機械で切るので、表面が滑らかで規格形状を揃えることが容易い。
しかし、そうすると木理に関係なく切っているので、屋根材として使用した場合の耐久性が問題になるらしい。

また、割板の場合は、屋根に葺かれた時に一枚一枚の板の間に空気の層ができる。挽材は画一的だが、それが逆に災いして屋根同士がくっついて水を吸い上げる構造になってしまう。
割材を使用すると速やかに雨が流れ落ちて乾燥も速いそうだ。

割板をとめるのは、竹釘を使う。なぜ竹釘かというと、まず鉄釘と違って腐食しないからだ。
鉄釘は一見強そうだが、錆が回れば案外もろく、平頭の部分がすぐ取れてしまう。
二つ目の理由は、竹釘の場合は、屋根金づちで打ち込むときに、頭の部分が程よく壊れて、ちょうど鉄釘の頭部のような平らな形になり、、葺材がそれ以上に浮くことなく、しっかりと留めることができるからだそうだ。

うーん。なるほど手間もコストも掛かるわけだ....。