LOHASな感じ!

日頃、仕事やプライベートで感じた事をLOHASな感覚で書いています。

壺中の天 | kochu no ten

2007-01-31 | 建築と文化
National汐留ショールームの2Fティールームから、黒川紀章設計の中銀カプセルタワービルを目にする事ができる。

「壺中の天」kochu no ten
壺の中に多様な宇宙が入っているという意味らしいが、
まさに中銀カプセルタワーはその壺中を意識したものだ。

黒川紀章は、そこでカプセル宣言をしている。
カプセルが細胞として代謝することによって、建築全体が生き続け成長できるというものだ。
空間ユニットの構成は、多様な可能性を秘めている。

外見からも容易に想像されるそのユニット空間は、カプセルごとそっくり交換することができるそうだ。
社会のあるべき姿を具体的に提案し、歴史の新陳代謝を積極的に促進させようとする、メタボリズムを代表する建築となっているのだ...。

しかし、その中銀カプセルタワーも老朽化を理由に建替が検討されているそうだ。
本来なら、カプセル単位に取替えるという発想のもとに作られたものだが、一度もカプセルを交換したことは無い。

建築思想と現実のギャップを埋めるのは、そんなに容易いことではないという事なのだろう。


水平、垂直そして光

2007-01-28 | 建築と文化
建築家 安藤忠雄が建築の世界に惹かれていった行ったのは、
彼が20代の海外渡航で訪れた、アクロポリスの丘のパルテノン神殿そしてコルビュジェの数々の作品に強く影響を受けたことに起因するらしい。

アクロポリスの丘のパルテノン神殿における、水平・垂直のあまりにも力強い構図、
ロンシャンの礼拝堂におけるある意味壮大な光は、後の彼の作品に実際に影響をもたらして行ったのだ。

我々が何に感じ、それがどう影響を及ぼすかは、まさに人それぞれであり、
「感じる」事自体が素晴らしいのであり、それによって影響をどう及ぼすかはまったく別の問題だ。

しかし、何かを感じた事によって、人は大きく成長できる。そんな気がする。

安藤忠雄も、それら建築物を通して、自身の建築においても人々に感動を与え続けている。

そう、まずは自分自身が「感じる」事だろう。

アラビアータ|ペンネ・アラビアータ

2007-01-25 | 男の料理
そうそう、アラビアータだった。
この間作ったパスタ料理の名前がなかなか思い出せなかったが、
スタッフと話をしていてやっと思い出した。

正式には、ペンネアラビアータと言うそうだ。
ペンネはパスタの種類で、マカロニを2周り程大きくしてその両端の小口を斜めにカットしたような形状をしているものだ。
アラビアータは、赤唐辛子とニンニクをオリーブオイルで炒め、そこにホールトマトを入れ30分程煮詰めてできるトマトソースだ。
その際、岩塩で味を整えるという小生のこだわりがある。
ペンネとそのトマトソースをからめて出来上がりという、ごくシンプルなパスタ料理なのだ。

これが実にうまい。
赤唐辛子3本でかなりの辛さになったが、その辛さが程よく煮詰めたトマトソースによく合い、ペンネとの愛称もこれまた絶妙だ。

レシピでは3本から5本と書いてあったが、5本入れたらかなりの激辛になるだろう。

ホールトマトもペンネも、それぞれスーパーで100円~150円ぐらいだったと思う。
非常にローコストでありながら、これだけの味が出せるのであれば作ってみる価値はあるだろう。

是非...。



kokeraita

2007-01-24 | 建築と文化
杮板 kokeraita
以前、水戸偕楽園の屋根の葺替えで杮板を使っている記事を投稿した。
茶室建築の本を読んでいたら、再び杮葺きに出会った。

杮葺きは杮板を使うのだが、職人の技術力がハイレベルで要求されるらしい。
さわらや杉・檜の原木丸太から、職人が手作業で一枚一枚薄く剥いでいく。
現代の製材機は使用しないのだ。

木材を切断・破損せず繊維に沿って剥ぐ事で、繊維が活かされる。
雨水がその繊維に沿って流れ落ちるためだ。

杮葺きの仕事は、その杮板をつくるのが大半を占める。
熟練された職人が一日がかりで作れる杮板はわずか一坪分だ。
しかも原木丸太の半分は、うまく剥がれず無駄になるそうだ。

日本文化の継承・・・日々の仕事の中でも実現して行きたい。
そう感じた。




納豆論議4

2007-01-21 | 男の料理
納豆論議もここまで世間を騒がせるとは...。
いやいや、小生の他愛無い話ではない。
先日TV「あるある大事典」で取り上げられた納豆ダイエットのことだ。
なんと、制作会社である関西テレビの捏造が発覚したのだ。

やせた事を示すのに別人の写真を使用したり、
アメリカの大学教授の日本語訳時に一部の発言を捏造したり、
中性脂肪・血中濃度のデータ改ざん等等...。

しかし、TV会社の捏造は今に始まったことではない。
昨年も何かニュースになっていた。
あまりにも業績(視聴率)を重視するばかりに、結果視聴者を無視した行動に移ってしまう。
企業倫理の問題と視聴者側の判断だとして片付けてしまうのであるとすればあまりにも遺憾だ。

納豆会社が品薄によりおわび広告を出したり、急遽増産体制に移行したり、
一部の消費者は目の色変えて納豆確保に勤めたりと、納豆市場を混乱させてしまったのだ。
また、「今日の納豆、かき混ぜてもあまり糸が引かない様な気がするのは、
生産工程を短縮しているからでは?それとも銘柄を変えたからか?」
などと勝手な想像をさせてしまうのも、その影響だろう。

企業倫理の問題は、勿論関西TVだけに限ったことではない。
また、露呈した企業、不二家・ミスタードーナッツ・雪印などの問題だけでもない。

我々全てに問われているのだ。


パルミジャーノ・レジャーノ

2007-01-20 | 男の料理
パルミジャーノ・レジャーノ
この言葉を知っている人はそうはいないだろう。
450種類ほどあると言われているチーズの中の一つだ。
ちなみに、ファミレスに置いてある粉チーズ「パルメザンチーズ」とはまったく違うので悪しからず。
偉大なものらしいのだ。

イタリアでは、パスタに最もあうチーズとして知られているそうだ。
2年間を費やして職人が毎日手間隙かけて作る。
しかも、北イタリアの一部でしか生産できないものらしい。
その地方は、食の三角地帯と呼ばれており、パルミジャーノのための職人を育成する学校もあるそうだ。

パルミジャーノ・レジャーノの出来不出来は、チーズ職人だけでなく牛乳を提供する酪農家も関係するため、共同責任性をとっている。
酪農家に対する支払いも、牛乳を納めた2年後、チーズが売れた時点での支払いになっているそうだ。

うーん。それだけ品質にこだわっているわけだ。

そんなウンチクが書いてある料理本を読んでいた。
と同時に、さてどこに売っているのかな?と思案をめぐらしながら、さっそく買いに行くことした。

水戸市内の某有名百貨店に行けばあるだろうと思い、地下の食品売場に入って行った。最近移転した百貨店で、今ひとつ勝手がわからない。
ウロウロしていると、それらしきコーナーがあった。
しかし、どこを見ても置いてない。
こんな事もあるんなだなぁ。これだけ有名なものが置いていないとは。
仕方なしに、別の店に行く事にした。
結局買い求めたのは、自宅近くにある顔なじみの??某食彩館だった...。

その日がパスタ料理だったのは言うまでもない。







藍染

2007-01-19 | 美の壺的解釈
おおっ、今日は藍染めかぁ。
NHK「美の壺」、谷啓が藍染の羽織を着て登場してきた。
あの深い色、なんとも言えない味わい深いものがある。

今、まさに小生が着ている作務衣も無地の藍染のものだ。
確か結婚した年に買ったものだから、もう十数年になる。
色アセはしているものの、小生お気に入りの一品だ。
室内着、作業着、パジャマ、たまに外出着として愛用している。

「美の壺」では、藍染は時と共に深い色になっていくとあったが、
色アセするのは?と多少疑問もなくには無かったが、藍染の素晴らしさを改めて感じた。

遊び心ある柄、絞りの織り成す奥行き感、等々...。
職人の世界は素晴らしい。
そういった職人の思いを感じ取りたい。

卯建(ウダツ)

2007-01-18 | 建築と文化
「ウダツ」は建築用語で、密接した隣家との境に設ける防火壁だ。
屋根(下屋)の端に小壁が立ち上がり、その上には小屋根が載っている。
現在の住宅では、意匠的な意味以外ではおそらく造らないだろう。

昨年末頃だったと思うが、NHK「美の壷」でウダツを取り上げていたのを記憶している。
卯建はもともと防火のために造られたもので、火返しとも呼ばれていたそうだ。
その卯建は、時代と共に変化していく。
江戸時代中期には単純な壁だったものが、江戸後期にはより装飾性の高いものとなり、繁栄の象徴とされるようになったのだ。

現在、卯建のある街並みは、美濃市や「美の壷」で取り上げられていた信濃路 海野宿が有名との事。

ちなみに、美濃市のHPには、ウダツが上がる美濃市へ来て見ませんか?とあった...。



日々・・

2007-01-17 | 建築と文化
会合を終えて事務所に戻ると、スタッフがまだ数人残っていた。
図面と向き合っているスタッフ、
明日の段取りを何度も確認しているスタッフ、
積算のためにパソコンに向かっているスタッフ、
寡黙ではあるけれど、日中の疲れもよそにそれぞれ輝いて見えた。

真摯な態度の中に、それぞれの個性が浮き立つ今日この頃である。


北極星

2007-01-15 | 宇宙・環境・資源
この季節、夜空を見上げると様々な星が煌々と輝いている。
中でもオリオン座のペテルギウスとおおいぬ座のシリウスは車窓からでも認識できるほどだ。

そう言えば、先日あるドラマで北極星の事を言っていた。
北極星・・・「ポラリス」と言っていたなぁ。
ドラマのタイトルはここでは避けておこう。
家内が日中録画したものを夜まとめて見ているのだ。

ところで、北極星までは430光年の距離だ。
430年前というと、安土桃山時代に信長や秀吉がいた時代だ。
秀吉の時代を今見ているという不思議な観念に囚われる。
光速で移動しての430年だから、人間が到底到達することはできない。

ところが、時間の流れは一定でなく、観測者によって違ってくる?
という特殊相対性理論を用いれば可能なんだそうだ。

勿論、小生さっぱり理解できない。
その特殊相対性理論を用い、もし光の速度で飛べるロケットがあれば、ロケットの中では7ヶ月で北極星に到達することができるという。
ただし、地球ではその間430年が経過しているそうだ。
当然地球に戻ってきた時には430年が経過した地球になっており、未来に辿り着いたことになる。

・・・自分でも理解していないことを書き留めているのでこの辺で...。

詳しくは、
「宇宙授業」中川人司著 サンクチュアリ出版 にて