カルロスゴーンは日産の会社をリストラで虚弱体質にし尽くして従業員の利益を絞って絞って会社の利益を捻出した。
日産と言う会社の従業員をほぼ見殺しにしてこき使ってあのとこの手を使って会社の利益を出した。
そしてその利益を自分の懐に取り込もうとした。
会社の王になれば制度も自由に変えられたから。
それでも依頼したのは日産側。
自力で突破することを諦め、依存してしまった代償だ。
同様なことがアメリカで起きた。
トランプはアメリカを派遣国として存続させるために戦争も厭わない方針で突き進もうとしている。
そこには、世界の平和など関係ない。
アメリカが世界一の国であり、その王とも呼べるべく存在になろうとしているのがトランプである。
そのためには手段を選ばない。
グローバリズムとはそういうものである。
私利私欲にまみれている。
それにもかかわらずグローバル化を推進しようとしている日本にとって世界とはとても危険な場所である。
日本の国内の人々の心理は江戸時代が文化的に続いている。
平和であり、自分は被害を被らないと言う意識が核として、人の意識の中に入っている。
江戸時代が始まる前の戦いの時代は生き残るためには、人殺しも避けて通らない気持ちで突き進んだ。
そういう時代があった事は歴史が示す。
日本の国は平和と戦乱の繰り返しで経過してきた。
明治維新の後、やや平和な大正時代を通し、昭和の初期から太平洋戦争へと戦乱の時代に突入した。
そしてその後また平和な時代に戻ってきた。
しかし、人の心の中には、江戸時代からの平和な考えがずっと続いているようだ。
これからの数十年は、グローバルと言う戦いの時代に突入しなければならないのであるが。
日本国民に大丈夫かと問いたい。
戦う気はあるのか?
疑問。
というより半ば諦めだが。
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