時間が余ると不必要なことが頭を巡り、混乱します。
混乱ついでに記載したら更におかしくなりますなぁ。
しょうがない。
ニュースで見た「女性の国会議委員比率を30%以上にする目標」という記事がありました。
そもそもそれってどういう意味でしょうかね?
もしかしたら女性は劣ってるから目標を立てて対策しないとできないくらい能力が低いと言う意味でしょうかね?
自然に放っておいたら男女の区別なくやりたい人はやりたい事をできるとは言えない?
「目標」って掲げないといけない何かが必要?
私にはやりたくないことでも「目標」だからやれってことのように感じる点もあるのですけれど。
或いは現状の環境で女性が男性と比較して議員さんになりたいけれど議員になれない特別な要因があるのですか?
今は過去の習わしと言えるような文化から大きく変化して、出産・子育て以外ではあまり大きな違いが無くなってきているように思うのですが。
私には「女性が」「女性を」「女性に」などという表題(言葉)を聞けば聞くほど、その方向は性別による優劣を奇妙に取り繕った考えであり、それってむしろ女性蔑視思考を助長してると感じます。
むしろ、生物学的に考えたらメスの方がオスよりも生物としては有能な存在だと学んでいます。
哺乳類の「オス」は身体が「メス」より大きくテストステロン(男性ホルモン)が多い所為で随分と凶暴というだけのお粗末な存在だと思いますがね。
男性ホルモンは何故「男性ホルモン」という名前にしたのでしょうね。
「凶暴化ホルモン」は言い過ぎか、「活動化ホルモン」くらいではダメなのでしょうかね。
女性も少量であっても持ってるホルモンなのでしょうから。
でもって議員の話に戻って、
女性の国会議員30%と言っても、女性なら誰でもいいわけではないですよね。
そう考えていったら
むしろ若年層(若い世代の人達)の議員が少なくないですか?
だからと言って若ければ良いというのではない事はわかります。
でもどうしてこんな高齢者が良いのだろうか?と思う人の方が多いと感じます。
政治に浸った経験が多いからですか?
しかし経験ということの本質は その世界に入り込んで 実際に自分の目で見て身体で傷を受けて初めてわかる体験知の方が多いとも感じます。
でも、政治家さんは多くの人を下目線で見他だけで判断を下してませんか?
ならば誤った経験値も多々あるのではないでしょうか?
例えば過去歴史上を見返しても、支配者は庶民の考える希望の本質を 必ずしも正確に把握してるとは思えなく、むしろ逆に解釈している傾向が多いのではないか?と。
そういう見方をすると経験値で考えるという意味も怪しいと思います。
私にはもっとハキハキして判断力と頭脳明晰な人が政治家をやったらいいんじゃないかと思える時が多々あります。
「女性が少ないから政治が良くならない」と思うよりも、「なんだかもう辞めたらいいのにと思う年齢の政治家が多くて改善に向かわない」という気がします。
歳を取らないと政治家はできないのでしょうか?
もしそうなら、恐らく、利権まみれの魑魅魍魎な政治の世界だという事を認める必要を感じます。
みんな口先だけで「政治は魅魍魎な世界」とは言っているのを聞きますが、だから何かそれに行動を起こしてない。
従って、政治はドロドロした私利私欲と利権とヤクザな世界のまま。
({ヤクザ}という言葉に関して。使ってはいけない言葉が存在するというのもなんだかオカシイと思います。言葉は必要から生まれてるはずでは無いんでしょうかね?ただ、使う場合の感情移入のあり方に奇妙な利害、違和感が発生するのは感じますけれど)
女性が居たら優しい世界に変わると言いますが、
どちらかと言うと、女性自身ですら普通であれば政治家なんて「やりたいとは思わない」
国会議員をやりたいと思う人は、利権を求め、金券欲の高い人な気がします。
(女性を利用して思惑を達成しようという男性たち)が女性を差別してる意識があるから女性議員を増やそうという考え方が発生してるのではないですか?
或いは
全く別の角度で考えてみて
女性の社会進出自体は、それはそれでイイ部分があると思うのですが、
他方で、「出産人口が減ってる」、「人口減が激しい」のも事実。
それはつまり、出産と言う大事業をできる環境にしたいと思える環境が消えていってるのではないでしょうかね。
子孫の存続は哺乳類のDNAに刻まれた本能だと感じます。
しかし当然 個体差はありますね。
また、残念ながら出産は女性でないとできない一大事業です。
私の感覚なら、一人出産して成人まで育てたら一億円の人口増手当を上げても良いくらいにしても良いくらい大変な事業。
男性にはその特権は無い、ということです。
別に出産したく無い人はしなくていいです。
何故、人口増を目指すのか?
それはひとえに、人口が国の強さに繋がるからでしょ。
今の世界観としてはそういう環境になってませんかね。
国という単位の文化経済圏を安定させるのがそこで暮らして行くのに平和でイイからでしょ。
こういう意識はAIやロボットには理解できないでしょうね。
最近「人材不足」という言葉がありますが、「人材が不足しても優秀なロボットがあるからイイや」と言えない気がするからです。
今の時代はどんどん機械の世界に近づいています。
放っておいたら、先進国からそうなるでしょう。
人が一人でも生きていける経済を持ってしまうと「何故、(子孫繁栄)が必要なのか?」と考えるようになりませんか?
私は私だけで完結して終わりでいいじゃないか?と。
でも、後進国はそれを拒否してるがします。
生きる為には多くの労働者が協力し合い生産物を増やし交換しあって生きなければ成り立たないから子供をたくさん産むのが正しいと感じるのでは無いかしら?
そうなると結局は後進国家の台頭は人口が強さとなり得るからです。
国はどんどん発展し、そしてやはり繁栄を手に入れると、どうして自己だけの世界で一生を終わらせていけないのか?と。
若者が感じるのは
「もう既に全てが機械でいいのでは無いのか?」
「機械だけの世界では戦争は意味がない行為である。だから戦争は存在しなくなる。戦争をするのは人間だ。戦争を無くすなら人間が消えればいい。人間の欲望は生命体の中では不必要に巨大すぎているから」
にたどり着くように感じます。
話を元に戻します。
多くの女性が活躍するには、一方でその多くの女性は出産を放棄する結果に近くなると感じます。
何故なら、活躍するということは随分な労力を使わないといけない。
片手間でパートで政治をするのは重要度が合わないでしょう。
「出産育児の片手間で国会議員の仕事をやろう」という意識でできる行為には思えないです。
そんな簡単な仕事ならば、むしろ若い学生にでもさせたらいかがでしょ。
むしろ 頭脳明晰な若者が政治をやれば、我も我もと活気付いてきませんか?
当然、過去の失敗に追従してしまわない為の老人は一定数は必要でしょうけれど、それはデータくらいで良かぁないですか?
私には老人たちがやってる今の政治対策が理解できない、奇妙な事ばかりに感じて。
いつまで「死にかけの老人」だけの選挙で選んだ「死にかけのゾンビ達」を大事な国の舵を取らせてるのか?
今の政府、内閣などをみてると、この国の境遇が沈みかけの古い帆船を見てる様で痛々しい気がします。
パイレーツカリビアンの映画のゾンビの乗ってる船のごとく、です。
ならば、せめて若者はそういう船には乗せたくない。
若者から高額の年貢をむしり取ろうとしているゾンビ達から逃してやらねば。
私の子供達にはそうしてやらねば、という考えが毎日湧いてきてる今日この頃です。