家柄・・・好きな言葉ではない。
生まれた家で全てが決まる、
人の能力や可能性を全て否定してしまう、
そんな言葉だ。
でも年取って家柄って意味が少し分かって気がする。
6/16のエントリ書いてて思ったのだ。
会社経営者や政治家等の人の上に立つ人間ってのはそれなりの収入を得て裕福である。(もちろんそれに見合う責任と仕事があっての事。)
余裕の有る時間やお金は子供の教育に当てることが出来る。しかも子供達は親がいかに人を使い仕事をしていくか間近で見ることが出来る。
子供達は高度な教育を受け、人を使うことを覚える。そして大人になり人の上に立つ仕事に就くようになる。こうした事が家柄なのかと思えるようになってきた。
勉強は努力すれば貧富の差が無く可能だと思う。ただ人を使う経験や能力を育てる機会は必ず誰にでもあるとは思えない。例えば町工場の社長の子供だって普通のサラリーマンの子供より人の上に立つって事の経験は多くつめるだろう。
もちろん例外はあるだろうし、貧乏でも人の上に立てる人間もいる。ただ、それなりの家柄に生まれた人間の方がより有利なのは間違いないだろう。
昔に比べてそうした”家柄”が無くなってきたのだろうか?
人の上に立つべき人間が立ってないような気がするのは自分だけだろうか?