旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

東京は丸の内界隈で

2007-02-16 06:12:31 | 日々雑感
昨日は久しぶりの東京出張。千代田区大手町のM社~総務省と回ってきた。その後は、新丸の内センタービル内の居酒屋『かこいや』で懇談。東京駅のまん前のこのビルは、新幹線で帰るこちらにとってはすごく便利な場所にある。(書籍販売のMARUZENが、かなり広いスペースで売り場展開をしている。)

オフィスビル内のワンフロアに入っている飲み屋さんに行くにはエレベーターで上がるのだが、どうも気分的にしっくり来ない。仕事なら仕事、飲むなら飲むで、最初からそのモードで行きたいのだが、「仕事にいく気分を経て飲みに行く」では落ち着きがいまいちということになる。

丸の内のビル街から東京駅に向かう人々の群れを見て、思い出した。それは中原中也の詩。ぞろぞろ、ぞろぞろ・・・というやつ。

     ***

                 中原中也  [1907-1937]

     永訣の秋

   正 午
   丸ビル風景

  あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
  ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
  月給取の午休み、ぷらりぷらりと手を振つて
  あとからあとから出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
  大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
  空はひろびろ薄曇り、薄曇り、埃りも少々立つてゐる
  ひよんな眼付で見上げても、眼を落としても……
  なんのおのれが桜かな、桜かな桜かな
  あゝ十二時のサイレンだ、サイレンだサイレンだ
  ぞろぞろぞろぞろ出てくるわ、出てくるわ出てくるわ
  大きなビルの真ッ黒い、小ッちやな小ッちやな出入口
  空吹く風にサイレンは、響き響きて消えてゆくかな

     ***

この詩に引きずられ、またまた思い出した。こちらの方は、わたしが高校一年生のときに国語教師であった丹野先生が授業の前に黒板に書きだし、教えてくれた詩である。以来、わが愛唱歌ならぬ愛唱詩となったもの。

     ***

   月夜の濱邊

  月夜の晩に、ボタンが一つ
  波打際に、落ちてゐた。
  それを拾つて、役立てようと
  僕は思つたわけでもないが
  なぜだかそれを捨てるに忍びず
  僕はそれを、袂に入れた。
  月夜の晩に、ボタンが一つ
  波打際に、落ちてゐた。
  それを拾つて、役立てようと
  僕は思つたわけでもないが
    月に向かつてそれは抛れず
    浪に向かつてそれは抛れず
  僕はそれを、袂に入れた。
  月夜の晩に、拾つたボタンは
  指先に沁(し)み、心に沁みた。
  月夜の晩に、拾つたボタンは
  どうしてそれが、捨てられようか?



   『山羊の歌』

   汚れつちまつた悲しみに……

  汚れつちまつた悲しみに
  今日も小雪の降りかかる
  汚れつちまつた悲しみに
  今日も風さへ吹きすぎる

  汚れつちまつた悲しみは
  たとへば狐の革裘《かはごろも》
  汚れつちまつた悲しみは
  小雪のかかつてちぢこまる

  汚れつちまつた悲しみは
  なにのぞむなくねがふなく
  汚れつちまつた悲しみは
  倦怠《けだい》のうちに死を夢む

  汚れつちまつた悲しみに
  いたいたしくも怖気《おぢけ》づき
  汚れつちまつた悲しみに
  なすところもなく日は暮れる……

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