大崎市西古川地区に鹿嶋山観水寺(かしまざんかんすいじ)なるものがある。
あると言っても、現在は御堂ひとつに赤い小さな鳥居がくっつくように建ち、数本の杉、やや離れて文人木風の赤松1本しかない。
すぐ脇は白菜が植えられていたらしい小さな畑。前方は水田となっている。
しかし、案内板を見て驚いた。
往時は、松島の円福寺(現在の瑞巌寺ずいがんじ)に比肩するかなりの規模のものだったらしい。
この地に、これほどのものが存在していたとは・・・。
それを支えうる経済規模、人口集積などが、この地にあったということになる。
かつての伽藍の配置などはどのようなものであったのだろうか。
源頼朝の奥州攻めで焼き払われ、再興なるも伊達政宗の侵攻による大崎氏滅亡とともに、歴史の水底に沈んでいったこの観水寺。
木枯らしの声が、やけに心に沁みる。
▼ポツンと建つ千手観音堂(所在地:宮城県大崎市古川耳取字金穂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b9/0626f8368d50c6917b95428af4e08b94.jpg)
▼はるか彼方の東門があったところ(杉木立の箇所)。千手観音堂からの同距離に西の門があったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/44/bbf76353183029432667fb96e8a2e956.jpg)
▼案内板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f7/88b42b119172a2fc1cf7b31e2e1e6ab4.jpg)
▼芭蕉の句碑(草枕犬もしぐるるか夜の声 ばせを翁)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/26/ba/45d74fef99e1be9411864371b67b4b3e.jpg)
あると言っても、現在は御堂ひとつに赤い小さな鳥居がくっつくように建ち、数本の杉、やや離れて文人木風の赤松1本しかない。
すぐ脇は白菜が植えられていたらしい小さな畑。前方は水田となっている。
しかし、案内板を見て驚いた。
往時は、松島の円福寺(現在の瑞巌寺ずいがんじ)に比肩するかなりの規模のものだったらしい。
この地に、これほどのものが存在していたとは・・・。
それを支えうる経済規模、人口集積などが、この地にあったということになる。
かつての伽藍の配置などはどのようなものであったのだろうか。
源頼朝の奥州攻めで焼き払われ、再興なるも伊達政宗の侵攻による大崎氏滅亡とともに、歴史の水底に沈んでいったこの観水寺。
木枯らしの声が、やけに心に沁みる。
▼ポツンと建つ千手観音堂(所在地:宮城県大崎市古川耳取字金穂)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/05/b9/0626f8368d50c6917b95428af4e08b94.jpg)
▼はるか彼方の東門があったところ(杉木立の箇所)。千手観音堂からの同距離に西の門があったという。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6d/44/bbf76353183029432667fb96e8a2e956.jpg)
▼案内板
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/52/f7/88b42b119172a2fc1cf7b31e2e1e6ab4.jpg)
▼芭蕉の句碑(草枕犬もしぐるるか夜の声 ばせを翁)
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平泉が世界遺産登録になって当地にある観水寺を検索して発県しました。近所に剣神社あります。古里再発見という冊子もございます非売品ですので差し上げますので下記に問い合わせをお願いします。
大崎市古川保柳字氏子202
西古川地区公民館
℡0229-26-2118