旅する心-やまぼうし

やまぼうし(ヤマボウシ)→山法師→行雲流水。そんなことからの由無し語りです。

タヌキに

2010-01-13 22:02:49 | 日々雑感


(フリー画像サイト)

仙台市八木山動物公園サイトからコピー転載)



今朝も見てしまった。タヌキの死。

場所は、仙台方向から国道4号を北上した大崎市三本木地区の片側2車線路。多数のカラスが群がり、道に横たわったタヌキの死骸をついばんでいる。赤い内臓が引き出されている。

“可哀そうに!!”

しかし、カラスの側にしてみれば、久しぶりにありついた新鮮な肉。
「これがなければ、この寒空のもと、飢え死にしていたかもしれない。それに、自分だって、死ねば他の生き物の餌になる。」と言いたいところだろう。

かの小野小町だって詠んだではないか。 ※以前の記事は ⇒ こちら
   吾れ死なば 焼くな埋(う)むな 野に晒(さら)せ 痩(や)せたる犬の腹肥やせ   
                               (小野小町)
    
そんな思いを持ちながら、先行く車同様、そこを避けながら通過した。

    *

ところで、タヌキはどうして頻繁に交通事故に遭うのだろうか?
昨秋には、同じ朝に4匹もの事故死を見てしまった。それも、よく見通しのきく、交通量も結構ある場所で。

「当地域に観光でお越しの際には、タヌキを事故死させないようにお気を付けください。なにしろ、人慣れしていない純朴なタヌキたちばかりですから。」
こんなことを、仙台市内の会合でしばしば話した。

県猟友会の方にあったときに、こんな質問をしてみた。
「どうしてタヌキは交通事故に遭うのか。キツネは遭わないのに。」
「ヘッドライトの光を当てられると、キツネはすぐ逃げる。しかし、タヌキは立ちすくんでしまうから。」
すっきりと納得のいく回答。頭を抱え込んで立ちすくむタヌキのイメージが湧いてきた。

とはいえ、やはりタヌキの純朴さのなせる行動のような気がして、愛らしく、また気の毒にも思えてしまう。

タヌキも人も、“立ち止まって考える”よりも、“歩き(走り)ながら考える”方が良い世の中なのだろうか?


ウイキペディアに面白い解説が載っている。 ⇒ こちら 
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