南国の遊び部屋

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遊び部屋ですから(笑)

戦国無双3・長政&市&家康&半兵衛&慶次 (姉川の戦い)

2010-07-09 | 歴史(戦国・維新・島津など)
戦国無双3・長政(四話)、市(三話)、半兵衛(二話)、家康&慶次(一話)は1570年の 「姉川の戦い」です。


1564年、斎藤龍興の家臣・竹中半兵衛が、稲葉山城を奪取しますが、半年後に龍興に返還した半兵衛は斎藤家を去り、北近江の浅井配下の城主堀秀村の家臣 樋口直房の食客(居候)になっていました。

信長の重臣滝川一益の一族であった前田慶次(前田利益)は、前田利家の長兄・前田利久の養子でした。
1567年に信長より、「利久に子が無く、病弱のため「武者道御無沙汰」の状態にあったから」(村井重頼覚書)との名目によって利久は隠居させられ、利久の実弟・前田利家が尾張荒子(約4千石)を継ぎ、慶次は養父に従って荒子城から退去しました。

1567年、信長は念願の美濃国を手中にし、稲葉山城を岐阜城と改名し居城とし、、「天下布武」の朱印を用いるようになります。
1568年に信長は足利義昭を奉じて上洛し、織田・浅井長政軍が京都に到着すると、三好義継・松永久秀らは信長に臣従し、他の三好三人衆に属した勢力の多くは阿波国へ逃亡しました。

1570年4月、信長は度重なる上洛命令を無視する越前国の朝倉義景を討伐するため、徳川家康の軍勢とともに越前国へ進軍を開始。
長政は義景との同盟関係を重視し、織田徳川軍を背後から急襲。
挟撃された信長は金ヶ崎の退き口または金ヶ崎崩れとも呼ばれる撤退戦で、殿を務めた池田勝正・明智光秀・木下秀吉・徳川家康らの働きもあり、なんとか京に逃れました。
長政は美濃への帰国ルートを遮断しましたが信長は千種越えで伊勢から美濃へ戻りました。

岐阜に戻ると信長は、この報復戦のために軍備を整え北近江へ出陣しました。
1562年に信長と清洲同盟を結んだ家康は1566年までには三河国を統一。
1568年の武田信玄の駿河侵攻を機に武田氏と敵対。
信長との間に対立を深めた足利義昭は家康にも副将軍への就任を要請し信長包囲網の協力を求めますが家康はこれを黙殺し、朝倉義景・浅井長政の連合軍との姉川の戦いに参戦し、信長を助けました。


前田慶次の章・オープニング・ムービー

姉川で悪戦苦闘している前田利家の頭上を松風?に乗った慶次が飛び越え前線に突き進んでいきます。

織田軍兵士「慶次殿に続けー!」

息を切らしている利家でしたが、ライバル?の慶次の姿に
利家「気合負けしてられっかよ!」

慶次「利家の叔父御が、追ってきてくれてるかい」
「んじゃ、俺はもっと先に行かねえと!」
「叔父御がどこまでも駆けてこられるように」
「もっともっと先で立ってねえと」


織田・徳川の連合軍28,000と、浅井・朝倉同盟軍18,000が琵琶湖へ注ぐ姉川を挟んで戦い、徳川軍は朝倉軍と、織田軍は浅井軍と対峙しました。


信長「我が歩みを阻む者に、容赦はせぬ」
「たとえ義弟、妹であろうとな」
「浅井を屠れ、朝倉を潰せ、両軍を根絶やしにせよ」

長政「朝倉を救えるのは、それがししかいないのだ」
「義兄上、ならばそれがしも全力で参りますぞ」

秀吉「半兵衛、頼む。お前の知恵にかかっとるんじゃ」
半兵衛「寝て暮らせる世のため、やってはみますけどね。」

半兵衛「やあ、樋口さん、久しぶりに会えたのに残念だな」
「信長様、浅井を潰すって本気でさ。最後のお別れだ」

樋口直房「待ってくれ、半兵衛殿。わしは織田に寝返るぞ!」
「半兵衛殿、他にも織田に降りそうな者がいるのだ」

金ヶ崎から撤退し美濃に無事に帰国した信長に対して長政は、近江と美濃の国境の長比城などの改修・強化を配下の堀秀村に要請していました。
信長は秀吉に、堀秀村の家臣・樋口直房の長亭軒城に隠棲していた半兵衛を誘降させ、さらに直房は半兵衛の調略に従い浅井側から織田方に転身、主君・秀村を説得し、織田方へ寝返らせました。

浅井氏の本拠である小谷城を見た信長はその堅牢さに攻城戦を諦めて、野戦で決着をつけようと考え、小谷城下に火を放ち、長政を挑発しましたが、長政は動きませんでした。

6月24日小谷城の支城・横山城を攻めるため信長は竜ヶ鼻に本陣を移しました。
長政は横山城を攻める織田軍を一望できる大依山に8千の兵と共に布陣しました。
この頃越前から朝倉景健軍1万が援軍に到着しました。
この日徳川家康軍5千も織田の援軍として到着しました。
浅井・朝倉側にも野戦には慎重論がありましたが、横山城は近江から越前に通じる要路にあり、27日早朝浅井・朝倉軍は大依山を降り始めました。


朝倉義景「なんと? 我らが敵は、みすぼらしい徳川の小勢か」
「由緒正しき朝倉軍の威容、嫌と言うまで見せつけよ」

朝倉義景は一族の朝倉景健を総大将とする兵を派遣しました。

28日まだ夜も明けきらない午前4時ごろ姉川を挟んで家康の正面にあたる三田村へ景健軍1万が、竜ヶ鼻の信長本陣と美濃衆の正面・野村へは長政が移動しました。


家康「ならば、三河武士の意地でお相手いたそう」

午前6時ごろまず三田村で徳川軍と朝倉軍の戦闘が始まりました。数に勝る朝倉軍は槍衾を作って姉川を渡り徳川軍に襲い掛かりました。


秀吉「徳川にゃ割に合わぬ戦じゃろうに、難儀じゃのう」


石川数正「我らは朝倉の大軍に当たり、織田の敵は小勢の浅井」
「これでは我らは織田の捨て駒ではありませぬか」
家康「勝てばよい、勝てば捨て駒にはならぬ。皆、頼む」
半兵衛「でも家康殿の名を上げる好機だよ。俺も手伝うしさ」


慶次「ここらで景気づけだ。派手に暴れてやろうか!」

利家「慶次…てめ、好き勝手やってりゃいいンじゃねえぞ」
慶次「手前の落とし前くらい、手前でつける」
「でなきゃ自由にはなれない…わかってるさ、叔父御」

「花の慶次」にもありましたね。
傾奇者には傾く(かぶく)自由がある代わりに命をかけるリスクがある…みたいな。


利家「槍の又左ったあ、俺のことだ!」

青年時代の利家は血気盛んで槍の又左衞門、槍の又左などの異名をもって呼ばれていました。
姉川の戦いでは浅井助七郎なる者を討ち取る功績を上げました。


市「お兄様と戦う…ああ、覚悟はできていたはずなのに」

秀吉「お市様を救えるんはただ一人、この秀吉じゃ!」
「長政といても幸せにはなれん、わしと来てくだされ」

市「サル、控えなさい」
「サル、控えなさい」「サル、控えなさい」「サル、控えなさい」
「サル、サル、サル、サル、サル・・・・控えなさい」
…長政様を呼び捨てにしてんじゃないわよ?みたいな(笑)

市「サルの心遣い痛み入ります。ですが…私は大丈夫」
…お市様ぁ(by サル)
・・・ツ・ツンデレですとぉ!?

長政「市、辛いのなら、織田に帰ってくれ」
「だが…もしそなたが望むなら、共にいてほしい」
市「長政様…! 私が一緒にいたいのは…」


榊原康政「殿!お待たせいたした!」
家康「来たか、康政! このまま挟撃するぞ」

徳川軍と交戦していた朝倉軍は数では上回っていましたが、朝倉義景が前線に出なかったため士気に欠け、徳川軍は苦戦しつつも正面突破を強行した本多忠勝や、迂回して朝倉勢を横撃した榊原康政の2将が率いる徳川旗本精鋭隊が加わり、徳川優勢になります。


慶次「悪いがその見せ場、譲ってもらうぜ」
「はっはあ! 一番乗りは気分がいいねえ」


朝倉義景「おのれ、三河の田舎侍が調子に乗りおってからに!」


本田忠勝「本田平八郎忠勝、押して参る!」
朝倉義景「ひぃ、忠勝じゃ!何があろうと近づけるでないぞ」


長政「初めて市に会った時、この手で守りたいと思った」
「その思いは今も…これからも変わらない」
「いつか花一杯の幸せで包むと約束する。だから…」

市「はい、市は長政様と共に生きます。一生、お側に」


浅井側先鋒・磯野員昌率いる浅井家精鋭部隊が織田方先鋒坂井政尚、続いて池田恒興、木下秀吉、柴田勝家の陣を次々に突破し13段の備のうち実に11段までを打ち破る猛攻を見せました。

半兵衛「あーあー長政さん、熱くなって手に負えないよ」
「頭を冷やしてもらうには、やっぱお市さんだよね」
市「長政様は真剣なのに、その態度! 無礼です!」
半兵衛「これでも精一杯働いてるんだけどな、俺なりに」

半兵衛の弟・久作も参陣し、浅井方の勇将遠藤喜左衛門を討ち取りました。

織田側後詰として横山城の抑えについていた稲葉一鉄らが援軍にかけつけ危機を救いました。

信長「余興は終わりだ。浅井本陣を、潰せ!」

家康は榊原康政に側面攻撃を命じ、朝倉軍は総崩れに陥りました。
徳川方に参加していた稲葉一鉄、更に横山城を攻めていた氏家卜全、安藤守就らが織田軍の増援として駆けつけ、浅井軍の無防備な側面を突くと浅井軍も右翼から崩れ始めました。


濃姫「あら、愛する人に添い遂げると決めたのね」
「でも、か弱いあなたにそれができるかしら?」

家康「実家を敵に回さねばならぬ心中、お察しいたす」
市「長政様を選んだのは私。辛くなどありません。」

市「愛する人のため、もっと強くなります」

家康「はかなげであって芯は強い…野に咲く花の如き方よ」

市「浅井を裏切ったお兄様を討ちます」
「浅井の人間として、長政様を支える妻として」


信長「市、うぬが望みは、これか」

信長「その愛、貫いてみせよ」


長政「義兄上はなぜ、浅井との義を破られたのです?」
「天下のためならば、義も契りも世迷言に過ぎぬと」

信長「そうだと言えばどうする? 信長を蔑むか」
長政「いいえ。それがしは、信じる道を行くのみです」



家康「その真っ直ぐな生き方は羨ましいが」
「わたしには家臣や民がいる。垣間見た夢がある」


半兵衛「勝敗は見えてるはずでしょ?」
「信長様に許しを請うのが利口だと思うけど」
長政「利口に生きられれば義兄上を敵に回したりはしない」
「愚かなそれがしだからこそ、義景の味方になれる」

半兵衛「長政さんみたいな人が馬鹿を見ない日が来るといい」
「つまりは寝て暮らせる世…なんだよね」


長政「朝倉殿を見捨てられず、義兄上に刃を向けた」
「それがしは愚か者だ。だが、後悔はしてはいない」
慶次「あんた男だねえ。 気に入った! 手合わせ願おうか」


秀吉「朝倉への義理は立った、ここらでええじゃろ?」
「お前が朝倉を思うほど、朝倉はお前を思うておらん」

長政「当主として盟友を見捨てるなどできぬ」


信長「うぬが行く道は修羅」
「進め、足掻け、そして信長を愉しませよ」


長政「市、大丈夫か! どこも怪我はないな」

市「はい、長政様」
「どんな辛いことも二人なら乗り越えていける…必ず」


午後2時ごろ浅井・朝倉軍は小谷城目指して敗走を始め、織田・徳川軍は小谷城下まで追撃しましたがそれ以上の深追いはしませんでした。
戦闘は午前5時に始まり午後2時まで続いたと伝えられており、死者は浅井朝倉方で1800人、織田徳川方で800人と推定されています。


この戦いには敗れましたが、この時点では浅井・朝倉連合軍にはまだ余力は残っており、比叡山の僧兵と手を結び、さらに甲斐の武田信玄や本願寺顕如らと組み信長包囲網を形成していきます。



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