1876年から始まったといわれる宮崎神宮大祭(御神幸祭)が2009年10月31日と11月1日の2日間にわたり開催され、10月31日(土)13時から開始の往路の御神幸行列(宮崎神宮から瀬頭御旅所まで)を見物に行きました。
(瀬頭と大淀の御旅所(隔年で交替)
11月1日(日)は復路の御神幸行列(御旅所から宮崎神宮)が行われます。
高速道路宮崎ICで下りて北上します。
(小林ICから宮崎ICまで64km 35分、宮崎ICから宮崎神宮まで10kmでした)
古事記、日本書紀において日本の初代天皇とされている神武天皇を祀る神社です
御祭神:神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)=神武天皇
地元では「神武さま」と呼ばれ親しまれています。
10月26日は10時から宮崎神宮内で例祭(本宮祭と称される)が催行されます
鳥居-参道-境内-神門-拝殿など神宮MAP
木々に囲まれた静かな参道・境内
鯉のいる神池や護国神社や五所稲荷神社に通ずる道があります
拝殿
拝殿の奥で神事が行われていました
清められた聖なる馬でしょうか
鳥居から出てすぐの広場(御神幸行列のスタート地点)に全員集合です
都城山之口の弥五郎どんの小さい方
11月3日の弥五郎どんまつりには大きい方が練り歩きます
この牛も山之口町のもので中原太郎踊りのものらしいです
行列開始前に記念撮影されていました
先導役の人達と真ん中の髭の人は「おきよ丸」の神武天皇
獅子舞の人たち(大人によるものと子供によるものがあるそうです)
神輿系の方々がサラシを巻いたりしてます
そろそろ出発です
御神幸行列の前半に登場する御獅子にる舞いがまず始まりました。
行列が進んでいくと、所々のポイントで舞いが行われていました。
宮司っぽい方々がまず進んでいきました
平安ぽい方々による笙(しょう)、竜笛(りゅうてき)での雅楽の演奏
雅なドラというか、極楽太鼓?
地元の女の子による稚児行列
可愛いですね
平安時代の公家の衣装の方々による奉納品の行列
御鳳輦(ごほうれん)という神輿は1909年に新調され、この中に「神武さま」が乗って往復します
この御鳳輦(ごほうれん)を頭上に持ち上げている間に潜り抜けると縁起がよいとのことで、希望者が後から後から並び、担ぐ人は大変そうでした
御獅子かまれると病気にならないという言い伝えがありますので大人が子供をかませようとしますが・・・・
うちの次男(6歳)は喜んでかまれに行きました(笑)
錦蓋(きんがい:御霊代、御帳台、の上を覆う晴天用)と菅蓋(かんがい:錦蓋と同じ用途で、雨天用)
天皇が晴天時雨天時に使用される笠(おおい)という話も
男稚児行列もありました
神武天皇祭(4月3日:神武天皇崩御の日)に昭和15年の紀元2600年奉祝行事の一環として古儀に則り復興され宮崎神宮境内で神事流鏑馬が行われています。
流鏑馬武者行列の武者の衣装は鎌倉時代の装束です。
1940年より流鏑馬武者行列が御神幸行列に登場したとのこと
ところで鹿児島県大隈郡肝属町高山の流鏑馬は中学2年生が行いますが、宮崎では大人がするのでしょうか?
女の子による獅子舞も
ここからは神賑行列となります。
神武こども太鼓がきました
子供でも上手でした
古代の衣装をきた方々の長い行列が続きます
2005年から登場の古代船「おきよ丸」です
神武東征の神話を基に西都原古墳群から出土した舟形埴輪をモデルに作製されたそうです。
神武天皇や妻の阿比良姫などが乗船しています
『神皇正統記』に神武天皇が「日向の宮崎の宮」から東征したと記すように、中世には東征以前に宮崎に帝都があったとする説もあるようです
宮崎日向(ひむか)木剣踊り
優雅に踊りつつ、木剣の「カチャッ カチャッ」という音が響きます。
11月3日に浜下りする、都城市山之口の弥五郎どんです
触ると丈夫になるとのことで、触りに集まってます
天狗さんが2人続いていました
「正近(まさちか)棒踊り」は都城市山之口町大字富吉地区に伝わる踊りで山之口弥五郎どん祭りの郷土芸能奉納でも行われるようです。
島津藩主が、農民にも武道を教えたときに始まるといわれ、的野正八幡宮に奉納して悪魔を払い五穀豊穣を祈願し、地区民の安全、息災と繁栄を願ってきた農耕神事です。
鹿児島県でも棒踊りが残っていますが、前後・左右と向きを変えつつ剣を交えていく結構大変な踊りです
桑原奴踊り (くわばるやっこおどり) も都城市山之口弥五郎どん祭りの郷土芸能奉納で行われています
奴は足軽の意味ですが、島津義久によって戦勝祝いの踊りとして始まったとか,兵士の士気を鼓舞するための踊りなどいろいろ説があります。
春の御田植祭や四季の水神祭りに奉納される風流踊りで、木城町寺迫(12月16日冬祭りに奉納)、高岡(去川奴踊りなど)・高城・都城地方、西諸県郡地方や、三股町(早馬祭り)など宮崎県各地で伝えられているようです。
鹿児島県でも各地に残っています。
お賽銭を沿道の人が入れます
これもまた、都城市山之口に伝わる中原太郎踊り(なかばるたろうおどり)です。
牛を囲んで農作業道具を持って、五穀豊穣・無病息災を祈願しての踊りです。
1949年から始まったミスシャンシャン馬が登場しました。
シャンシャン馬は鵜戸(うど)神宮(宮崎県日南市)へ参拝する新婚夫婦が乗っていた馬のことです。
シャンシャン馬道中(3月末の日曜日):鈴を付け鞍に赤い毛布を敷いた馬に花嫁を乗せて、花婿は手綱を取って青島から七浦七峠という難所含みの日南海岸道中を往復し参詣します
2001年からは協賛企業の女子社員が「ミスシャンシャン馬」として選出されているようですが、みなさん非常にきれいでございました
11月6日(金)~8日(日)開催の「椎葉平家まつり」(宮崎県東臼杵郡椎葉村)のPRです
山深い椎葉村に都落ちしてきた平氏一門や、平清盛末裔「鶴富姫」と、頼朝に平家討伐を命じられた那須大八郎宗久との出会い・伝説の絵巻行列です
大きな旗とともに・・
神賑行列の締めを飾るJC太鼓がやってきました。
かなりの迫力です!
御神幸行列往路の後(2009年は10月31日(土) 17時~22時)には神武さま広場(橘通り・楠並木通り)で宮崎県内の神楽や雅楽、伝統芸能などが数箇所のステージで同時進行で披露されます
今年は6歳次男と一緒で夜までは見物できないので、御神幸行列見物後、鹿児島へ帰りましたが、今後ぜひ見たいと思います
(瀬頭と大淀の御旅所(隔年で交替)
11月1日(日)は復路の御神幸行列(御旅所から宮崎神宮)が行われます。
高速道路宮崎ICで下りて北上します。
(小林ICから宮崎ICまで64km 35分、宮崎ICから宮崎神宮まで10kmでした)
古事記、日本書紀において日本の初代天皇とされている神武天皇を祀る神社です
御祭神:神日本磐余彦尊(かんやまといわれひこのみこと)=神武天皇
地元では「神武さま」と呼ばれ親しまれています。
10月26日は10時から宮崎神宮内で例祭(本宮祭と称される)が催行されます
鳥居-参道-境内-神門-拝殿など神宮MAP
木々に囲まれた静かな参道・境内
鯉のいる神池や護国神社や五所稲荷神社に通ずる道があります
拝殿
拝殿の奥で神事が行われていました
清められた聖なる馬でしょうか
鳥居から出てすぐの広場(御神幸行列のスタート地点)に全員集合です
都城山之口の弥五郎どんの小さい方
11月3日の弥五郎どんまつりには大きい方が練り歩きます
この牛も山之口町のもので中原太郎踊りのものらしいです
行列開始前に記念撮影されていました
先導役の人達と真ん中の髭の人は「おきよ丸」の神武天皇
獅子舞の人たち(大人によるものと子供によるものがあるそうです)
神輿系の方々がサラシを巻いたりしてます
そろそろ出発です
御神幸行列の前半に登場する御獅子にる舞いがまず始まりました。
行列が進んでいくと、所々のポイントで舞いが行われていました。
宮司っぽい方々がまず進んでいきました
平安ぽい方々による笙(しょう)、竜笛(りゅうてき)での雅楽の演奏
雅なドラというか、極楽太鼓?
地元の女の子による稚児行列
可愛いですね
平安時代の公家の衣装の方々による奉納品の行列
御鳳輦(ごほうれん)という神輿は1909年に新調され、この中に「神武さま」が乗って往復します
この御鳳輦(ごほうれん)を頭上に持ち上げている間に潜り抜けると縁起がよいとのことで、希望者が後から後から並び、担ぐ人は大変そうでした
御獅子かまれると病気にならないという言い伝えがありますので大人が子供をかませようとしますが・・・・
うちの次男(6歳)は喜んでかまれに行きました(笑)
錦蓋(きんがい:御霊代、御帳台、の上を覆う晴天用)と菅蓋(かんがい:錦蓋と同じ用途で、雨天用)
天皇が晴天時雨天時に使用される笠(おおい)という話も
男稚児行列もありました
神武天皇祭(4月3日:神武天皇崩御の日)に昭和15年の紀元2600年奉祝行事の一環として古儀に則り復興され宮崎神宮境内で神事流鏑馬が行われています。
流鏑馬武者行列の武者の衣装は鎌倉時代の装束です。
1940年より流鏑馬武者行列が御神幸行列に登場したとのこと
ところで鹿児島県大隈郡肝属町高山の流鏑馬は中学2年生が行いますが、宮崎では大人がするのでしょうか?
女の子による獅子舞も
ここからは神賑行列となります。
神武こども太鼓がきました
子供でも上手でした
古代の衣装をきた方々の長い行列が続きます
2005年から登場の古代船「おきよ丸」です
神武東征の神話を基に西都原古墳群から出土した舟形埴輪をモデルに作製されたそうです。
神武天皇や妻の阿比良姫などが乗船しています
『神皇正統記』に神武天皇が「日向の宮崎の宮」から東征したと記すように、中世には東征以前に宮崎に帝都があったとする説もあるようです
宮崎日向(ひむか)木剣踊り
優雅に踊りつつ、木剣の「カチャッ カチャッ」という音が響きます。
11月3日に浜下りする、都城市山之口の弥五郎どんです
触ると丈夫になるとのことで、触りに集まってます
天狗さんが2人続いていました
「正近(まさちか)棒踊り」は都城市山之口町大字富吉地区に伝わる踊りで山之口弥五郎どん祭りの郷土芸能奉納でも行われるようです。
島津藩主が、農民にも武道を教えたときに始まるといわれ、的野正八幡宮に奉納して悪魔を払い五穀豊穣を祈願し、地区民の安全、息災と繁栄を願ってきた農耕神事です。
鹿児島県でも棒踊りが残っていますが、前後・左右と向きを変えつつ剣を交えていく結構大変な踊りです
桑原奴踊り (くわばるやっこおどり) も都城市山之口弥五郎どん祭りの郷土芸能奉納で行われています
奴は足軽の意味ですが、島津義久によって戦勝祝いの踊りとして始まったとか,兵士の士気を鼓舞するための踊りなどいろいろ説があります。
春の御田植祭や四季の水神祭りに奉納される風流踊りで、木城町寺迫(12月16日冬祭りに奉納)、高岡(去川奴踊りなど)・高城・都城地方、西諸県郡地方や、三股町(早馬祭り)など宮崎県各地で伝えられているようです。
鹿児島県でも各地に残っています。
お賽銭を沿道の人が入れます
これもまた、都城市山之口に伝わる中原太郎踊り(なかばるたろうおどり)です。
牛を囲んで農作業道具を持って、五穀豊穣・無病息災を祈願しての踊りです。
1949年から始まったミスシャンシャン馬が登場しました。
シャンシャン馬は鵜戸(うど)神宮(宮崎県日南市)へ参拝する新婚夫婦が乗っていた馬のことです。
シャンシャン馬道中(3月末の日曜日):鈴を付け鞍に赤い毛布を敷いた馬に花嫁を乗せて、花婿は手綱を取って青島から七浦七峠という難所含みの日南海岸道中を往復し参詣します
2001年からは協賛企業の女子社員が「ミスシャンシャン馬」として選出されているようですが、みなさん非常にきれいでございました
11月6日(金)~8日(日)開催の「椎葉平家まつり」(宮崎県東臼杵郡椎葉村)のPRです
山深い椎葉村に都落ちしてきた平氏一門や、平清盛末裔「鶴富姫」と、頼朝に平家討伐を命じられた那須大八郎宗久との出会い・伝説の絵巻行列です
大きな旗とともに・・
神賑行列の締めを飾るJC太鼓がやってきました。
かなりの迫力です!
御神幸行列往路の後(2009年は10月31日(土) 17時~22時)には神武さま広場(橘通り・楠並木通り)で宮崎県内の神楽や雅楽、伝統芸能などが数箇所のステージで同時進行で披露されます
今年は6歳次男と一緒で夜までは見物できないので、御神幸行列見物後、鹿児島へ帰りましたが、今後ぜひ見たいと思います
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