お給料や賞与以外に、仕事に何を求めますか?
かつて私は、ある学生に「他の人は、お給料以外に仕事に何を求めるものなのでしょうか?高野さんは何かありますか?」と質問されたことがあります。
その女子学生は、4年生の11月くらいに、当時私が勤めていたハローワークに初めて相談に訪れた学生で、公務員を目指して受験できるところは全て応募したけど結局どこにも受からずに、仕方なく民間企業に応募するため、ある企業のエントリーシートを持って渋々相談に来たのでした。
よく話を聴くと、本当は来年もう一度公務員にチャレンジしたいけど、公務員のご両親から、もしダメだったら民間企業に就職するよう厳しく言われており、本音を打ち明けられずにいることが分かりました。
どうやら、ご両親には娘が就職浪人になることに強い抵抗感がある様でした。
そこで彼女は、食品などの検査を専門で行っている企業の二次募集に応募することに決め、いざエントリーシートを書こうと思ったら、その中の一つに「貴方は、お仕事をするうえで給与以外に何を求めますか?」という問があり、今までそんなこと考えたことが無かったと言う彼女は、一体何が正解なのかを聞きに来たという訳でした。
親の仕事観は子に影響するもの?
彼女は、今までは「人のために働くとは?」という問いは何度も考えて来たけれど、「給与(お金)以外の何を求めるために働くのか」という観点では考えたことが無いし、そんな事を聞かれもしなかったと言いました。
彼女の素朴な疑問は、「働いてもらえるものに、お給料以外の何があるの?」という事でした。
つまり、自分の時間と労働力を提供し、その対価としてお給料やボーナスを得る。そのこと以外に、一体何を求め得ようとするものなのか?そして実際に働いている人は何を求め、何を得ているのか?
彼女は、それがどうしても分からないと言うのです。
ちなみに、公務員であるご両親に聞いたら、「給料以外!?そんなの考えても意味ないよ。仕事は嫌でも何でも人の為にしなきゃいけないんだから…。民間ではそんな事にも答えないと就職させてもらえないの?って言うか、労働の対価である報酬が適正かどうかは考える必要はあると思うけどね、云々」という反応だったそうです。
彼女にとって、一番身近な社会人であるご両親のそんな反応を聞くと、彼女の抱いた疑問にも頷けるような気がしたことを今でも思い出します。
価値観は人それぞれです。彼女のご両親のそれをどうこう言うつもりはありませんが、やはり親の価値観は子に影響するのもなのかと、しみじみ思った次第です。
特に仕事観は身近な社会人の影響を受けやすいのではないかと私は感じています。
求めるものと得るもの
冒頭の質問に対し、確か私はこのように答えました。
「いっぱいありますよ。例えばやりがいとか出会いとか、それに新しい情報や知識も得ることが出来るし、役に立てば相手から感謝もしてもらえる。もっと言うと、ある分野に詳しくなると、その事を人に教えることで自分自身の成長にもつながるし、スキルが上がるとより多くの人に喜んでもらえて、そのうえ給料ももらえるんだから、こんなラッキーなことはないと思いますよ。」
すると彼女から、「それは"結果的に"得られることですよね。」と指摘されました。
確かに、私の答は「仕事に何を求めるのか?」ではなく、「仕事から何を得ているのか?」という回答になっていたからです。
彼女の鋭い指摘を誉めた後で、「結果的に得られるものこそ、お金でしかないと思う。」と私は答えました。
感情や知識、情報などは求めていなければ、その価値に気づけない。つまり得ようとしていなければ、キャッチ出来ないと私は思うからです。
求める気持ちがあるからこそ、それを得たという実感が持てると言った方が伝わるかもしれません。
それに対して、給与はどうでしょうか。
もちろん誰もが求めていることに違いはありませんが、仮に求めずとも一定の労働にはそれに見合う報酬が支払われます。しかも、給与は仕事に対する思い入れには比例しません。
例えば今月は真面目に取り組んだから給料が増えた!なんてあり得ないですよね。
そして、いくら多くを求めても、その通りになる事もありません。
給与は、労働時間やその人の能力、経験則等に対する報酬であり、雇用契約に基いて毎月支払われます。その人がどんな仕事の仕方をしても一定の条件を満たせば”結果的に”得ることができるのです。
”労働の対価”になるもの
そんな話をすると、彼女は「お金を多く求めるつもりはありませんが、やりがいや成長といったことも労働の対価、つまり求めるものになるということですか?」
「私は、どんなふうに人の役に立つかは考えて来ましたが、その見返りに何かを求めようは思わないし、真面目に働いて、それに見合うお給料をいただければ、それ以上は望むべきでないというか…」と言いながら考え込んでしまいました。
そこで私は、「では、仕事で成果を出した自分を”よくやった”と誉めてほしいとは思いますか?」という質問をすると、彼女は即座に「はい、誉めてほしいです!」と返答したので、「それは求めるものにならないのですか?」と返すと、「・・・あっ、そういうことか・・・」とつぶやいた後に、すこし笑ってこう言いました。
「誉めてもらうことも”対価”に入れてもいいんですね。」
その後、本題のエントリーシートの問に話題を移すと、もう私がアドバイスする隙もないくらい”求めること”を書き連ねた後に、「最初は高野さんの言うことが正直よく分かりませんでしたが、こんな風に考えると、案外いろいろあるものですね。」と嬉しいフィードバックをくれました。
価値観は人それぞれです。彼女の考える”労働の対価”についてどうこう言うつもりはありませんが、その後の会話の中で、どうやら彼女は、仕事そのものが尊いものであり、与えていただくものであり、誠実に向き合うもののように捉えていたことが分かりました。
つまり、そもそも仕事をさせてもらう事自体が有り難いことなのに、そのうえ何を求めようと言うのか。という考え方だったのです。
それには特に、法務省で働く国家公務員の父親の仕事観が強く影響している様に思えました。
私が彼女に伝えたかったのは、仕事をすることで自分が得たいものを求めることは決して悪い事ではないし、むしろ何を求めようとするのかを自分に問うことは、仕事に忠実に向き合うことになるのではないか、ということでしたが、私も改めて”労働の対価”について教えられた、彼女との出会いでした。
そして彼女は翌年、県の職員に合格したのです。
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