ローマ教皇フランシスコさまがサッカーの大ファンだったことが、昨日ネットで流れていました。そうですね、アルゼンチンの言えばまさにサッカー王国です。とても人間味あふれる記事なのでうれしく拝読しました。そして、今日はガザ地区のキリスト教教会の中のカトリック教会へ毎晩電話をされていたことが記事にありました。19日は1分ほど話されたとか。ごく少数のカトリック信者のために電話をされていたという話です。宗教問題は難しいですが、涙が流れてきました。5月の風のようにさわやかに神のもとに召されました。
教皇様の失恋のお話も読みました。そういうお話があるということがうれしかったです。そこからなんで最後から2番目の恋に飛ぶかというのですが、なんで最後から2番めなのでしょうね?ドラマの解説によると、亡くなられた奥様との恋が最後の恋であることは変えられない。でも、今、目の前の恋は恋として認めて向い合いたい、だとか。亡き妻はずっと恋人で妻で愛しているけれども、今の気持ちが恋でないとしたら・・・。複雑な男心なのでしょうか?女性はそれほどデリケートでもない気もしますが。いや、そうではない・・・かもしれませんね。
最後でも最後から2番めでも3番目でもいいではありませんか。しょんぼり生きていられるよりもずっとうれしく思います。良かったわね、そんな方に出逢えて、と祝福です。具体的な人でなくても、憧れでも秘かに秘めた恋でも。大人の恋は一味違う気がします。
「死」とは「昇華」である。そんな風にも思います。
2019年11月29日撮影
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