等伯展に行って
それなりによかったけれど
こういう美術的な芸術作品は
保存のために
収蔵庫とか美術館に保護されて
全く様相が変わってしまう
それは仕方がないことなんだけれど
はかないなあと思う
私が若者だったとき初めてこの絵を見に行ったとき
夕日が智積院の大書院の前の池に反射して
これらの障壁画に揺らめきながらあったっていたのでした
障壁画は
いわば
インスタレーション
(展示空間そのものを芸術的に構成してみせる現代アートの手法)
だよなあ
と思う。
収蔵庫で見ると
それは別物?
今、智積院の大書院にはすさまじいレプリカが飾られているし
余計そういうことを感じる
もう
特定の空間の中で鑑賞することは出来ない
仏像などもそうだ
前に拝観したときは暗いお堂でご住職の話を聞きながら拝観したのに
次回行ったら
ご住職は亡くなり
仏様は耐火式の倉庫に入ってたなんてよくある
(これは千葉の蓮蔵院というところにある鉈彫りの聖観音様のこと
これカヤの木さんで出来てる!)
翻訳の本を読んでも感じる
その土地のいろいろなことが不明なまま読んでいると
実は
全く異質のものを読み取ってる
芸術ははかないけれど
????
と探っていくのは面白くもある
存在する
ということなのでしょうか
目の前にいる人も
他の人が見るのとは
全く別の面を見ているのかもしれません
また
時が違えば
別の側面を見せてくれるかもしれません
一期一会
怖いといえば怖いですね
先生の記事を読ませていただいて色々考えます
であったことが
かけがいのない幸せでもあるので
はかないなんて
泣いてちゃいけませんね
この言葉にジーンときちゃった。[E:heart]
奈良の大仏も金ぴかだったそうですが、今の方が私は好きかな?。(笑い)
出会えて幸せな
ブログ仲間[E:heart01]
[E:heart]
kazuyoo60様
大仏様の今のお姿は1300年の
人々の祈りも作り上げたお姿ですね!
すっかり出来たら教えてね。
お話
とりさん用にとりかかりたいのです
久子さんの語りの記事がとても参考になります
ありがとうございます