遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

 お話を語ってもらうときと絵本を読んでもらうときと

2012-09-14 10:01:51 | 朗読

久子さんの↓の記事を読んで色々考えた

http://hisakobaab.exblog.jp/16187837/

ちらちらと このお話は聞いたけれど

私がこれまで居た朗読のサークルは

絵本 画像とお話 を 一緒に楽しんでもらうことが多かったので

あまり考えてこなかった

単純に それはそれでいいような気がしていたから

子供の脳にとって

というの

この研究成果は気になるところだ

思い返してみると

私が子供時代は 今のように

絵のイメージが強烈な絵本と言うものはなかった

だから 絵本を楽しんだ覚えがあまりない

ひたすら本を読んでいたのだわ

絵があっても 挿絵

と言うものだったな

Img051


この挿絵は 初山滋

魚と白鳥 と言うお話

このシリーズは

これ

20100215123957

昭和25年版

装丁は初山滋だ

27年版から 村山知義が装丁となっている

私の持っている25年版にも村山知義は挿絵を描いている

これらの挿絵は 特別だったけれど

私はこれまで 小川未明のお話に没入できなかったせいだと思っていた

これらの本は

挿絵のほうが 強烈に脳にインプットされていた

他のお話の挿絵も覚えているけれど

その挿絵以上にお話のイメージを膨らませて

脳内には自分の描いている画像のほうが

強烈だ

平べったく言うと

あんまり素敵な絵は お話にとっては 邪魔なのかもしれない

今の絵本は 絵は とっても表現力が強い

それは

子供にとってどうなのだろうか?

もう一つ

私の子供のころになかったものにテレビとゲームがある

画像が子供の脳に与える刺激は

言葉よりも インパクトが強いのだろうか?

ゲームやマンガの ワンパターンな人物像に辟易することがあるのだけれど

街を歩いていて いろいろなイラストがあると

マンガ文化の影響ってすごいものだなと思うし

ゲームのデザインなんかも

もう よく飽きないなあと思うほど

私にはワンパターンに見える

想像力 思考の転換

と言うようなことを麻痺させる力も画像にはあるんだろうか?

小川未明の童話全集に話を戻すけれど

これを繙いていた私は

お話に入るよりは絵に入っていくほうが楽しくて

絵を読んでいたと思う

同じことか違うことかわからないけれど

安野光雅氏の旅の絵本は

子供たちはビリビリになるまで楽しんでいたけれど

あの絵本も絵を読むのが楽しい絵本だ

私が子供だったとすると

絵本の読み聞かせも 本を読んでもらうのも

自分で読むことに比べれば ずっとつまらないと思う

語りにしても 語り手のイメージを聞くわけだから

自分で読みたいと思うし

とも思うけれど

語り手が あまりにけた外れだと それまた 楽しい世は思うけれど

難しいな

演劇と言うのもあるでしょう?

子供向けのお芝居なんか面白いものな

表現されたものを味わうという中には

思いも知らない世界を見せられる楽しみと言うのもあるもの

 

ともかく 私はこれまで

安直に絵本 読んで聞かせてきたな

ブログだってそうだよな

ずっと文字だけで書いていると

画像を入れたくなる

それは 文字だけで書いた文章じゃ

読むに堪えないつたないものだから

飽きないように 姑息に入れているんだろうな

 

ところで 夕べの地震では目覚めなかったよ

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2 コメント

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震度4の揺れで起きないとは揺れに慣れすぎてしま... (natu)
2012-09-14 11:48:10
私いま独り身なので怖かったぜ!
natu 様 (遊工房)
2012-09-14 15:06:42
今 眠りの森の美女だわ
また眠ってしまった

家のほうは 震度3だったそうだ
おばさんが一番はっきり目を覚ましたみたいだわ

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