図書館の古典文学全集から「 偐紫田舎源氏」借りてきた
分厚い!
重い!
軽い本をふっ飛ばし読みするわたしが
本当に読むかどうか 微妙
なぜか 私はオリジナリティーが大事だという思い込みがあった
運慶は偉いけれど後は亜流だ小者だ
とか
永徳以降は様式化したとか
そんなえらそうなことは思わないが
少し思ってた
子供の頃の思い込みが残ってる
考えてみたら
このあいだの「山月記」以来考えてる
中国の古典に題材をとって自画像!?
新古今和歌集の本歌取りというのを習ったときも
なんか
ずるっぽい
教養のひけらかし~~
という風に高校生の私は思ったのよね
学は まねぶです!
なんていわれると フン! と思ったり
「 偐紫田舎源氏」
ニセとか田舎とかに反応して
この本はお粗末なパロディーだと思ってた
このあいだ
種彦をモデルにした小説を読んで
興味津々
江戸時代の人って面白いなあ
借りたのはこの本ではありません
当時はこういうので
たいそうな人気だったようです
お話は元の源氏物語を
足利時代に移して
当時の今(江戸時代)を書いてるのだろうか
この系図譜
面白いなあ
だいたい
影響を与え合うものって
何かが響き合う
そういうものだと思う
真似とか亜流とかそういう言葉の中に
貶める味付けの価値観が含まれているけれど
?
人間存在は何か有ると響き合う
友達もそうだし
影響することと似てる
ん~~
やっぱりすべての存在は波なのかぁ
曇ってきた
干したりないお芋を送ることになるかも
花てぼさんだと
こういう昔の本でも読めちゃうのね
江戸時代の人って楽しいのね
そうか
奥の細道を読んでいらっしゃるところね
けっこう うまいものです