遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

忘備録

2012-03-20 19:52:40 | 古代史

山里さんちの講義が面白いので

忘れるといけないから

(だいたい三歩歩くと忘れる)

書いておく

さて・・・第二回目の講義です。
テーマは「天照大神は男神か女神か」でしたね?

伊勢神宮と言えば、日本人なら一度や二度くらい行った事がある神社です。
私は、学生時代に、一人でブラリと旅行した事があり、以来、二回ほど参拝しています。
鬱蒼とした森の中に、厳粛な聖なる佇まいがあり、心が洗われる経験をしました。

ここは、天皇家の祖神と言われる天照大神が祀られています。
しかし、私には解らない事が沢山ありました。
天照大神って一体誰だろう?と言う事です。
日本書紀の神話の世界で言えば、イザナギノミコトとイザナミノミコトから生まれた、
三人の神(天照大御神・月読命・スサノオノ尊)の一人であると言います。
これは神話ですから、真実とは大分懸け離れた話しです。
天皇家は尊い存在である!更に神も尊い!
故に、天皇家は神から生まれた尊い存在なのだと言う事でしょうか?

元来、古代の日本人には稲作儀礼と太陽信仰があり、その中心に天照大御神が
祀り上げられていたものと思います。
天照大神は別名大日屡貴(おおひるめむち)と言います。
オオヒルメムチとは、太陽神を祀る巫女の事で、
それに似た人物に邪馬台国の卑弥呼がいます。
卑弥呼は日の巫女であり、太陽神を祀る巫女なのです。
その卑弥呼が、天照大神に重なったように思います。
ここまで言うと、天照は女神じゃないかと思いますね?

ところが、伊勢に祀られている天照はそんな簡単ではないのです。
天照大神は、最初から伊勢神宮に居た訳ではなく、
その以前に、幾つかの宮移りがありました。
最初の宮は、今で言う福知山の北、大江町にある「皇大神宮」で、
「元伊勢神宮」とも言われています。その近くには、豊受神社もあります。
天照大神は、その後、幾つかの遷宮を経て、奈良の三輪山の山頂に祀られていました。
三輪山と言えば、出雲の大物主神が祀られているところです。
三輪の神は男神で、天照大神と大物主神が一体分身であると言われていました。
本来、太陽神は「陽」で属性は男性なのです。
中世では、伊勢と三輪は一体だと言う説が自然だったのです。

                     ☆

元々、神武東征以前に、既にヤマトでは出雲の大物主神が統治していて、
更に、吉備よりニギハヤヒノミコトがやって来て、ヤマトに君臨していたのです。
これが国譲り神話の部分になります。
そして、最後に神武(応神)がヤマトに迎え入れられたのです。
この辺りが、捏造され改竄されて、ややっこしいところなのです。
初代天皇が3人の天皇に分割されて、曖昧にされています。
ここを説明すると、長くなるので省きます。

しかし、神武天皇がヤマトの王位についたと言っても、
実権を握っていたのは吉備の物部だったのです。

ヤマトの吉備の王・崇神天皇が、疫病の蔓延で人口が半減する災いに見舞われた。
これは、出雲神の大物主神の祟りと考え、天照大神と倭大国魂(大国主)の二柱を、
天皇の宮中内に祀っていたのです。
しかし、祟る出雲神の、あまりにも神威が強すぎて、
三輪の神(出雲神)を遠ざけるようになったのです。
そして、遂に伊勢の地に追いやってしまったのです。
その大神神社(三輪神社)の周辺では、古来より言い伝えがあって、
それは大物主神と伊勢の神は同一だ、と言うのです。

と、なると・・・天皇家の皇祖神と言われる天照大神は、大物主神のことなのか?
一体、誰なのかと言う疑問が残りますね?

伊勢神宮が整えられたのが、7世紀の持統天皇の頃です。
天皇家のための神社、と言うイメージがとても強くありますが、これ本当でしょうか?
私には、強い疑問が残っています。
何故ならば、今までに伊勢神宮に参拝された天皇は二人だけです。
一人は、伊勢神宮を整えた持統天皇で、もう一人は、京都から江戸に遷都した
明治天皇だけ・・・1200年間でたった二人です。
これは異常だとは思いませんか?

注・持統天皇以前には、天武天皇(大海皇子時代)が、
吉野から東国(尾張)に落延びる途中に立ち寄っています。
壬申の乱の戦勝祈願です。

                      ☆

この次は、男神だった天照大神が、女神に摩り替った謎を探求してみましょう。
★授業についてこれなくて、寝ている生徒が見つかったら、授業を中止します。

以上山里さんの記事

 

以下コメント欄より

青字山里さん

赤字私

ゆすらうめさん、こんにちは。
昭和天皇は参拝していません。
明治天皇は、京都を離れる時に、
お別れの挨拶に参拝しています。
そして、江戸に来た時には、武蔵一ノ宮の、
大宮神社に行幸しています。
何故だか解りますか?

本当かウソか
色々勝手につなぎたくなる
 

そうか
梅原猛流に言えば祟る神を
鎮める
と言うのがすべてに当てはまるなら
伊勢神宮は
鎮めの宮なのかもしれない

出雲と大和の謎がどうにも絡んで
興奮するなあ

最初の宮が大江町!
ふううん

大物主って 大国主との関係は?

両者を一体と言う説もあるし
大国主とオオアナムチと八岐大蛇も一体と言う説もあるし

皆混沌と一体になっちゃう


あやしい
怪しすぎる!

大江山の酒呑童子は八岐大蛇の末裔の
伊吹の弥三郎の息子と言うのが私の設定なんだが

あやしい

古代の民族争いの 皆殺しにされたり滅ぼしたりして
怨霊に祟られると恐怖した
神格化かもしれない

それが 太陽神と言うのも
不思議


フウン 天皇家はろくに参拝はしていないのか

祖先じゃないねこれは


教授は学問として追求だな

生徒私は勝手に妄想を逞しく・・・

ともかく蛇だ!

遊工房さん、こんにちは。

素晴らしい!・・・。
仰る通り、祟る怖ろしい神なんです。

大物主と大国主の関係は、一体だと言う説がありますが、
私は、イマイチ断言できないのです。
別物ではないかと思えてなりません。
何故なら、「物」が付いているからです。
物は物部の物、物の怪の物、武士(もののふ)の物ですから、
吉備から来た、天照国照彦火明尊ニギハヤヒではないか思っています。

ヤマタノオロチは産鉄民のことだと思います。
今の島根県仁多町・横田町辺りに居た蹈鞴製鉄民
の事ではないでしょうか?
彼らは、山の木を伐採して、燃料にして鉄を生産していました。
禿山になった山は保水力が無くなり、
暫し、洪水を引き起こし、下流の斐伊川を氾濫させたのです。
暴れる川を大蛇に擬えたのでしょう。
その産鉄民をオロチ族と称したようです。
中国山地を挟んで反対側の、吉備の桃太郎の鬼退治も、鉄を巡る争いなのです。
伊吹の弥三郎は知りませんが、伊吹と言うのは、
息を吹くと言う意味で、蹈鞴のフイゴの事です。
ついでに言えば・・・。
オカメ・ヒョットコのひょっとこは蹈鞴の「火男」の事で、
一つ目小僧は火穴から火を覗く仕事で、目を潰してしまった人。
一本足オバケは、蹈鞴でフイゴを足で踏む仕事の人が、足を駄目にしてしまった。
など、蹈鞴族を揶揄したものです。

ヘビ信仰は稲作民の古代信仰です。
春の田植えの頃に出てきて、秋の収穫が終わる頃に、冬眠に入るヘビ。
そして、脱皮を繰り返す事で、生命再生の神として、崇め祀られました。


すご!
面白い
この教え
忘れるといけないから
私の記事に写させてね
息吹きの弥三郎が八岐大蛇の末裔はこういうことか!
たたらって蹈鞴って書くのね初めて知った

昔オオアナムチの冒険って人形劇の映画があった
その解釈もかなり変わっていて

ほらしっぽから刀が出てくることが
製鉄を巡る闘争の象徴だって
そこで聞いたことがある

この辺と朝鮮半島のつながりも知りたいんだよな


遊工房さん、蹈鞴について一言付け加えます。
元々は、タタールから取った名称です。
世界史で習ったと思いますが、
タタール人の信仰する拝火教です。
昔の間宮海峡は、
今ではタタール海峡と呼ばれています。

朝鮮半島との繋がりは、追々、書く事にします

 

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 親子 | トップ | ただ今病院 »

コメントを投稿

古代史」カテゴリの最新記事