私は大してよく知ってるわけではないのです
この槐多 没後90年になります 享年22歳
私が始めて意識的にこの人の絵を見たのは信濃デッサン館においてでした。
↓は彼の詩
ガランスって何?と思いながら
展示してあったこの詩を読んできましたが
ガランスとはフランス語で茜色だそうです
一本のガランス
ためらふな、恥ぢるな
まっすぐにゆけ
汝のガランスのチューブをとって
汝のパレットに直角に突き出し
まつすぐにしぼれ
そのガランスをまつすぐに塗れ
生のみに活々と塗れ
一本のガランスをつくせよ
空もガランスに塗れ
木もガランスに描け
草もガランスにかけ
○○もガランスにて描き奉れ(伏字2字)
神をもガランスにて描き奉れ
ためらふな、恥ぢるな
まつすぐにゆけ
汝の貧乏を
一本のガランスにて塗りかくせ。
彩友会の忘年会では
出し物で朗読をやれと言われて
いいよ
と言いながら
一度も忘年会には出られません
来年
これ読もうかな
有島武郎が村山槐多を賞揚している文章もあるのですが
この時代のことを思いめぐらせると
興味深いです
有島武郎といえば
中学の教科書に「生まれ出悩み」が載ってました
この絵が
生まれ出ずる悩みのモデルになった木田金次郎氏の絵
この人は
チューブから搾り出した白の絵の具がキーワードでした
今調べてみると
私たちが「生まれ出ずる悩み」について学習した頃
リアルタイムで木田氏は活躍し
中学一年のとき高島屋で展覧会もあったのです
・・
なんで国語の先生(山本清先生)はそれを教えてくれなかったのだろう?
この「生まれ出悩み」について課題に出されて書いた作文が
面白いからと
「有島武郎をもっと読んで
有島文学について書いて来い」
と言う特別課題を私に課して
私もまじめな中学生でしたから
生まれて初めて50枚と言う大作を書いたので
よく覚えているのです
そのときは有島小説を読みまくって書いたので
今にして思えば
その時代は
特別な息吹があるのだもの
山本先生私にもっと色々教えてくれることもあったんじゃないの?
中学生には無理だと思ったのかしら?
村山槐多のデカダンス
ランボーやボードレールの影響も含めて
色々考えられれば面白かっただろうに
と思うけれど
中学生のときはそれは知らなかった
松涛美術館はけっこう見学者も多く
年恰好も私ぐらいの人が多かったから
絵を見ながら思うものは共通の郷愁があったかもしれない
おじいさんの世代頃
対象デカダンスの時代
急に興味が出てきた
麻のスーツにパナマ帽
ステッキ突いて
なんて感じの時代
じっとこちらを見つめられてます。迫力ですね。
一つ一つの色を極限まで見つめられたのでしょう。絵にするというのはその作業無くしては出来ませんね。
中学生時代に書かれた有島武郎論、大事に持っているのですか?
膨大な量の読書は今も続いておられますが、此の時代に培われた力だったのですね。
此処数日寒さが厳しくなりましたが、風邪は完全に直さないと再発のように繰り返します。
おば様ともども大事になさって下さい。
ちゃんと生きなきゃね。自己責任ね。
無言館があって
戦争で死んだ若い画家の卵の作品が展示してあります
[E:heart]
みどり 様
お若いときの作品がちゃんと出てきて凄いです
私は
家を一度捨てたので
若いときの作品は
勿論何もありません
絵も
持ち出してたのが火事で焼けましたし
50代に書いたものも
ワープロで書いて
フロッピーの中
もう読めないメディアです
[E:heart]
hisako-baaba 様
烈しい命の燃焼と言う作品群で
圧倒されました