遊工房・雑感

日頃のあれこれを綴る日記です

昨日考えたこと

2012-02-16 07:23:43 | 絵画

自分の考えることは

他人には余計なお世話だな

と思いつついろいろ考える

何で余計なお世話かと言うと

私はやっぱり感性は貧しく

余計なことばかり 結局考えているばかりで

通じるか?と思う話が通じないと ア  これは独り言だったと思うからだ

 

Yさんには 豊かな感性があると感じ

私には理解できないものがある

そういうの

Kさんにもあるんだよね

人はだから面白い

若者のころ「つまりこうだ となったらそこから死んでいくんですよ」

「芸術は常に新しくなければ芸術ではない

だから 前衛なのです」

と言うことが言葉的にわかっていても

じゃあ どうすんのよ!と言うことがわからなくなって

気が付いたら老人になっていた

老人になって少しわかるようになったかもしれない

(遅いんだよ  じき死んじゃうのに)と思うがな

 

美術や芸術の話ではなく

どこかで聞きかじった話に

生きるということは絶えず死ぬということだって

死ぬことを包括していない生はないというの

わかりやすく説明された本を読んだ

 細胞が常に死んで更新していくことで

生きている

死んでしまうと更新しなくなって朽ち果てていく

そういうことだ

 

同じジャンと思ったんだよな

そのころから ものが存在するって なんでこう 同じ機序

繰り返し現れるのか

これが自然の摂理だな

何位ついても 繰り返し感じる

 

脱線すると樹の表皮側だけが生きていて

年輪は死んでいるというの

それも そこはもう細胞は更新しないということなんだよな

植物と動物の違いはそういうことかもしれないと思った

逆に 物事のとらえ方には

ぶれない芯って 大事だというのもある

デッサンでも変わるものと変わらないものという意識で

とらえる

で そのブレないものがいつでも転換できる

と言う風でもないと硬直していく

そういうこと

原発関連の論争を見ていても思う

早川先生のぶれない芯と言うのはなんとなくわかっていても

つい そこまで言わなくても

とか

辛い人に追い打ちかけてと思うけれど

↓のように仰る

「配慮不足、不適切、不謹慎。私が大嫌いなことば三つ。」

これだな ぶれずに 情報を届けるために戦術はぶれない

そういうことだ

 

こんな高邁な目的はなくても

自分勝手で 話しかけられるとうざいと思うというプールの話をしていて

配慮のない人格と言う話になって思い出した

結局人が言ったりやったりすることは

自分の都合で 自分勝手だ それで いいのだ!

Bfcf07d2e567acbf2723c4cbdb2b93a1

コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 「福島原発は地上のオンカロ... | トップ | 生まれ変わったら »

コメントを投稿

絵画」カテゴリの最新記事