おばさんが
この頃 盛んに頼りにしてる という風なことを言い
則子さんに何もやるものがなくて悪いね
と言ったりするので
何言ってんの!?都会育ちのものに
里山で遊べる環境がどれだけ面白いか かけがえがないか贅沢な話か
縷々語った
!!?そうけえ?
というんだけど
思い出した
今でこそ東京には勝手に採っていいような草も花もなく
全て所有者が居て(田舎もそうだけど)好き勝手にお金なしでは遊べないけど
わたしが小さいころは
まだ たっぷり 好き勝手に摘んでもいい草花 取っていい生き物が居た
うんと幼い時は
上野の山の焼け跡にタンポポ摘みに行ったし
幼稚園の時は池袋には麦畑トウモロコシ畑があって
麦をくちゃくちゃ噛んで ガム!って遊んだ
小学校のころは永福町の方に行く途中の湿地帯が子供の遊び場
わたしは犬と転げまわって遊んだし
男の子たちはザリガニ釣りに熱中した
中学校の時は校庭のヘリがクローバーだらけなのを
ひねもす検索して
四葉のクローバーどころか五葉 六葉とあって
株ごとに固まっているの どういうこと?
不思議に思って夏休みの宿題の自由研究は
「遺伝」にしていろいろ調べ
四葉のクローバー欲しさに校庭の端っこをうろうろしてたのが意外な
科学的な風景に変容するのを面白がって遊んだ
そうだよなあ
人間は自然があるところで それと遊んで暮らさないと
(食べるのももちろんだけど)
然し これだけ豊かな自然のある田舎で 子供が外で遊んでいるのを
ほとんど見ない
自然と遊ぶのだって
大人がお膳立てして 保護して遊ばせないと 危険みたい
変質者も多いし
学校の行き帰りは見守りたいなんかが見張ってる中を変えるから
道草できないし
・・・・・・
わたしが子供のころ道草できなかったら
・・・・・・
死にそう!
だから アンナワンパターンな広告が繰り返しテレビで放映されるような
異常事態に
誰も何とも言わない
なんか ヘンな世の中になっていくのだな
都会育ちの則ちゃんも結構自然に親しんでいるのね。
「則子さんに何もやるものがなくて悪いね」
おばさんの心情がしみじみ思われる。
つくづくいい仲です。
わたしは一緒に幼稚園にお手手つないで通う子に教わったの
そうなの自然 いっぱいあった
だって甲州街道は未舗装でお馬はパカパカ
うんちぽたぽた
西の方のお百姓さんは
くみ取った肥やしを荷車で運んでた
そういう風景を全く一変させたのは
1964年のオリンピックでした
かつては荒れ地の草っ原だったの
中学時代の道草おしゃべりの隠れ家でした
あれがオリンピックのバレーコートになり
やがて駒沢公園に整備されていったのでした
何かで
職についてからその母校で会議があって出かけたとき
周りの景色の変貌ぶりに
涙なしでは歩けない感じでした
ほんと 高速道路は宙を走っているし
でも次のオリンピックまでにまだまだ原発の問題は噴出し
自身の揺れ返しも来て
お客様は来ないんじゃないかという気もしたり
それで大損害で
日本は塗炭の苦しみを負うことになるかも
とおもったり
でも考えても始まらないから
なんとか ここから始めないといけないのだろうと思うけれど
本当にあの 首相はまた失敗してバッくれそう