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中日・根尾昂は続ける中日・根尾昂野手から投手に“挑戦”した選手たち

2022-06-12 22:31:47 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
中日・根尾昂は続けるか? 野手から投手に“挑戦”した選手たち、「拒否すれば現役は終わり」と言われた人も
6/12(日) 17:00配信
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イチローは「オールスター」で投手デビュー

最速150キロをマークした“根尾投手”
 中日・根尾昂が5月21日の広島戦で投手としてデビューし、大谷翔平(現・エンゼルス)に続く二刀流として注目を集めている。遊撃手兼投手だった大阪桐蔭高時代に、甲子園で最速148キロを記録した根尾は、前出の広島戦、2度目の登板となった同29日のオリックス戦で、いずれも最速150キロをマーク。「球筋が野手のそれじゃない」とファンを驚かせ、「本格的に投手に転向すべき」の声も上がっているが、過去にも野手としてプロ入り後、マウンドに上がった選手がいた。【久保田龍雄/ライター】 【写真】マウンドに立つイチローの投球フォーム

 
 オールスターで「投手デビュー」を飾ったのが、オリックス時代のイチローである。1996年7月21日のオールスター第2戦、9回2死無走者、打者・松井秀喜(巨人)という場面で、全パ・仰木彬監督はライトを守っていたイチローをマウンドに送った。  愛工大名電高時代にエースで4番だったイチローは、前年のオールスターのスピードガンコンテストでも146キロをマークしていた。「投手・イチローvs打者・松井」という夢の対決実現にスタンドから歓声が上がった  しかし、全セ・野村克也監督は「格式の高いイベントを冒とくしたと解釈した。松井君はセントラルを代表する打者。打てばご愛嬌だが、打ち取られたとき、彼のプライドは傷つく」として、投手の高津臣吾(ヤクルト)を代打に送った。  歓声がため息に変わるなか、イチローは高津を遊ゴロに打ち取り、ゲームセットとなったが、「代打を出されるのは予想していましたが、僕も本職じゃないですから。気持ちのいいのと悪いのといろいろです」と複雑な表情だった。  NPBでは、オールスターでの打者1人で終わったイチローだが、マリナーズ時代の2015年10月4日のフィリーズ戦で8回からリリーフし、1回を打者5人2安打1失点。42歳にして最速89マイル(約143キロ)を記録している。

「野手から打ったのは初めてだよ」

“投手イチロー”を演出した仰木監督は、近鉄時代の89年のオープン戦で夏の甲子園優勝投手・金村義明を登板させ、オリックス時代の00年にも五十嵐章人を敗戦処理登板で、NPB史上2人目の全9ポジション制覇を達成させるなど、野手を登板させた事例に事欠かない。  97年には、プロ3年目の外野手・嘉勢敏弘を投打二刀流として開幕1軍入りさせ、4月18日の日本ハム戦の7回にプロ初登板のマウンドに送った。  最初の打者は、巨人から移籍してきた落合博満だった。初球、内角をえぐる135キロにのけぞった落合は、露骨に顔をしかめて、嘉勢をにらみつけると、貫禄の違いを見せ、1回もバットを振ることなく四球で一塁へ。  そして、8回2死二、三塁での再対決は、前の打席でコントロールを乱した嘉勢が初球からストライクを取りにいくと、落合は「待ってました」とばかりにボールを軽くバットに乗せ、左翼席に移籍第1号のダメ押し3ラン。「いやあ、長いこと野球やってるけど、野手から打ったのは初めてだよ」と振り返った。  一方、「40歳を過ぎて現役で……。落合さんはスゴイですよ」と脱帽させられた嘉勢は、その後、貴重な左腕として投手に専念し、01年には自己最多の70試合に登板。実働6年で3勝7敗を記録した。

 
「投手経験なし」からの転向
 嘉勢の翌年に同じドラフト1位でオリックスに入団した内野手の今村文昭も、打者として芽が出ず、5年目の00年秋季キャンプから投手に転向している。翌年は、オープン戦で7イニング連続無失点と好投し、公式戦デビューをはたした3月25日の開幕2戦目、ダイエー戦でも、井口資仁、小久保裕紀、松中信彦の中軸を3者凡退に切って取った。  さらに、同28日の西武戦では、6対6の延長10回無死一、二塁のピンチでリリーフし、3点を失ったが、その裏、味方が4得点で逆転サヨナラ勝ちしたことから、プロ初勝利が転がり込んできた。今村は翌02年にも2勝を挙げるなど、実働3年で3勝4敗2セーブを記録している。  高校時代にも投手を務めた嘉勢、今村に対して、「投手経験なし」で転向したのが、同じオリックスの萩原淳である。大型遊撃手と期待され、ドラフト2位で入団も、同期のイチローらに抜かれ、9年間で6打数1安打と鳴かず飛ばず。  だが、00年シーズン中、練習で150キロの速球を投げたのが仰木監督の目に留まり、「拒否すれば現役は終わり」と通告されたことから、生き残りをかけて投手に挑戦した。
新庄監督にも登板歴



 そして、02年7月21日のダイエー戦、1点リードの5回2死一、三塁のピンチでリリーフした萩原は、内野安打を許して同点に追いつかれたものの、8回まで3回1/3を1失点に抑え、初勝利を挙げた。  同年は48試合に登板し、3勝4敗10セーブ。05年には中1日で2試合に先発するなど、オープナーの先駆者的役割も演じている。07年に日本ハム、08年にヤクルトに移籍し、実働9年で13勝15敗15セーブ20ホールドを記録。野手からの転向組では、近年では最も成功した投手と言えるだろう。  日本ハム・新庄剛志監督も、本職は外野手ながら、阪神時代の99年にオープン戦2試合に登板している。“仕掛け人”の野村監督は、前出のとおり、イチローの登板を批判していたが、実は南海監督時代に外野手登録の広瀬叔功とウィリー・スミスを公式戦で登板させており、けっして否定論者ではなかった。  新庄についても「1年目は敗戦処理、2年目にストッパー、3年目に先発完投を目指す」と3年計画での育成に意欲を見せていた。同年3月5日の巨人戦で4回のリリーフした新庄は、最速143キロをマークし、見事3者凡退。同21日のダイエー戦では1本塁打を浴びたものの、後続3人を打ち取り、初奪三振も記録した。  だが、登板で筋肉に余計な負担をかけたことから、翌22日に左大腿四頭筋に肉離れを発症し、「二刀流」はあえなく廃業となった。 久保田龍雄(くぼた・たつお) 1960年生まれ。東京都出身。中央大学文学部卒業後、地方紙の記者を経て独立。プロアマ問わず野球を中心に執筆活動を展開している。きめの細かいデータと史実に基づいた考察には定評がある。最新刊は電子書籍「プロ野球B級ニュース事件簿2021」上・下巻(野球文明叢書)



 
 
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山下達郎「それも盛りですよ」(山下達郎大好き3482)

2022-06-12 21:39:12 | ☆山下達郎 大好き
山下達郎「それも盛りですよ」落語家になっていたかも説に言及 おじからの紹介断った事実明かす
6/12(日) 12:10配信
14コメント14件

TBS安住紳一郎アナ(2021年12月撮影)
シンガー・ソングライター山下達郎(69)が、TBS安住紳一郎アナウンサー(48)がパーソナリティーを務めるTBSラジオ「安住紳一郎の日曜天国」(日曜午前10時)の12日の放送にゲスト出演し、ミュージシャンでなく“落語家になっていたかもしれなかった”との説に言及した。 【写真】番組収録に参加した山下達郎 音楽への強いこだわりから、山下は自身のエピソードを大げさに語られる「盛り」が多いと主張。そのトーク力と冗舌さについて安住アナが「本当は落語家になる予定が…」との説があることを振ると、山下は「そんなことないです、それも盛りですよ」と笑った。 山下は「僕、落語が好きだったんです。ラジオ世代ですから、小学校に入るときはうちにテレビなかった。全部ラジオだから、落語、浪曲。そういう時代でしたから、落語は僕らの世代からしたら基礎教養なんですよ。寿限無寿限無とか言えますしね、今でも」と説明した。 安住アナは「池之端のお師匠のところに弟子入りする」との話があったと言及。山下は「それも盛ってる」と笑いつつ「小学校4年くらいの時に、漫画があって(付録用に)テープレコーダーを買ったんです。おまけで付いてたのが(柳家)小さん師匠とか(三遊亭)圓生師匠とかの落語でね。見よう見まねでマネしてたら、僕のおじがいましてね。自衛隊の人なんですけど。その人が懇意にしてたのが、柳家三亀松という都々逸の師匠でね。その人に、『うちのおいっ子でうまいのがいるから、弟子にしてやってくんねえか』って言ったんですよ」と、実際におじから師匠に紹介があったことを明かした。 山下は「そこから先は2説分かれるんです」と説明。その師匠が山下のおじに対し「隊長さん、それはおよしなさい。私は清元7年、常磐津7年、長唄7年習って、そういう苦労をこれからの子供にさせちゃダメだって、言った」という説と「清元7年、常磐津7年、長唄7年。それを親が負担するなら、子飼いの弟子にしてやる」という説があるとし、「いずれにせよ、うちのオヤジが『冗談じゃない』って断った」と、結末を明かした。

 

 ただ山下は「イフ(もしも)、その時にあれしてたら、向島のどこかで三味線弾いてたかもしれない」と、落語家や漫談家になっていた可能性は否定せず。安住アナが「盛っていると言うけど、結構ぎりぎりの線まで行ってましたよ。お父さんが『池之端の師匠にお世話になるか』って言ってたら…」とツッこむと、山下は「なきにしもあらずですけどね。嫌いじゃなかったですし」と苦笑いしながら認めた。 山下はさらに「ライブで、夜寝るときは必ず落語」との習性も告白。「バンドのメンバーが何を持ってるのと聞いてきて、全部落語で腰抜かした。それは盛ってないです」と笑い「落語はいいんですよ、言霊が。安眠できる。特に志ん生師匠とか、ああいう人の声って、アナウンサーの方はよくおわかりになるでしょ」。さらに、「安住さんのトーン、癒やされるな、と」と声をほめると、安住アナは「いやいや、そうなってるといいんですが」とタジタジだった。



 
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新刊紹介

2022-06-12 05:37:58 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)

 


 

 



 
 
 

 

 



 


 

 

 
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死んだ友人 知人 及び 大病者

2022-06-12 01:37:35 | ☆がん闘病記
最近やたらと 友人の死 病気を聞く

大学時代     

     同級生 1人 がん(たぶん)で死亡
     同級生 1人 肺がん
     同級生 1人 がん    
     後輩  1人死亡 死因不明

医局時代の後輩 

     男性1人 死亡 死因不明
     女性1人 死亡 死因不明

同級生 肺がん

友人 喉頭がん1人

友人 1人


同級生の奥さん 白血病

同級生の後輩胃がん

田舎の隣人 1歳年下 死亡 (がんたぶん)
      従妹   2歳年上 死亡(がんたぶん)


6人死亡…・・・・その他 上記の通り 有病者 

わたしを含めて13人 

そういう年なのだ そう若くはない
みんな60代
         
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坂本龍一氏の自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」が話題沸騰中、『新潮』7月号が1年ぶり重版決定!に重版決定!

2022-06-12 01:35:37 | ☆メディア(本・映画・Web・音楽など)
坂本龍一氏の自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」が話題沸騰中、『新潮』7月号が1年ぶりに重版決定!
山田詠美氏による衝撃の短篇「たたみ、たたまれ」、古川真人氏による渾身の長篇「ギフトライフ」(400枚)もお見逃しなく!
株式会社新潮社2022年6月10日 13時17分

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『新潮』7月号(6月7日発売)より、坂本龍一氏による自伝「ぼくはあと何回、満月を見るだろう」の連載を開始しました。第1回では坂本氏が現在ガンのステージ4であることが明かされ、そのことを伝える記事が国内外の様々なメディアで配信されるなど、大きな話題を呼んでいます。Twitterでも、雑誌の発売直後からニュースのトレンド入りしました。そうした異例の反響を受け、このたび重版2000部が決定。『新潮』の重版は、野田秀樹氏の長篇戯曲「フェイクスピア」を発表した昨年の7月号以来、ちょうど1年ぶりとなります。今回の重版分は6月20日(月)に出来予定。坂本氏の新連載のほかにも、ベテランの山田詠美氏による短篇や、気鋭の古川真人氏による初長篇、クリープハイプ・尾崎世界観氏や話題の新人作家・年森瑛氏のエッセイなど、読みどころが盛りだくさん。目下、品薄でご迷惑をおかけしておりますが、重版分の到着まで今しばらくお待ちください。

 世界的音楽家・坂本龍一氏がガンの再発を公表したのは、2021年1月のこと。直腸の原発巣と数カ所の転移巣を摘出する、20時間に及ぶ外科手術をはじめ、このわずか1年のうちに大小6つの手術を経験し、病気の治療に努めてきました。もっとも、その間も音楽への情熱を失うことはなく、アーティスト・高谷史郎氏と共作したシアターピース『TIME』など、いくつもの作品を発表しています。
 このたび『新潮』では、2009年に刊行された自伝『音楽は自由にする』(新潮社)の続篇として、坂本氏みずからが過去十余年の活動と人生を振り返るプロジェクトを開始します。同世代で旧知の仲である編集者・鈴木正文氏が聞き手となり、坂本氏の口から、実に豊かな言葉が引き出されました。
 連載第1回のタイトルは「ガンと生きる」。入院先でのパートナーや友人とのエピソードから、両親の訃報に接したときのこと、そして自身の死生観や創作観の変化についてまで、初めて明かされる事実が赤裸々に語られます。ぜひご注目ください。

 
 
■坂本龍一氏コメント
 夏目漱石が胃潰瘍で亡くなったのは、彼が49歳のときでした。それと比べたら、仮に最初にガンが見つかった2014年に62歳で死んでいたとしても、ぼくは十分に長生きしたことになる。新たなガンに罹患し、70歳を迎えた今、この先の人生であと何回、満月を見られるかわからないと思いながらも、せっかく生きながらえたのだから、敬愛するバッハやドビュッシーのように最後の瞬間まで音楽を作れたらと願っています。
 そして、残された時間のなかで、『音楽は自由にする』の続きを書くように、自分の人生を改めて振り返っておこうという気持ちになりました。幸いぼくには、最高の聞き手である鈴木正文さんがいます。鈴木さんを相手に話をしていると楽しくて、病気のことなど忘れ、あっという間に時間が経ってしまう。皆さんにも、ぼくたちのささやかな対話に耳を傾けていただけたら嬉しいです。

 
Photo by zakkubalan ©2022 Kab Inc.
■著者紹介
坂本龍一(さかもと・りゅういち)
1952年東京生まれ。3歳からピアノを、10歳から作曲を学ぶ。東京芸術大学大学院修士課程修了。1978年『千のナイフ』でソロデビュー。同年、細野晴臣、高橋幸宏と「YMO」を結成、1983年に散開。出演し音楽を手がけた映画『戦場のメリークリスマス』(1983年)で英国アカデミー賞音楽賞を、『ラストエンペラー』(1987年)でアカデミー賞作曲賞、ゴールデングローブ賞最優秀作曲賞、グラミー賞映画・テレビ音楽賞を受賞。その他、受賞多数。1999年制作のオペラ『LIFE』以降、環境・平和活動に関わることも多く、論考集『非戦』の監修、森づくりを推進する「more trees」の設立など、活動は多岐にわたっている。2006年には、「音楽の共有地」創出を目指す新しい音楽レーベル「commmons」を立ち上げた。2009年、初の自伝『音楽は自由にする』を刊行。



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