8時に小松空港に着きました。

09:05発ANA1231便 福岡行に乗るのだ。

意外と大きいジェット機です。
定刻に出発、
快適な空の旅です。

図書館から借りてる本なんか持参しちゃって
なぜ、福岡旅行なのか・・・。
妻と娘は大の嵐ファン。
妻は松潤で、娘は櫻井翔さん。
この度、福岡のコンサートが当選して行くことになったのだが、
オイラも福岡には興味があったので、一緒についてきたのだ。
(悪いかコノヤロー
)
でも娘はどうしても抜けられない大学の授業があったので、
結局オイラとカミさんで行くことになったのだ。(娘よゴメンね
)
1時間と20分で福岡空港到着。早いもんである。


早速、予約のレンタカーを借ります。

ホンダのフィット

目指すは、志賀島だ
海の中道です。

いわゆる砂州であり、丹後の天橋立のような場所です。
ついに来たぞ、あこがれの志賀島だ。

子供の頃、小学校の教科書だったと思うが、
金印が出土した様子のさし絵が印象的で今でも脳裏に残っている。
江戸時代の百姓二人が、長い鉄棒のような道具を使って「てこ」の原理で大岩を動かし、
その下から金色に発光した物が現れて大そう驚いている。そんな絵だった。
その頃よりオイラは金印というものに興味を抱いくことになる。

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!

憧れだった「漢委奴國王金印発光之処」碑です。

まじ感動!である。

この碑の地点より金印が出土したといわれているが・・・、
オイラはもう少し海側の場所だと思っている。
それがここだ。

その理由は、後で・・・。
ここは水が流れていた場所であるが、

これが重要なのである。

農夫は、この川の流れがよろしくないということで、少し手直ししていた際に、
金印を発見したとあるからだ。
コンクリで固めてあるので昔ながらの姿となると
一番上のこういう感じだったのだろう。

この地は金印公園として整備されている。

説明板も何か所かある。

カミさんは全く興味が無いようで・・・

オイラは上から下、右から左へと公園内を入念にチェックしていたのだ。
海上に能古島(のこのしま)が見える。

約2000年前に奴国が中国から拝領した金印。
奴国王にすれば最も大事な宝物であり、倭国大乱の当時、万が一に備えてこの地に隠したのではと思っている。
きっと金印は海から運んだはず。

この辺りで上陸して時間をかけることなく埋設したはずである。
一時の隠匿であるため、後で掘りかえせるように目印となるモノの側に埋めたはずで、
その目印とは、教科書にも載っていた大石(大岩)なのだろう。
金印発光碑の台座に大きな石があるのは、そのイメージであるに違いない。
金印公園をあとにして、
しばらく行くと、

蒙古塚である。
さらに少し行くと、

海に出れる場所があった。

おぉ、

お約束のちゃぷちゃぷ


はじめて玄界灘に触れました。
さらに進むと、

ビジターセンターがあった。
あの本にあった「しかのしま資料館」だ。

ここにも来たかったんだ。
時が経って少しリニューアルされていますね。

志賀島全般の資料がある。

金印、元寇、昔の農具等
でもやっぱり金印関係に目が行ってしまう。

ふむふむ

この絵を見て下さい。

中央に大岩があります。
おそらく金印はあの大岩の側(下)に埋めたはずである。
それが先ほどオイラが地面を指差したあの辺りなのだ。

資料館の前にある樹木は南国風だった。

さらに進むと、

志賀海神社がある。

かなり古い歴史を持つ神社で海の神様を祀る神社。

へぇ~清め砂だって、

記念に金印ストラップを買ったのだ

おみくじも引いてみた。

吉。旅はさわりなし、よろし である
志賀島は奇跡の島。
金印発見は日本歴史上、最大の奇跡である。
このあこがれの地に来れた事、
それがオイラの最大の目的であったのだ。
志賀島をあとにしたオイラ達は、昼食を、

博多ラーメンにした。

うん旨し
福岡の旅は次回、夜の中州編に続きます。
【ヒゲ親父】
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09:05発ANA1231便 福岡行に乗るのだ。

意外と大きいジェット機です。
定刻に出発、

快適な空の旅です。

図書館から借りてる本なんか持参しちゃって

なぜ、福岡旅行なのか・・・。
妻と娘は大の嵐ファン。
妻は松潤で、娘は櫻井翔さん。
この度、福岡のコンサートが当選して行くことになったのだが、
オイラも福岡には興味があったので、一緒についてきたのだ。
(悪いかコノヤロー

でも娘はどうしても抜けられない大学の授業があったので、

結局オイラとカミさんで行くことになったのだ。(娘よゴメンね

1時間と20分で福岡空港到着。早いもんである。



早速、予約のレンタカーを借ります。

ホンダのフィット

目指すは、志賀島だ

海の中道です。

いわゆる砂州であり、丹後の天橋立のような場所です。
ついに来たぞ、あこがれの志賀島だ。


子供の頃、小学校の教科書だったと思うが、
金印が出土した様子のさし絵が印象的で今でも脳裏に残っている。
江戸時代の百姓二人が、長い鉄棒のような道具を使って「てこ」の原理で大岩を動かし、
その下から金色に発光した物が現れて大そう驚いている。そんな絵だった。
その頃よりオイラは金印というものに興味を抱いくことになる。

キタ━━━(゚∀゚)━━━!!

憧れだった「漢委奴國王金印発光之処」碑です。

まじ感動!である。


この碑の地点より金印が出土したといわれているが・・・、
オイラはもう少し海側の場所だと思っている。
それがここだ。

その理由は、後で・・・。
ここは水が流れていた場所であるが、

これが重要なのである。

農夫は、この川の流れがよろしくないということで、少し手直ししていた際に、
金印を発見したとあるからだ。
コンクリで固めてあるので昔ながらの姿となると
一番上のこういう感じだったのだろう。

この地は金印公園として整備されている。

説明板も何か所かある。

カミさんは全く興味が無いようで・・・


オイラは上から下、右から左へと公園内を入念にチェックしていたのだ。
海上に能古島(のこのしま)が見える。

約2000年前に奴国が中国から拝領した金印。
奴国王にすれば最も大事な宝物であり、倭国大乱の当時、万が一に備えてこの地に隠したのではと思っている。
きっと金印は海から運んだはず。

この辺りで上陸して時間をかけることなく埋設したはずである。
一時の隠匿であるため、後で掘りかえせるように目印となるモノの側に埋めたはずで、
その目印とは、教科書にも載っていた大石(大岩)なのだろう。
金印発光碑の台座に大きな石があるのは、そのイメージであるに違いない。
金印公園をあとにして、
しばらく行くと、

蒙古塚である。
さらに少し行くと、

海に出れる場所があった。

おぉ、

お約束のちゃぷちゃぷ



はじめて玄界灘に触れました。
さらに進むと、

ビジターセンターがあった。
あの本にあった「しかのしま資料館」だ。

ここにも来たかったんだ。

時が経って少しリニューアルされていますね。

志賀島全般の資料がある。

金印、元寇、昔の農具等
でもやっぱり金印関係に目が行ってしまう。

ふむふむ


この絵を見て下さい。

中央に大岩があります。
おそらく金印はあの大岩の側(下)に埋めたはずである。
それが先ほどオイラが地面を指差したあの辺りなのだ。

資料館の前にある樹木は南国風だった。

さらに進むと、

志賀海神社がある。

かなり古い歴史を持つ神社で海の神様を祀る神社。

へぇ~清め砂だって、

記念に金印ストラップを買ったのだ


おみくじも引いてみた。

吉。旅はさわりなし、よろし である

志賀島は奇跡の島。
金印発見は日本歴史上、最大の奇跡である。
このあこがれの地に来れた事、
それがオイラの最大の目的であったのだ。
志賀島をあとにしたオイラ達は、昼食を、

博多ラーメンにした。

うん旨し

福岡の旅は次回、夜の中州編に続きます。
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