倶利伽羅峠は何かと深い・・・。
深いんだよな~。
まずは石川県側の竹橋口にある源平の郷に

有名な火牛ですね。

資料展示物を見学
このジオラマを見ていつも疑問に思う

この加賀越中境の北国街道は
なぜわざわざ道険しい峠越えとなったのだろうか?
比較的平地の下に道が出来てもよかったはずなのに。
(ふ・し・ぎ
)
さて、峠道を登りますか。
ん!?こんなのあったっけ?

棚田ビュースポット?
日本の棚田百選でここは奥山田だって。

・・・・・・・・
さらに車で登ると、

出ました倶利伽羅不動寺です。
今から約1,300年前の養老二年(718)に中国から渡来したインドの高僧が彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まり。
古いお寺なんですね。

「煙を頭に頭に!」
って子供か!(頭がよくなる言い伝え)


100円払って線香のでかいのを。

おみくじは・・・・

吉!2番目にいいんだぞ!
お参りもして
不動寺をあとにした。
そして
倶利伽羅古戦場が出てくる。



もっと倶利伽羅合戦のことを詳しく知りたいと思っている。
そしてこれが・・・、
おそらく県内で唯一現存する
昔のままの北国街道の姿です。

これは貴重です!
この場所は貴重ですぞ!
戦場の方をもう少し進むと
立派な石が横たわっていた

平氏側の本陣跡か。
こういう案内板を興味津々で全部読んじゃう

とにかく関ヶ原古戦場などと違って
この倶利伽羅古戦場の戦場はとにかく狭い。
この狭い場所で両軍併せて10万以上が戦った
のだから驚きだ。

有名な火牛の計が本当にあったかどうかは
オイラは怪しいと思ってるけどね。
しばらくいくと

松尾芭蕉の奥の細道で詠んだ句一覧が。

芭蕉が石川県内で詠んだ中でオイラが好きなのは、
「むざんやな 甲の下の きりぎりす」です。(甲=かぶと)
さて富山県側に入りもっと進むと・・・、

一里塚跡(へいへい、なんでもあるね
)
さらに進むと、道路から脇に延びる古道が、
ここは峠茶屋があった道だって。
(ここは初めてだ
)

進んでみる
これが峠茶屋があった場所

おおおぉ~(感動している)
その横に建物があって

中にパネルや写真が

(昭和34年までやってたとのこと)
この茶屋は参勤交代の頃からはじまり、かの十辺舎一九がここを訪れ、
東海道の茶屋と変わらぬ良き茶屋なりと褒めている。
(すげー!)
感動していると、そこにノートが・・・

あぁ、訪れた人が記念に書くやつか・・・
オイラ書いたぞ!

H27.5.6 くりから峠はまことに奥が深い (ヒゲ親父)
誰か確かめておいで
しかし昼間とはいえ、誰もいないこういう場所は、
なんか気味が悪いものだ。

早々に退散した。
車で富山県へ
小矢部市に下りてきました。

近くに埴生口の源平の郷があったので入ってみる。

小矢部市は
どうやら義仲と巴を推しているらしい。

ほらね。

もう少し上手な方が書けばよかったような・・・
でも・・・

大河になっても小矢部が絡むのは一瞬だけのような・・・イヤっ何でもありません!
そして駐車場にあるこれに驚いた!

えぇ~!!!

まじか!

で報告終わり。(唐突
)
さて、
長々と倶利伽羅峠の事を書いてまいりました。
さらにいろいろと知りたいことが出てきました。
・義仲と巴の事
・倶利伽羅の合戦のより詳しい事(流れ、特定の場所)
・あの峠茶屋の事
・不動寺の事、等々
それにしても、
ここには好奇心をそそるものがいろいろとある。
深~い場所です。
あ~疲れた
【ヒゲ親父】
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深いんだよな~。

まずは石川県側の竹橋口にある源平の郷に

有名な火牛ですね。

資料展示物を見学

このジオラマを見ていつも疑問に思う

この加賀越中境の北国街道は
なぜわざわざ道険しい峠越えとなったのだろうか?
比較的平地の下に道が出来てもよかったはずなのに。
(ふ・し・ぎ

さて、峠道を登りますか。
ん!?こんなのあったっけ?


棚田ビュースポット?
日本の棚田百選でここは奥山田だって。

・・・・・・・・

さらに車で登ると、

出ました倶利伽羅不動寺です。
今から約1,300年前の養老二年(718)に中国から渡来したインドの高僧が彫刻された尊像を、元正天皇の勅願により奉安された事が始まり。
古いお寺なんですね。

「煙を頭に頭に!」



100円払って線香のでかいのを。

おみくじは・・・・

吉!2番目にいいんだぞ!

お参りもして

不動寺をあとにした。
そして
倶利伽羅古戦場が出てくる。



もっと倶利伽羅合戦のことを詳しく知りたいと思っている。
そしてこれが・・・、
おそらく県内で唯一現存する
昔のままの北国街道の姿です。


この場所は貴重ですぞ!
戦場の方をもう少し進むと
立派な石が横たわっていた

平氏側の本陣跡か。
こういう案内板を興味津々で全部読んじゃう


とにかく関ヶ原古戦場などと違って
この倶利伽羅古戦場の戦場はとにかく狭い。

この狭い場所で両軍併せて10万以上が戦った


有名な火牛の計が本当にあったかどうかは
オイラは怪しいと思ってるけどね。

しばらくいくと

松尾芭蕉の奥の細道で詠んだ句一覧が。

芭蕉が石川県内で詠んだ中でオイラが好きなのは、
「むざんやな 甲の下の きりぎりす」です。(甲=かぶと)
さて富山県側に入りもっと進むと・・・、

一里塚跡(へいへい、なんでもあるね

さらに進むと、道路から脇に延びる古道が、
ここは峠茶屋があった道だって。
(ここは初めてだ


進んでみる

これが峠茶屋があった場所

おおおぉ~(感動している)

その横に建物があって

中にパネルや写真が

(昭和34年までやってたとのこと)
この茶屋は参勤交代の頃からはじまり、かの十辺舎一九がここを訪れ、
東海道の茶屋と変わらぬ良き茶屋なりと褒めている。
(すげー!)

感動していると、そこにノートが・・・

あぁ、訪れた人が記念に書くやつか・・・

オイラ書いたぞ!

H27.5.6 くりから峠はまことに奥が深い (ヒゲ親父)
誰か確かめておいで

しかし昼間とはいえ、誰もいないこういう場所は、
なんか気味が悪いものだ。

早々に退散した。

車で富山県へ


近くに埴生口の源平の郷があったので入ってみる。


小矢部市は
どうやら義仲と巴を推しているらしい。

ほらね。

もう少し上手な方が書けばよかったような・・・

でも・・・

大河になっても小矢部が絡むのは一瞬だけのような・・・イヤっ何でもありません!

そして駐車場にあるこれに驚いた!

えぇ~!!!


まじか!


で報告終わり。(唐突


さて、
長々と倶利伽羅峠の事を書いてまいりました。

さらにいろいろと知りたいことが出てきました。

・義仲と巴の事
・倶利伽羅の合戦のより詳しい事(流れ、特定の場所)
・あの峠茶屋の事
・不動寺の事、等々
それにしても、
ここには好奇心をそそるものがいろいろとある。
深~い場所です。

あ~疲れた

【ヒゲ親父】



ヒゲ親父さんが石川住みを公表して以来
こういう観光記みたいなの増えて嬉しいです!
九州人には馴染みの薄い地域ですからね!
そういう意味でも公表のキッカケになった新幹線にも感謝です。笑
我ながらこんな長い記事、
誰も見てくれないんじゃないのかな~と思ったりもしたけど、キモのようなコメントが励みになるよ~。
これからもこだわりの記事投稿していくので
ヨロシク見てね~。