徳井由美子の音楽活動(アイリッシュ・ハープ、弾き語り/シンガーソングライター)、思い、日々の記録(2014年以降)

神戸出身・大阪在住。クリスチャン、シンガーソングライター、アイリッシュ・ハープ演奏や他活動・思いの記録

越冬闘争(釜ヶ崎)最終日4日のお礼参り(に付き添ってみた)

2017-01-05 08:16:51 | 政治・社会問題
新年1月4日 午前7時に、「あいりん労働センター」(西成区萩之茶屋1-3-44)に集合し→集会 →7:50~デモしつつ、三角公園まで (近隣の施設の庭で、全員朝食)→ (バスの不具合で)地下鉄御堂筋線で58名、移動 → 「大阪市役所」にて お礼参りこと要望書提出 (内容後に掲載)→バスが迎えに来て乗車移動 → 「大阪府庁舎」へ、要望書提出 (以上、釜ヶ崎の人はバスにて帰る)

 大阪市役所前 (1月4日午前10時台)

 大阪府庁舎前 (1月4日午前11時台)
  

・・私も年末30日に、三角公園ステージ出演したり その夜の1時間余りの人民パトロールや、新年3日の釜ヶ崎街歩き講座などで参加してきた 『釜ヶ崎越冬闘争』目的:”1人の凍死者・餓死者も出さない”~あいりんで’70年以降、不況で出た野宿者を守る意思で始まり、今年で47回目となる)・・の最終日は、毎年、1月4日の官公庁が仕事はじめの日に、「お礼参り」こと”大阪市・府への要望書提出”をすることで締めくくる。これまで私は参加したことがなかったのが、今年は・・なんか、見届けてみたい!との思いが強くなり、朝5時に起きて家事をしたあと、朝の6時50分には、ひとり釜ヶ崎の街へおった・・(この年末は、計3回も・・)

 明け方     労働センターと市営住宅の間の場所
 

 年末年始の”シェルター(臨時宿泊施設)”は今朝終了、撤去が始められていた


「あいりん労働センター」(通称、ほかに医療センターなどとも)は、何回も来ているが、南側の方に到着して、なぜか集合場所がわからず、しばらく朝の路上の人たちの様子を見ていると、1人の労働者がそこを曲がったとこに皆んないるで、と通路を教えてくれて、表側にまわった 

 知人の数人がいる、・・実行委員会の面々と、当事者の労働者の方々、また学生(男女)など 様々の人 
 7時~7:50くらいまで、集会、アピール 


 あと、センターを出て、三角公園まで、デモ (わっしょい、ワッショイですね かけ声は・・
 しかし、この”釜ヶ崎解放”の旗の下、いっしょにデモるとは、以前には想像してませんでした よく見かけますが!)

 

 しかし、大学生が多いな。女子もいる。この三角公園筋向いの別の施設の敷地内に移動し、朝食・炊き出しが準備されていたので、各テーブルで、立ちながら朝食。・・

 労働者のほか、いろんな人がここには居ますようで・・食事後の数十分の間、話を自由にしてたんですが、その中で、刑ム所体験者が4名 (>_<) も 自由になってからもう数年、ここの街で人と過ごすことで 再犯への道が避けられる、と言ってる(元・詐欺師、薬の売人などらしい・・) ちなみに、話していたら、けっこうおもしろい

・・そして。大型バスで移動、と言っていたのが調子がわるいらしく、急きょ このまま(58名・・)地下鉄で移動することになった。彼らいわく「このまま、何事(モメ事)も起こらず、移動できるんか・・!?」(まあ冗談)、歩いて地下鉄御堂筋線まで行き、淀屋橋で降りました・・

それで、ここで 「大阪市役所」への要望書提出となります。(時間にして、30分程度に思えたが)

ここで、まじめな話、要望書の内容と、釜ヶ崎から行政への要求の本質とは

今年、「ホームレス自立支援法」が8月に施行終了するため、その法律の10年間の延長を。~”生活困窮者自立支援法”では、すでに野宿生活を強いられるほどに状態の悪化しているホームレスの人間を引き上げるための役割を果たせない。また、ホームレス自立支援法は、ホームレス状態の責任が国にあることを明示した、唯一の法律である。だからこの法律を消してはいけないということです

実状として、高齢化率の高い労働者には、建設業など昔のような仕事に就くことはきつくなっているため、市内の清掃ほか軽めの作業を高齢者(55歳以上)向けに用意された ”特別清掃事業(特掃)”(~日当 ¥5700、8時間)の拡充(仕事の数、増やす)を、要求。

それによって、高齢となった労働者が収入を得られる道となり、野宿生活へ移行していくことを防ぐことができる。

生活保護受給は、高齢者となったり最終的に働けなくなった人には必要なのですが、・・

ここでの主張・要望を聞いていて思ったのは、一貫して、自立、働きながら、自分の収入で住居(ドヤといわれる簡易宿泊施設またはアパート)代を払って生活する、自立の道を開かれるよう、行政に最低限の施策を要求しているのだ、ということでした。

以下に、今年の市・府への要望書を貼ります。
 

 

また、ほか(要望)には、

今年、’70年に建てられた「あいりん労働福祉センター」(築47年、老朽化、耐震基準に問題)が建て替えとなっていくにあたり、ほかのこともであるが、この地域の事の計画が、地域に知らされず、行政によって一方的になされないように、説明と、またその前に要望を聞き込んでくるような姿勢をお願いしたい。

ほか、大阪市と府が縦割りでなく、一貫して取り組んでほしい、など いろいろ聞かれました。・・

市役所での要望書提出を終えて、

ここで、バス到着。勝利号に若いのんも老いたんも中年(私か)も乗り込んで 大阪府庁舎まで移動。

同じ光景をもう1度、大阪府庁舎前で。

最後にこちら側からの評価、として 「大阪府の方が、大阪市よりも、より前向き・積極的に、要望を受け止めてくれたという感触をもっております」 ということで・・

以上、私としては、なぜかこういうことに(年末年始、3日も釜ヶ崎に)なってしまって・・なぜなのだろうか。なぜか、わからない、魅力、と言ってしまうのには違う、興味、強い関心、ということか。まだよくわからないが、なんだか ここに、政治のひずみ、社会の機構の、なんか凝縮されたもの、人間のきれいのきたないの、ごちゃごちゃしたものが渦巻いていて・・なんだか、ここに来たら、深く考え・感じさせられてしまう。それがなんだかよくわからない限り、またここへ来ることになってしまうんだろうか?な、と思ったりして、また炊き出し、歌ほかでもここへ参らせてもらうことになるのかな。ということで。





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