私とワンコの関係

ダメ人間の私を助けてくれてるワンコの話 聞いて下さい

その時に分かった異常

2015年05月27日 | 日記



このあと 何か所もハゲみつかったんで 大したことないレベルなんですが

まあ 参考まで・・・・
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夢の大けが その2

2015年05月27日 | 日記


翌日 親父に 朝一 母の病院きてもらい 私は夢の元へいきました

頭の中では もういろんな事がうずまき もう 正直 覚えていません

診察室で待つこと数分 夢がきて 目に何かついてるのだけはわかりました

眼球 あるんのか ないのか その時点ではわかりませんでした

担当医が「なんとか 大丈夫だと思います 眼球 納めてますので しばらくはこの状態で」 と
私は「ほんまですか この先も大丈夫なんですか」と聞きましたら
担当居は「 これからが成長期なので 多分大丈夫 収まるでしょう」 と

腰ぬける とは こんな感じなんやろな と思いました 全身の力ぬけました


担当医は 「連れて帰っても大丈夫ですよ 定期的には来てもらいますが」と
もちろん つれて帰りました 夢 まだ 3か月みちてなかったんですよ

ブリーダーさんにこちらの事情をお話して 本来なら もう少し手元に置きたい所を 信念まげて
うちに送って下さった子です

この日から 夢は 他ワンコとは完全に離し育てました

眼球が残った のは 本当に感謝 感謝 でした

その後 散歩で会うワンコ仲間に聞いたら かかりつけ休診で次に行った病院(同じく休診だった)は
間違いなく 眼球とったやろ と  簡単な方法とることで有名やったらしいです


いろんな意味で 不幸中の幸いでした

でも その頃から 私に異変があったんですけどね

ハゲてました

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夢の大けが

2015年05月26日 | 日記


この日を境に 母は日に日に弱ってきました
詳しい経過は 又 別の機会に  と思っていますが
母は それまでは 入院を嫌がっていました
母は 生命保険 なるものを何も入ってなかったので 今かかっている費用が
全て 私が支払っているのを知ってたので 気を使ってたんだとおもいます
ですが ある夜 私がパソコン作業してる時に ドッサー っていう大きな音がして
ビックリして部屋出ると 母が倒れていました
いわゆる お姫様抱っこして ベッドに寝かせてると
母が「トイレ行こうと思たけど 足に力がはいらん」 と
私は 「寝る前の薬は 睡眠導入剤も入ってるからやろ 心配いらん」 といいました

でもその日から起き上がることが困難になり お医者さんの助言で介護の手続きしたり
色々しましたが 母は「入院するわ・・・」といいました

下の世話なども始まってた中 私に負担かけたくなかったのだろうとおもいます
「こんなん慣れたら もっとチャチャットできるから 気にせんでええで」といいましたが
「入院するわ  ごめんな」と

次の日 お医者さんの尽力により ホスピスのある病院へ入院しました

そんな中
H20年2月7日
正直 母はいつ亡くなってもおかしくない状態でしたが 夕方 うちのワンコ達に
ご飯をあげに一旦家へ戻りました
タクシーで帰り タクシーに待っててもらい いつものように ワンコにご飯を食べさせ
バタバタしながら おやつを渡し おわんをかたずけてる時に 夢の悲鳴のような鳴き声がしました

何事か とみると夢が尋常でない動きをしてて 抱き上げると 左目が 殆ど出てる ような状態で
目から血を流し 泣き叫んでいました

なんなん これは  とパニックになりながら 待たせてあったタクシーに乗り かかりつけの病院へ
でもこの日は 休診日で 近くの病院も休みで

こんがらがってる頭のなかで 堀江に大きな病院あったはず と思いだし 電話番号は 救急のため控えてたので
すぐに連絡  

病院つくと いろんな手続きは飛ばして診てくれました

眼球脱出  医者は 「まだ小さいので なんとか戻せるかもしれません ですが 最悪 眼球は取らなくてはいけません
今晩は預かります 明日来てください」  と

眼球とるて なんなん・・  ともう何が何やらわからんまま 母の病院へもどりました

次の日 夢を見た時は 号泣でした

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叔母との別れ・・

2015年05月25日 | 日記


叔母と母は2日ほどですが 楽しく過ごしてくれました

叔母も 仕事をもっており 無理してきてくれたので 2日が限界でした

伊丹空港まで母と送りました
空港内で 少し 最後のじかんを一緒にすごしました

時間 ギリギリまで 居て 
叔母は「 又 来るから 元気でな」
母は 「貴方こそ 気を付けてや ○○によろしくな 無理したらアカンって」
叔母 「わかった  貴方も 帰ってきなさいよ」 と

大阪人の私が書いてますから 大阪弁ですが 叔母と母は100%鹿児島弁です
鹿児島弁 文字にするの 難しいので・・・・


叔母がゲートに入っていき 最後まで笑顔で 母と別れました

私はこの世で会うのは 2度とない と思うと 泣けてきそうでしたが
叔母が 1番そのことは承知してる中 最後まで笑顔してくれたのに それを
無駄に出来る訳ありませんので 叔母に「お盆には おかんとばあちゃんの墓参りいくわな」
といいました

みな 普通にお別れをしましたが  
今になれば 母も気づいていたかもしれません 言いませんでしたが

夜 叔母から家についたとの連絡がありました

この会話が 姉妹の本当の最後になりました
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叔母(母の妹)がきてくれました

2015年05月24日 | 日記


叔母が 仕事の都合付けてきてくれました

子の頃は 母も横になっていることが多く 麻の散歩は行かなくなっていました

母は 「わざわざ こんでもいいのに」 と言ってました
陰で私が頼んだことは 知りませんので

私は 「そりゃ 今まで 病気らしい病気してないんやから心配するやろ」 といいました


母と叔母は 何年かぶりに会ってますので 本当に 楽しげに色々話したりして 
常に笑い声がありました
でも きっと 叔母はつらかったと思います
母の兄弟は 本当に仲がよいので 事情知ってる叔母が 見た目 ただのお見舞い と見えるように
してくれたことに 感謝しつつ 申し訳ない気持ちでいっぱいでした

叔母がいてる時に 又 一緒に散歩出たり 起き上がってたり 母も元気がでていました


叔母は送った旅費を 私に差し出し 「他に使い・」と

おばちゃん ごめんな つらいおもいさせて

でも ホンマに来てくれてよかった と思う

叔母も ありがとう って言ってくれたけど それは こっちのセリフやで


ほんまに ほんまに ありがとう
1っこだけ おかんに親孝行できたわ 最期の最期になってもたけど 

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