リタイアした「から」、あれがやりたい。これもやりたい。

人生のセカンドステージに、もう一度夢を描き直す。
「夢翔庵」の気ままなひとり言です。

食べず嫌いとの訣別?

2023年12月17日 | ひとり言
子どものころから相当な偏食でした。
「○○がきらい」というよりも、この中で食べられるものは「これとこれ」と言った方が近いヒドさでした。

例えばたまのご馳走ですき焼きを食べるとすると、お肉と麩としらたき(糸こんにゃく)だけよそって、野菜や豆腐、きのこ類などには一切手をつけませんでした。
味噌汁ならたいていの具はすべて残して液体だけ飲んでいました。
学生のころたくさん出店していたサッポロラーメン屋で「もやし抜き」をお願いして困惑されたことも。<似た記事>

偏食がとてもお行儀が悪く、無作法なことだと当時は思いもしませんでした。商売をしていた家に育ったせいか、幼児期におやつや好きなものだけ食べて過ごしてきたせいでしょう。お腹が空いたという感覚を味わった記憶もないし、食べることにほとんど関心がありませんでした。
正直、錠剤で満腹になるならその方が合理的だなどと、本気で思っていましたし、幾人かにそのことを話して訝しがられたり距離を置かれたこともあります。20代ぐらいまではこんな調子だったと思います。

いま曲がりなりにも食べられるものが増えたのは偏にカミさんの「しつけ」のおかげですし、リタイアして毎日家で食事をするようになって初めて食べたメニューもたくさんあります。
麻婆○○とかあんかけ○○とか、中華風の○○丼とか、一度も食べないですませてきて、最近ようやくその機会ができて「美味しい」と思えるようになったばかりです。

こんなことを書くと、「食べる楽しみがわからないなんて、なんて損をしてるんだ」という声が聞こえてくるようですが、そうして今まで過ごしてきたので、とくに「もったいない人生を送った」とも思いません。味覚に鈍感なのかもしれません。

今までもこれからも、トリ肉や納豆は絶対口にしないでしょうし、今まで一度も食べたことのない多くの食材や料理もあえてチャレンジする気もありませんが、出されたものはいちおう食べてみるくらいの食べず嫌いに固執しない寛容さは持とうと思います。ただ哀しいかな、食べられずに後悔するなんてことは断じてないでしょうが・・・。

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