癒しの湯が涌き出るアメリカのスイス
Ourey
人口約800人 標高2340メートル
シルバートンからユレイに向かう道のりで見た風景は、私が抱く山のイメージとはかけ離れた荒々しい風景だった。 人々を優しく包み込む穏やかな山の景色はそこにはなく、山は赤茶色の肌をむきだしていた。 厳しい自然の削り取られた山肌は、安易にここに入りこむなと、人間にを警告しているように思える。 ここに住んでいたインディアンたちは、きっと山の神の許しを得てこの奥地に入り込んだのだろう。 そして、自然とともに山の神を敬いながら暮らしたのだろう。
赤茶色の山肌。 コロラドはスペイン語で”赤い色”という意味。カラーレッド、カラーレッドと言い続けると、いつのまにかコロラドになる。
シルバートンからユレイはHwy550を通って37キロ北上したところにある。このHwy550はミリオンダラーハイウェイと呼ばれる。とにかくここからの景色は絶景で、地元の人たちはJaw-Dropping View, あごがはずれるくらいすばらしい眺め、と表現している。
崖を削り、わずかな床面スペースにアスファルトを敷いただけの道路は、何度も大きくわん曲し、そのたびに「わっ、道路の先が消えた!!」、とギョッとする。 渓谷の向こうに見える山は、荒々しい自然に削り取られた岩肌を剥きだして、なんとも不思議な美しさだ。しかし、あまり見とれていると、不意に何かの力で谷底に引きずり込まれそうになる。
道は舗装されているが、ガードレールはない。もちろん街灯などないので、夜は自分の車のヘッドライトを頼りに運転するしかない。 暗くなってからの運転や雪の日など、悪天候でのドライブは避けたほうが賢明だ。
シルバートンを出発して45分。ちいさな山の合間にユレイの町が見えた。町の入り口には「Ouray、Switzerland of America」のサインがあった。
ユレイの町は小さい。 ガソリンスタンドも小さい。
ハイウェイから見たユレイの町。 「ユレイはアメリカのスイス」のサインがある。
ユレイの歴史
白人たちがやってくる前、この地にはユーツインディアンの遊牧民、Tubeguach族が住んでいたという。彼らは夏になると牧歌的なこの地にやってきて狩をし、そして「神聖な奇跡の水」に体を浸した。
Tubeguach族はすでに、ここの地下から涌き出る温泉に、体を癒す力があることを知っていたのだ。事実、この地がユレイと呼ばれる前はユーツインディアンの言葉で“Uncompahgre” Hot Water Springs(温泉)と呼ばれていた。 1700年代になるとこの山間の地にもスペインの探検隊が入ってくるが、彼らは自然の厳しいこの地に住もうとは考えなかった。
当時スペイン人を親切に道案内したのは、ユーツインディアンだった。 しかし1800年代に金、銀、銅の鉱脈が発見されると、大勢の坑夫たちが流れ込むことになる。現在サンユワン山脈に残るトレイルは、この坑夫たちが100年以上も前に切り開いたルートだ。
昔、鉱石を運び出していたトロッコの線路が、途中でブッツンと切れている。
1873年、Tubeguach族の首領、Ouray(ユレイ)は、この地を白人に明け渡すとの文書に署名した。 インディアンが去り、1876年に正式に町づくりが始められると、白人たちはOurayに敬意を表し、この町をユレイと名づけた。
最初の年の人口は400人。かれらは凍えるような長い冬に耐えながら、春の訪れを待った。 1880年になるとユレイは鉱山ブームに沸き、人口は2600 人を超えた。 学校がつくられ、教会、病院が建ち、レストラン、商店、下宿屋、酒場が軒を並べ、売春宿も現われた。 1888年には、デンバー&リオグランデ鉄道がユレイまで延び、町はいっそう活気づいた。 が、鉄道開通からわずか5年後、シルバーの価格が暴落し、ユレイも他の鉱山の町と同じように衰退しはじめる。 しかし、幸運にもユレイの南西部にあったキャンプバードで金鉱が発見され、ユレイはゴーストダウン化からまぬがれたのだ。
サンユワン山脈に取り残された家。 ゴーストトタウンも点在する。
ユレイを歩けば
ユレイの町は小さいが、町に残された古い建物はきれいに保存されている。 コートハウス、博物館、St. Elmo Hotelなど現在あるビクトリア様式の建物の3分の2はオリジナルで現在も使用されているという。山が町のすぐ近くまで迫り、まさしくアメリカのスイス。 町を散策したあとはThe Box Canon Fallへ。 トレイルを歩けば、切り込まれた岩の奥にある滝壺まで、ミニハイクが楽しめる。
ユレイへ来たら、温泉に入らずには帰れない。 メインストリートの北の端にあるOurey Hot Springs Poolは公共の施設で年中オープン。夕暮れ時に温泉につかると、コロラドの山々がますます迫力を増し、自然の懐の奥深くに沈み込んだと実感できる。
大人も子供も楽しめるホットスプリング。 水着をお忘れなく。
にほんブログ村
Ourey
人口約800人 標高2340メートル
シルバートンからユレイに向かう道のりで見た風景は、私が抱く山のイメージとはかけ離れた荒々しい風景だった。 人々を優しく包み込む穏やかな山の景色はそこにはなく、山は赤茶色の肌をむきだしていた。 厳しい自然の削り取られた山肌は、安易にここに入りこむなと、人間にを警告しているように思える。 ここに住んでいたインディアンたちは、きっと山の神の許しを得てこの奥地に入り込んだのだろう。 そして、自然とともに山の神を敬いながら暮らしたのだろう。
赤茶色の山肌。 コロラドはスペイン語で”赤い色”という意味。カラーレッド、カラーレッドと言い続けると、いつのまにかコロラドになる。
シルバートンからユレイはHwy550を通って37キロ北上したところにある。このHwy550はミリオンダラーハイウェイと呼ばれる。とにかくここからの景色は絶景で、地元の人たちはJaw-Dropping View, あごがはずれるくらいすばらしい眺め、と表現している。
崖を削り、わずかな床面スペースにアスファルトを敷いただけの道路は、何度も大きくわん曲し、そのたびに「わっ、道路の先が消えた!!」、とギョッとする。 渓谷の向こうに見える山は、荒々しい自然に削り取られた岩肌を剥きだして、なんとも不思議な美しさだ。しかし、あまり見とれていると、不意に何かの力で谷底に引きずり込まれそうになる。
道は舗装されているが、ガードレールはない。もちろん街灯などないので、夜は自分の車のヘッドライトを頼りに運転するしかない。 暗くなってからの運転や雪の日など、悪天候でのドライブは避けたほうが賢明だ。
シルバートンを出発して45分。ちいさな山の合間にユレイの町が見えた。町の入り口には「Ouray、Switzerland of America」のサインがあった。
ユレイの町は小さい。 ガソリンスタンドも小さい。
ハイウェイから見たユレイの町。 「ユレイはアメリカのスイス」のサインがある。
ユレイの歴史
白人たちがやってくる前、この地にはユーツインディアンの遊牧民、Tubeguach族が住んでいたという。彼らは夏になると牧歌的なこの地にやってきて狩をし、そして「神聖な奇跡の水」に体を浸した。
Tubeguach族はすでに、ここの地下から涌き出る温泉に、体を癒す力があることを知っていたのだ。事実、この地がユレイと呼ばれる前はユーツインディアンの言葉で“Uncompahgre” Hot Water Springs(温泉)と呼ばれていた。 1700年代になるとこの山間の地にもスペインの探検隊が入ってくるが、彼らは自然の厳しいこの地に住もうとは考えなかった。
当時スペイン人を親切に道案内したのは、ユーツインディアンだった。 しかし1800年代に金、銀、銅の鉱脈が発見されると、大勢の坑夫たちが流れ込むことになる。現在サンユワン山脈に残るトレイルは、この坑夫たちが100年以上も前に切り開いたルートだ。
昔、鉱石を運び出していたトロッコの線路が、途中でブッツンと切れている。
1873年、Tubeguach族の首領、Ouray(ユレイ)は、この地を白人に明け渡すとの文書に署名した。 インディアンが去り、1876年に正式に町づくりが始められると、白人たちはOurayに敬意を表し、この町をユレイと名づけた。
最初の年の人口は400人。かれらは凍えるような長い冬に耐えながら、春の訪れを待った。 1880年になるとユレイは鉱山ブームに沸き、人口は2600 人を超えた。 学校がつくられ、教会、病院が建ち、レストラン、商店、下宿屋、酒場が軒を並べ、売春宿も現われた。 1888年には、デンバー&リオグランデ鉄道がユレイまで延び、町はいっそう活気づいた。 が、鉄道開通からわずか5年後、シルバーの価格が暴落し、ユレイも他の鉱山の町と同じように衰退しはじめる。 しかし、幸運にもユレイの南西部にあったキャンプバードで金鉱が発見され、ユレイはゴーストダウン化からまぬがれたのだ。
サンユワン山脈に取り残された家。 ゴーストトタウンも点在する。
ユレイを歩けば
ユレイの町は小さいが、町に残された古い建物はきれいに保存されている。 コートハウス、博物館、St. Elmo Hotelなど現在あるビクトリア様式の建物の3分の2はオリジナルで現在も使用されているという。山が町のすぐ近くまで迫り、まさしくアメリカのスイス。 町を散策したあとはThe Box Canon Fallへ。 トレイルを歩けば、切り込まれた岩の奥にある滝壺まで、ミニハイクが楽しめる。
ユレイへ来たら、温泉に入らずには帰れない。 メインストリートの北の端にあるOurey Hot Springs Poolは公共の施設で年中オープン。夕暮れ時に温泉につかると、コロラドの山々がますます迫力を増し、自然の懐の奥深くに沈み込んだと実感できる。
大人も子供も楽しめるホットスプリング。 水着をお忘れなく。
にほんブログ村