コロラド州より、小さな町の小さな物語

コロラドの魅力は小さな町にありました。人気の田舎町への小さな旅と、日々の暮らしのレポートです。

シルバートン ①西部劇そのままの町

2009-09-30 13:27:57 | 旅行
西部劇そのままの町



Silverton
人口約500人 標高2795メートル

朝7時半にデュランゴを出発した蒸気機関車は、くねくねとサンユワン山脈を走り、11時ころシルバートンに到着する。到着するといっても、駅舎やプラットホームがあるわけでなく、突然道の真ん中で線路が途絶えて、これ以上進めませんから降りてください、という感じだ。
蒸気機関車が止まるのは12thストリート。 汽車を降りてすぐ前の道がEmpire St.だ。 Empire St.はかつてBlair St.と呼ばれRed Light District(娼婦街)があったところだ。




汽車が到着するまで、だれも駅と気づかない終着駅シルバートン


市の観光パンフを見ると、Blair St.はNotorious Blair Street――かの悪名高いブレイアー通り、と紹介されている。 鉱山で働く荒くれ者たちの楽しみ、それはやはり酒と女と博打。 このあたりには全盛期には酒場は32件にのぼり、賭博場、娼婦の館が3ブロックにわたって軒を連ねていたという。 
もちろん、当時はギャンブル同様、売春も違法だった。 でも娼婦たちは目に見えない境界線の向こう側、 “より一般的な人が住む”Green Streetに入り込まない限りは、その存在は容認されていたようだ。
しかし、彼女たちは時々ハメをはずしてしまう。境界線をこえ、Green Streetに姿を現したた娼婦たちは捕まり、拘置所に送られたそうだ。 拘置所からは罰金を払えば出ることができたが、彼女たちが支払ったお金は市の貴重な財源だったそうだ。




シルバートンのメインストリートGreen St. にある博物館。 二階の窓に鉄格子がかかっている。ここは、娼婦たちが一夜を過ごした拘置所。



シルバートンで道が舗装されているのは、メインのGreen St.だけ。この通りに土産物屋やレストランが集まっている。多くのツーリストは蒸気機関車を降りて、まっすぐGreen St.にいってしまうが、ぜひBlair St.(現Empire St.)を歩いてほしい。Blair St.には1880年から1900年のはじめに建てられた古いサロンが残り、西部劇にでてくる町そのもの。いまにも馬に乗ったカウボーイが砂埃をたてて現れそうだ。





Blair Streetの写真屋さん。 今日も元気に?営業中。




メインストリートのGreen Streetから一本裏側の道で見つけた民宿、Almost Heaven, Bed and Breakfast. 残念ながら休業中。



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デュランゴ ③蒸気機関車に乗ってみよう

2009-09-25 13:47:50 | 旅行
蒸気機関車に乗ってみよう



デュランゴの町には匂いがある。 石炭の燃える匂い、煙の匂い。蒸気機関車は町の中では、なるべく煙をはかないようにしているんだとか。 それでもデュランゴの町に近づくと、どこからとなく昔嗅いだ記憶がある石炭の匂いに気づく。

デュランゴの観光は、蒸気機関車ぬきに語れないほど、狭軌鉄道の旅は大人気だ。夏休み中は切符を買うもの大変で、翌日の切符も完売されてることが多い。
Durango & Silverton Narrow Gauge Railroad (狭軌鉄道)の駅は、メインアベニューの南のつきたりにある。
朝、駅を訪れると、昔懐かしい駅の雰囲気が味わえる。 朝もやの匂い。 石炭の匂い。 蒸気機関車は端っこのほうで遠慮がちに煙を吐き、静かに乗客を待っていた。 いったん動き出すと3時間半、休みなしで働かなくてはいけないので、今はじっとしていたいのだろう。 ドデンと居座っている。 対照的に旅行者はあっちへ行ったり、こっちへ来たり、写真を撮るのに忙しい。




出発の合図を待つ蒸気機関車。 汽車が発車するのを待つ観光客。 落ち着かない様子でてソワソワしているのは、もちろん観光客でした。


発車間際にやってきた人は、息をきらしながら自分の車両を探している。 コーヒーとベーグルとカメラで両手がふさがり、乗り込むのに手間取っている。 ベーグルもいいけど、汽車にはやっぱり駅弁。どこか弁当とお茶が買えるお店があれば、いいんだけれど。。。 
この駅でお寿司のパックを出すと、けっこう売れるかもしれない。 ビジネスチャンスはどこにでもあるはずだ。 家でせっせっとカッパ巻きをつくる自分の姿をしばし想像しながら、ビジネスアイデアを練った。


7時半、蒸気機関車は何車両もつながった客車をひき、ゆっくりと動き出した。
乗客は窓から手を振っている。 デュランゴからシルバートンまで、車なら1時間ちょっとだが、蒸気機関車は3時間30分かけてゆっくり走ってゆく。 狭軌鉄道ゆえ車体は狭い。 座席のシートももちろん小さめ。 おまけにビニール製のシートなので油断すると体がずれ落ちる。 往復7時間の乗車後、体がガタガタするのをこの人たちは知っているのだろうか。でも、蒸気機関車は楽しい。 子供心に帰れるし、一生忘れることのない思い出だ。



汽車、汽車、シュッポ、シュッポ、うーっ、今日も満席、客車が重い。 でもシルバートンまでがんばるぞ。ポッポー



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デュランゴ ②ダウンタウンは今日もにぎやか

2009-09-25 00:18:34 | 旅行
ダウンタウンは今日もにぎやか


デュランゴの町はいつもにぎやかだ。

町はローカル色豊かで、ダウンタウンでは一年を通していろいろなイベントが催される。 春、夏、秋はアートやミュージックフェスティバル、9月は大きなマウンテンバイクレースが開催され、バイクレースの次の週はビールフェスティバル。雪が降り出すと町は少し静かになるが、年が明けるとMelt Downと呼ばれるイベントがある。 メルトダウンは冬の間、家にこもりがちな地元の人たちをダウンタウンに呼び出そうとはじめたもので、2009年で29回目を迎えた。 いくつかのホールではコンサートや子供たちのタレントショーが開催され、夕方には極寒のなか!パレードも行われる。 私がデュランゴに住んでいた年のメルトダウンでは、海賊に扮したNeedhan小学校のユニサイクルクラブの子供たちが一輪車に乗って、元気に走り回っていた。

3月には3日間連続でブルーグラスフェスティバル、朝から晩まで町のバンジョーやベース、バイオリンの音があふれる。 5月末にはアイロンホースと呼ばれる有名な自転車のロードレースが行われ、全国から多くのバイクライダーが参加する。(2008年のアイロンホースは悪天候のため中止になった) もちろん有名なプロのバイクライダーも多くやってきて、ダウンタウンはシェイプアップされた体に派手めのバイクシャツを身につけ、ハイクオリティ、ハイパフォーマンスのレースバイクに乗った人が風のごとく町を走り抜ける。 デュランゴは、自転車を楽しむ人が一度は住んでみたい憧れの土地なのだそうだ。 実際、デュランゴにはプロやセミプロのレーサーがたくさん住んでいる。




メインアベニューを歩くと必ず目につく赤茶色の建物は、デュランゴの老舗、ストレイターホテル。

町の中心はMain Av. メインアベニューと言っても、デュランゴはコロラドの小さな町だから、道幅も広くはない。 長さも、狭軌鉄道の駅舎からはじまり、12th通りくらいまでで、歩いてもせいぜい15分。ここにレストランやショップがぎゅっと集まっている。 でも個性的で楽しいお店が多いので、ゆっくりショッピングをしているとあっという間に時間は過ぎてしまう。 春夏秋のダウンタウンはいつも観光客でにぎわっている。 冬は少し人が少なくなるが、雪がふっても人通りが途絶えることはない。



観光客はまず、Tシャツ屋さんをのぞきまわる。どのTシャツ屋さんもココペリやサウスウエスト調のおもしろいデサインが並び、値段だって高くない。 買い物で疲れたら、地元のおいしいコーヒー屋さんDurango Coffee Companyや Steaming Beans、 Durango Joesへ。これらのローカルのコーヒーショップは、町に一軒だけあるスターバックスより混んでいる。 地元の本屋さんものぞいて見たい。 Maria’s Book Storeはスタッフが親切で、全国チェーンの書店とは違った温かな雰囲気があった。
作りたてのビールの味も忘れられない。 アメリカ人はみんなバドワイザーを飲んでいるのか、と思いきや、デュランゴの人たちは作りたての新鮮なビールをこよなく愛していた。 ホームメイドのビールが味わえるのは、Carver Brewing Co.とSteamworks。メニューも充実していておいしい食事が楽しめる。
デュランゴのダウンタウンには、ローカルの人もたくさんやってくる。 メインアベニューはローカルの人たちの社交場のようなもので、ここに来ると必ず知っている顔に会うのだという。





おいしいビールはここで飲める。 そばサラダもあった。サラダのうえに日本のそばが盛り付けてあって、ピーナッツ味のドレッシングをかける。



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デュランゴ ①なつかしの蒸気機関車に出会える

2009-09-24 13:23:56 | 旅行
懐かしの蒸気機関車に出会える




Durango
人口1万4000人   標高1988メートル



はじめてデュランゴを訪れた日、夢の中にいるような光景に出会った。
夕方、ダウンタウンを歩いていると、どこからかポーッという大きな汽笛がきこえた。汽車? なんで? 
狭い道路には、外し忘れたような線路が横切っている。 でも、踏み切りはないし、まさかこんな所を汽車が走るわけはない、、、と思っていると、赤信号が点滅しだした。 車がとまったので私も道路の端っこに立ち止まっていると、なにやら裏道のようなところからモクモクと煙がたちこめてきた。「えっ、ひょっとして?」と思ったとたん、黒い煙を吐きながら、巨大な蒸気機関車が迫ってきた。 本物だ。本物の蒸気機関車が目の前を走っている。手を伸ばせば触れるくらいの距離だ。 間近でみた蒸気機関車は、すごい迫力だった。 しばし呆然とし、汽車を見送った。




突然あらわれた鉄のかたまり。 町のど真ん中を堂々と走っていく。


デュランゴは1880年、デンバー&リオグランデ鉄道の創業者、ウィリアム パルマーによって形作られた。当時サンユワン山脈は、金銀銅の発掘ブームに沸き、多くの探鉱労働者が山間部に流れ込んでいた。 鉱夫のキャンプがあったのは、デュランゴの北80キロに位置するシルバートン。ウィリアム パルマーはデュランゴに「住むための町」をつくり、シルバートンとデュランゴを狭軌鉄道で結んだ。これが今に残るDurango & Silverton Narrow Gauge Railroadだ。
昔は、シルバートンからは鉱石が運び出され、デュランゴからは鉱山で働く人たちの生活物資が送られた。今は、多くの観光客がこの狭軌鉄道でシルバートンへの旅を楽しんでいる。




朝夕、アニマス川沿いの散歩道を歩くと気持ちがいい。 夏はラフティングを楽しむ人が手を振ってくれる。


なぜ、デュランゴなのか?

Durango の名前は、バルク語(スペインとフランスの国境に住むバルク人の言語)の Urangoに由来する。 Urangoとは「水の町」の意味。 その名のとおりデュランゴの町の中を,アニマス川がゆっくりと流れる。



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パゴサスプリングス ①伝説のヒーリングパワー

2009-09-23 07:01:21 | 旅行
伝説のヒーリングパワー



Pagosa Springs
人口約1800人  標高2130メートル

デュランゴからHwy160に乗って、約1時間15分。もうそろそろパゴサスプリングスかな、と思った頃、何やらニオイはじめた。「えっ、何かした?」と後ろに座っている息子を見た。 こんな時、決まって疑われるのは10歳になる息子である。
「ぼくじゃない、ぼくじゃないよぉ」と怒ったように言う。 じゃあ、誰が?と言いかけて外をみると、白い湯気がもくもくとたちこめている。 あっ、パゴサスプリングスに着いたんだ。
白い湯気は温泉のしるし、このニオイはイオウのにおいだ。




これはなあに? ミネラルの結晶が堆積して、火山のような形になった古い源泉です。 崩れやすく登ると危険。




パゴサスプリングスの中心に入ると、ハイウェイ160はPagosa Stと名前が変わる。Pagosa Stをゆっくりと走るとVisitor Centerのサインが見え、Hot Springs Blvd,に入って橋を渡るとすぐ右手にビジターセンター、その横にうすいピンク色の建物のThe Springsがある。
The Springsはパゴサスプリングスで一番人気のある温泉施設。 建物の奥はサンユワン川にそって18の小さなプール(露天風呂)と水泳用の温水プールがある。
The Springs Resortのロッジ宿泊客は露天風呂を無料で利用できるが、一般客は施設使用料を払う。 タオルやバスローブの貸し出しもある。




このプールの名前は The Aspen 温度は107度。 華氏で表示されている。 107度はやや熱め。




露天風呂にはBoulder, Lobster Pot, Water Fallなど、それぞれ名前がつけられていて温度も華氏で表示されている。95度はややぬるめ、103から105度くらいが日本人にとってちょうどいい温度かも。 Lobster Potはその名のとおり体が赤く茹で上がるくらい熱い。18のプールは、どれも野趣味豊か。 鯉が泳いでる中央の広いプールは入浴禁止なので注意したい。今年も子供が悪ふざけをして中央のプールに入ると、すぐ係員が飛んできて家族全員が追い出されたらしい。中央のプールには、ロープを張った木橋のようなブロードウォークが架かっている。足元をお湯につけながらブロードウォークを渡りきると、滝壺のような Cliff Pool。 ミネラルの結晶が堆積して火山のような形になった古い源泉から、ミネラルたっぷりのお湯が流れ落ちている。


温泉は一年中オープン。 パゴサスプリングスは湯治場としても有名で、伝説のヒーリングパワーを求めて各地から人々が訪れる。
アメリカのホットスプリングといえば、泳げるくらいの大きな温水プールが一般的だが、パゴサスプリングスは小さな露天風呂が川沿いに並び、いかにも湯治場という雰囲気。小川のせせらぎを聞き、ロッキーの山に抱かれながらお湯につかると、本当に極楽気分だ。




パゴサの温泉は、冬もオープン。 スキーを楽しんだ後、温泉につかる人も多い。 湯につかりながら見る雪景色も最高だとか。




パゴサの湧き湯は神からの贈り物



こんなインディアンの伝説がある。昔このあたりに住むユーツインディアの間に疫病が蔓延した。メディスンマンが手を尽くしても、死者は増えるばかりだ。困り果てた部族の首領たちはサンユワン川の川岸に集まり、巨大な焚き火をたき、神の助けを乞うたという。彼らは焚き火のまわりで踊りを捧げ、疲れ果てて眠るまで祈りつづけた。
翌朝、彼らは燃え尽きた薪の下から、ボコボコと涌き出る湯の音で目を覚ました。――神が自分たちの祈りに答えてくれた。 涌き出る湯は神からの贈り物だ。――
インディアンたちはお湯をすすり、病んだ体を湯にひたした。すると病は瞬く間に癒えたという。彼らはこの涌き出る湯をPag-osah:Healing Waterと呼んだ。 

The Springsのロッジの裏に源泉のGreat Pagosa Hot Springがある。 安全のため柵で囲まれているが、プールからは真っ白な湯気がたちのぼり、ボコボコと熱いお湯が沸き出ている。 Pagosaはインディアンの言語で、PahはWater、GosahはBoilingの意味。 一般的にはHealing waterといわれているが、語源のとおり今もかなり高温の湯が涌き出ている。



インディアンたちが祈りを捧げたあと、湧き出したと伝えられるパゴサスプリングスの源泉。 湯気がたって、ほんとうに熱そう。



この癒しの湯は何代にもわたってインディアンたちに引き継がれ、彼らの病を治してきた。150年前、白人たちがこの地に入ってきたとき、偶然にもGreat Pagosa Hot Springを発見する。その時、プールのまわりに無数の人間の足跡があったという。

別のインディアンの言い伝えによると、1867年にホットスプリングの所有権をめぐって、ユーツインディアンとナバホインディアンとの間で争いがあったという。
各部族はそれぞれ代表者を選び、戦いに勝った方の部族がホットスプリングの所有権を得ることとした。 ユーツインディアンからは、長年ユーツ族と交友のあった白人のアルバート ファイファーが選ばれた。 ファイファーはすぐにナバホ族の代表を倒し、ホットスプリングの所有権をユーツインディアンにもたらしたという。
しかし、その後、多くの白人開拓者がなだれこみ、ユーツインディアンと白人との信頼関係は崩れてしまう。 そして1874年、皮肉にもユーツインディアンはこの地から追い出され、白人に温泉の所有権を奪われてしまったのだ。



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