goo blog サービス終了のお知らせ 

清水女次郎長の想い

写真付きで日記や趣味を書くならgooブログ

市の文化財保護課職員が、梅村司教に会いました(2020年10月)

2020-12-04 12:09:40 | 清水教会


<静岡県庁:古い方の建物>

 県知事はじめ県の上方部が聖堂に大きな関心をもち、文化財保護課職員が10月27日に、また建築学会の土屋(常葉大学の教授で、建築学会の重鎮)が梅村司教に会って話を聞けました。

2人からの、これまでの経緯について司教の話 

①建て替えについての話は、20年前から横浜で。集金の名目は建て替え。補強になると寄付をやり直さなければいけないかも(?集金目的は「聖堂建て替え」ではなく「信徒会館の建て替え」でしたよ)

②2012年、登録有形文化財に指定されていた「谷津カトリック教会」が、焼失。その改築の話がでた時、清水も同時に改築できないかと、前任者(浜尾司教)が当時の清水信徒に聞いたが「関心なし」との返事だった。(それはヘンです? 梅村司教が司教になったのは1999年谷津教会が焼失した2012年の時、すでに梅村司教でしたよ。谷津教会の信徒から小さくてもよい「谷津教会の再建」を希望したが「梅村司教が即反対し、集まった他教会からの見舞金(再建費用)は全て横浜司教館に没収された」と言っています)

③今、改築に関心があるのは清水教会信徒の数名だと思う。他は部外者と受け止めている。余り彼らを巻き込まないでほしいと思っている。(改築:聖堂保存したい信徒は、数名と言うのは大きな間違い。2019年夏、アンケートを取った時に、70人いました)

④2年位前、田辺市長と会合で会ったので話をしたが関心なさそうだった。(当時の市長は「清水教会聖堂」を見たこともなかったのです

2020年12月、田辺市長は「清水聖堂」を見に来て「ぜひ、残してほしい」と言いました

⑤自分としても闇雲に壊したがっているわけではない、横浜でも以前、教会を「横浜公園」に移築したことがある。

⑥耐震工事をするといっても、あそこに背の高い重機を入れられるのかなあ…。(大丈夫、十分、入りますよ。消防車も入っていますから)

●県が文化遺産の調査をするのはどうですか?(県の職員)

(司教)20年前に関心がないと言われていますから…。

梅村司教と話した加藤氏の話を聞いた東郷氏の感想:

一言で印象を言えば「マイナスにはなっていない」「向こうの言い分をよく聞いてきた」「私には、知らなかった話もありました」と。

改めて上記の司教の話についての清水教会信徒の反論

①20年前「建て直す」つもりで金を集めてはいない。いずれ教会の建物は痛んでくるので、補修又は、建て替えが必要になるかもしれないので「積み立てた金」であること。

②清水教会が「文化財」のリストに入っていたのを信徒が確認したのは、約5年前です。

司教からの話には出ていないが、

③なぜ、木造での耐震補強を検討しないのか、その方が安価にできる。費用は全て信徒の負担なのです。

保存を望む信徒は数人ではない(昨年のアンケートでは70人

●信徒からのバチカンへの嘆願書は、10月28日(現地時間:10:46分に配達された)と連絡を受けた。<どうぞ、続きをご覧ください>

 

   


バチカンのタグレ枢機卿あての手紙

2020-12-03 11:19:59 | 清水教会

 

<バチカン大聖堂の正面>

アンドレ・タグレ枢機卿様

十 主の平和                                       2020年10月7日

私は、日本の横浜教区に所属している信徒の一人〇〇です。

日本・横浜教区にある「文化遺産になる小聖堂堂」を、梅村横浜司教は、信徒の話し合いができないようにして「取り壊す」ことにしました、信徒たちは納得していません。この地は外国人労働者(カトリックが多く、教会にまだ来ていない)隠れ信徒が多くこれからの宣教地でもあります。

日本の中部地区にある静岡県は、世界遺産の「富士山と三保の松原」がある所、その地域一帯、パリ・ミッション会のフランス人宣教師が、第二次世界大戦以前から長年、宣教をした地です。

 町のカトリック清水教会聖堂は、1935年、仏人宣教師が、キリシタンを迫害した徳川家康の「浜御殿」の跡地の高台に、まだほんの少ししかいない信徒と、その町の将来性、宣教を考えて、小さいが宝石のように美しい聖堂を、故郷のフランス人の寄付と、日本の木造技術を使い、双塔ゴチック様式で建てました。今、同じものを建てる技術がない…と言われています。もちろん、県外からの巡礼者もたくさん来ています。

第二次世界大戦時の「戦跡」としての価値がある

 第二次世界大戦時、この港町はアメリカ軍に攻撃され、1945年7月に、空爆と海からの艦砲射撃で、町は焼け壊滅状態になったのに、この聖堂だけは奇跡的に残りました。そこに被災した市民が聖堂内一杯になるほど押しかけ、フランス人宣教師と近くの医者が被災者たちを看病し、生き残った人が、最近まで生きていて、「聖堂に命を救われた」と言っていました。戦後この聖堂は、戦跡として「平和を学ぶ場」になり毎年、終戦記念日の前後は多くの大人や子供たちが、歴史と平和勉強の場として、聖堂は開かれていました。

「宣教師が建てた聖堂は取り壊す」という梅村司教の方針と、その固い決意

 以前から梅村司教は「宣教師が建てたものは取り壊す」と言っていたが、どうしてかは話しません。2014年頃から、

  •  清水聖堂は負の遺産だ。修理代がかかるので取り壊すと。新築でも修理代はかかります
  •  2015年11月、司教は自分が選んだ建築士を派遣し、外観を見ただけで、信徒委員長、建設委員長の2人だけに「聖堂は残せないものだと承認しなさい」と。主任司祭はその2人に強要「承諾した」の手紙を司教に送り、「聖堂の取り壊しは決まった」と宣伝し始め、全く知らなかった信徒は仰天しました。
  • 2015年に、この建物は県の「文化遺産」の筆頭候補に出ていることが、市役所でわかり、市も推奨
  • 梅村司教が承諾すればすぐに「文化遺産」になる、県に一つしかない貴重な建造物です。
  • 信徒たちが「修理代を集めた。1か月で巨額の修理代が集まった。「修理代がないから取り壊す」は間違いだったのが確認。主任神父は、信徒に「司教様の望みです、聖堂の取り壊しに賛成しなさい」と強要した。修理代を集めた信徒に書留手紙で、2度も「司教様に処分してもらう」と脅迫した。そして信徒間で「話し合い」をさせないようにした。(神父は司教の言う通りに。信徒とは、少しも話さない)
  • 信徒たちの多くは、聖堂の所有権は梅村司教、個人が持っていて、存廃の決定権も司教様個人が持つと…間違った理解をし「司教様は神様と同等」自分の意見を言ってはいけないと思っています。
  • 第二ヴァチカン公会議で、近代化されたことを知りませんし、司教様たちは、信徒達に知らせません。

小教区では毎年「信徒総会」があり、小教区の信徒が全てを決めていたのに、できなくなり…

2016年、2017年、2018年(2回)、合計4回の「信徒総会」で、信徒の総意は、「聖堂の取り壊しではない、話し合いたい」でした。話し合いは、途中で主任神父・信徒委員がやめさせました。

寺や神社を作る宮大工が、和建築の耐震診断をし、その結果、聖堂は堅固な建造物であり、地震の多い日本では「耐震修理」をすれば、50年は保証できる。取り壊して新築するよりも、大きく安い費用で、文化財的価値の高い聖堂をそのまま耐震保存し「宣教活動」に活用できる…と思われます。

2016~17年、ヴァチカンに手紙を出し、司教から返事を書かせられた<男性信徒>がいます

この教会の男性信徒が、「信徒の話し合いができなくて困っていること」をヴァチカンに手紙を出しました。すると司教はその男性を呼び、「司教様は、いま、信徒たちと一緒に話し合っているのでご安心下さい」と言うウソの手紙を書かせられ、それを司教は、自分に送るように依頼しました。その信徒は、司教に逆らうことが怖く、司教の望み通りの手紙を書き、司教に送りました。司教がその手紙をヴァチカンに送ったと思われます。ところが後日、司教が教会に来て「この信徒の中に、ヴァチカンに手紙を書いた人がいる。そんな信徒がいることを、教皇様が悲しんでいます」と言った。その信徒はウソの手紙を書かされた上に、司教からそんなことを言われました。

<テルベ川とバチカン聖堂:右上>

梅村司教の暴言と司教の裁治権<強い権力中心>の考え方は、信徒に重く…

この町に住む一般市民から「聖堂を残してほしい」という声が上がり、県知事、大学の建築専門家などの有力者や知名人が見学に来て、一様に「これは珍しく美しいゴチック様式の日本建築建物だ」と。テレビや新聞などマスメディアによる報道取材、聖堂でのイベントも多くなりました

市民が「歴史的建造物としての保存」を訴える署名運動をし、約8000人の署名が集まりましたが、司教も主任神父も、受け取らなかったので、市民代表は、ヴァチカンに送りました

 すると主任司祭と、司教の言う通りにする信徒委員らは、訪れる市民やマスメディアの取材陣、遠くからの巡礼者が来ても、聖堂の扉を閉め、聖堂に入ることができなくなり、司教も「許可なく聖堂に入ったら、弁護士を派遣する」と恐喝し、宣教の場として活用しようという姿勢は全くありません。主任司祭は「取り壊しは司教様のお望みです」「聖堂の修理代を集めた人は悪い人、この教会には来られなくなる人です」と信徒委員会でも公言し、聖堂を残したい信徒の<教会での全ての役員・役割を辞めさせ>、誹謗・中傷で排除しました。

2019年3月の信徒総会では信徒委員会側が「聖堂のことは議題にしないこと」を決め、2020年2月の信徒総会も「聖堂」に関する話はやめさせ、信徒からの質問を一切受けず、それでも質問しようとすると、発言を途中で遮(さえぎ)り、席に追い返しました。信徒委員たちの暴言、宣教に反するような行動も、全て司教様の方針だみなされてしまっています。

2017年7月14日、司教が清水教会に来た。そして約80名の信徒を前に「聖堂の修理代を集めた人を、破門にすることを考えている」と言った。大勢の信徒の前で“破門にする…”などと言ってよいのか。誹謗中傷も度を過ぎている。司教発言の影響は大きく、小教区内では一部の信徒たちが、修理代を集めた信徒を敵視、差別行動が大きくなりました。「聖堂を残したい」信徒たちは、教会の中で何も言わないようになりました。

2018年11月26日に司教は清水教会に来て、約100人の信徒に対し、「一般市民を聖堂に入れることやイベントの開催」を禁じた。ある信徒が司教に「マスコミを聖堂に入れないという決定は<第二バチカン公会議文書「広報メディアに関する教令」>の指し示す方向と矛盾しないか」と言ったら、司教は話していた説教台から降りてその質問した信徒に近づき「あなたと話はしたくない」「言いがかりだ」と怒りを露わにした。

ダメ信徒”のレッテルを貼られた聖堂保存派

司教は何度も清水教会に来た。その度「この聖堂は残さない」「教区の神父全員が、残さないという意見だ」と言った。

片や司教は「話し合いなさい」とも言ったので、主任神父と司教を忖度(そんたく)する信徒委員により、18年3月の「信徒総会」でビジョン:「この教会を、将来どのような教会にしたいか」を話し合うことにした。

しかし同年9月には「話し合いはやめなさい」と中止させられた。

さらに、18年の大晦日近く、司教は聖堂残したい中心の3人にクリスマス・カードを贈り、中に(聖堂取り壊し問題は、小教区で意見がまとまらないので)今後は、補完性の原理原則により司教顧問委員会が決める」と書かれていた。小教区で意見がまとまらないように、邪魔をしているのは、梅村司教・神父様、忖度する信徒委員なのです。

・2018年3月11日、一般市民約30人が聖堂を見学に来たが、聖堂に鍵をかけて追い返した。この日、遠方から来た巡礼者3人も「巡礼です」と言ったが、聖堂に入れてもらえなかった

裁治権者が、教区信徒に理解を求める必要はないのか?

梅村司教は2014年頃から、清水教会信徒の面前で、次のような“教宣活動”をされてきた。

  •  聖堂は「負の遺産」だ                          ●    修理費用がないから(場面によって「金がかかるから」)残せない 
  •  信仰は建物ではない(取り壊すことは信仰とは関係ない…と)
  •  「信徒の総意」とは数ではなく「信仰による総意」だ
  •  信徒の意見がまとまらず決められないから、「補完性の原理原則により、司教諮問委員が決める

司教は、小教区信徒が決められないように圧力をかけつつ、清水教会に来られる度に、ご自分の意向に反対する者を徹底的に痛めつけてこられた。信徒の中には、こうした司教のやり方にショックを受け、精神科の診断を受けた人もいた。

司教と主任司祭に忖度した信徒委員たちによる、パワハラ・モラハラ

2017年から清水教会内には今日に至るまで、司教と主任司祭に忖度した「信徒委員による一般信徒へのパワー・ハラスメント、モラル・ハラスメント、いわれなき誹謗中傷等」の問題が蔓延しています。

2020年9月13日、「清水聖堂は、司教諮問会により<取り壊しが決定した>」と発表した

2019年4月、司教建設委員会が決めたKR社という建設設計会社が、「清水聖堂の診断」をした。その結果が1年半たっても発表されない。ある信徒委員が「司教は聖堂を残すなら、すぐに結果を発表できるが…」。つまり「聖堂は残せる…という結果が出たので、発表できない」のか? 

 聖堂を残したい信徒代表が弁護士を通して、司教に、回答してほしいと、手紙をだした。2020年8月末に司教諮問会から「聖堂は取り壊す」との返事、KR社から<耐震度が全くないという、信じがたい診断内容書>が添付されてきた。

司教は、「イエス様と教皇に倣う教区民の奉仕者(僕(しもべ)の僕)」でなければならないと承知している。フランチェスコ教皇は司教たちに向かって、「(託された)権限は、弱い人たちを助けるためにだけに使いなさい」と言われた。教皇のお諭しとは真逆の方向と言うほかない。

「聖堂を残したいと望むのは、年寄り信徒のノスタルジーだ」という近隣小教区の神父がいるが、そうではない。若い信徒たちは「近年の安っぽい新しい聖堂」より、「先人の歴史を感じさせる現聖堂を耐震修理して自分たちに残してほしい」と思っている若者信徒が結構いる。 

 清水小教区内で今もはっきり「聖堂を残したい」と希望する信徒は70人以上、他に「怖くてはっきり言えない」と怯(おび)える多くの信徒がいる。それでも教区建設諮問委員会は「司教・神父様に従いなさい」「聖堂は取り壊す」と言い、問答無用なのか?

  近年この町でも、問題を抱え救いを求めている人が増えている。働くために来日した外国人、故郷に送金しているので休日にはお金を使えないと言うベトナム人、日常生活に悩みを抱えている多くの隣人、貧困、引きこもり…等 カトリック教会は、そのような人たちに手を差し伸べ、少しでも積極的に助けて「イエスの幸せを知らせる、信徒の共同体」になりたい…と願っています。

(以上の文を、英文で送りました。)

               横浜教区 清水教会信徒 〇〇


清水教会・聖堂のその後

2020-11-29 13:13:30 | 清水教会

静岡市清水区のカトリック清水教会聖堂は、その後どうなっているのか?

聖堂の声がきこえます

ここに居ます 

私はここにいます 

あなたが迷い込んだとき   

あなたが一人悲しみに暮れたとき

あなたがみんなと喜び合った時も

あれから年月が流れ   

あの疾しい戦火の時も   

焼け落ちることもなく

大きな地震のうれに不安を抱いた時も   

激しい風雨 嵐の時  

じっと過ぎ去るのを待った時も 

私はずっとここに   

そして今も居るのです

私の朝はときめく子供たちの声   

私の夜は仇やかなステンドグラスのように

道行く人々が 時代とともに変わったとしても   

この小高い丘の上に私は今も生きています

私が壊れるとき 

私がいなくなったとき   

それは誰かの心がこわれるように 

私を求める人の  

私の愛する人の  

心も壊れていくように 

悲しみの涙は今私のところに

ここに居ます   

私はここに

上記の絵写真と、詩は<永 萩山>氏のものです。

清水教会の聖堂は、どうなっているの?

 2019年4月に、司教顧問会が司教指名の㈱KR建築研究所に「診断」してもらったのに、2020年7月、1年以上たっても何の回答もない。ある信徒が「どうして一年以上たっているのに、司教様は診断結果を信徒に公表しないのか?」と聞いたら、信徒委員1人が「聖堂を残すならすぐに発表できるんだけど…」と。つまり聖堂を残さない方針なので、発表できないのか…と噂が広がっていた。

 それで聖堂を残そう信徒が2人の弁護士を通して、司教に質問状を出したところ、8月24日に横浜司教館の事務局長:保久神父から弁護士宛に下記のような回答があった。

 「2019年10月19日、梅村司教及び司教顧問会で次のことが決まった」「KR社の耐震結果に基づき、①倒壊の可能性が非常に高い ②耐震補強は(鉄骨が入り)聖堂の雰囲気が変わる ③現在の佇まいを維持できる現実的な補強案がない…ので「聖堂保存を断念し、聖堂解体による新たな教会建設を進めていくべきである」「今後も信徒が教区の許可を得ず、無断で聖堂の補修などを行うことは認めないし、許可することもない」と。

 信徒に対しては、2020年9月13日のミサ後、コロナで集まりが30人位の信徒に「司教からの通達」として口頭で発表された。

「教区指名の設計士が(昨年の4月に)診断したら、耐震性がほとんどない、耐震すると(鉄骨を内部に大量に入れる方法で)9400万円かかる。鉄骨を入れるので<内部の景観が損なわれる>残す意味がなくなるので、壊さざるを得ない」と。日の静岡新聞に、聖堂の写真入りで公表した。

 現地:静岡には、徳川家康が全国から集めたと言う優秀な木造建築士(宮大工)の子孫で優秀な木造建築専門家が今もかなりいる。信徒たちは、6年前に木造建築の専門家(宮大工)に屋根裏まで上がって丁寧な診断をしてもらったその後も、大きな木造専門設計会社の診断もした。彼らは、外観も内部も景観を全く変えなくても、修理、耐震出来ると。しかも費用は3000万円位の見積もりを出した。KR社の3分の1金額だ。

 建物に関する修理費や維持・管理費などは、全て信徒が負担する。司教が一円も出さない。なぜ鉄筋や鉄骨でやる必要があるのか? 非常識にもホドがある。信徒が「ヘンではないか」と抗議しても、それには一切沈黙:受け答えをしない司教と司教顧問会。

 では、聖堂を残したい信徒は、今後どうすることも…できないのか? <続きをご覧ください>

 

                                              


地元の市民、県知事、大学の建築専門家、知名人たちが「聖堂を残してほしい」と(第3回目)つづく

2020-07-29 12:38:51 | 清水教会
 地元市民たち、県知事、有名人たちが聖堂の価値を発見、マスコミに…
 
2017年になると、「聖堂の存亡」を聞いて、地元の市民:町内会、県知事、大学の建築専門家、知名人、日本家屋の建築専門家などが見学に来て、一様に「これは珍しく美しい、ゴチック様式の日本建築だ」と言い、特に川勝県知事は芸術関係に造詣があり、「この聖堂はぜひとも残してほしい」と言われた。
 
 テレビや新聞等マスメディアによる報道も多くなり、市民に広く知られ、ステンド・グラスの専門家が、「この聖堂のステンド・グラスは、現在では製造できない貴重なものだ」「内部の照明器具も、今は製造できないもの」など評価されるようになった 戦時中焼けずにポツンと残ったこの聖堂は「戦跡」としての価値が高いと、静岡平和センター関係者が、「平和教育の場として」、又、演劇関係者が<戦時中のことを朗読劇>をして見せたり、アーチ形天井の聖堂は「音響がよいから」と、音楽家が平和コンサートをするようにもなった。
 
怒った司教様・主任神父T師・忖度する信徒委員たちは
 地元の新聞社、テレビ局が押しかけ、有名人の映った映像がテレビで放映されたことについて神父・司教様は猛烈に怒り、2018年、司教が清水教会に来て告げた「マスコミや信徒ではない市民を絶対に入れないように。無断で市民が聖堂に入ったら、弁護士を立てて争う」と。
 司教様の言う通りにする主任神父、それに忖度する人だけで作った「信徒委員たち」は、司教の方針を徹底して守った。市民も信徒も、聖堂内部の写真を撮ってはいけない。撮りたいなら外側の広い道路の反対側から撮るなら許す…と。「開かれた教会を」ではなく正に「閉ざされた教会」…にした。
 
 2019年3月11日に大きな出来事があった。「市の平和行事、戦跡(聖堂)見学の市民が見学に来ることを知った(司教・神父様に忖度する)信徒委員たちが、聖堂に鍵をかけ、入り口付近に陣取って訪ねてきた子供を含む30人位の市民たちを、聖堂の中に入れないように押し返した。大騒ぎになっていた時、その日は祝祭日だったので、県外からも巡礼に来た3人の信徒が聖堂に到着したが、何人かの信徒委員たちが「聖堂には入れません…」と、中を覗き見ることさえ許さず追い返えした。
 
 2015年ころから毎年の「信徒総会」では、「聖堂を残すかどうか」が話題になっていたが、2019年3月の「信徒総会」では、委員たちは「聖堂については一切、話題にしないことに決めた。
 2020年2月の「信徒総会」では、信徒が「もう一度、話し合いたい」と言う意見さえ、途中で遮り止めさせ、その他の信徒の質問も信徒委員が大声でさせないようにした。その日、総会に出た若い信徒が、「チェッ! 梅村に忖度しやがって…」と声は低かったがヤジを飛ばしていたが、若い信徒は辛辣だ。
今どき、司教・神父・信徒委員が絶対的な権力で、一般信徒を押し殺すようでは、信徒はますます<絶滅危惧種>になってしまう。
 
 「信徒総会」が総会ではなくなり、わずか10人位の信徒委員と主任神父だけが言いたいことを言う。「神父・委員に賛同しない一般信徒は、総会にも教会にも来なくていいよ」と言わんばかりだ。
 と言うのも、2017年頃から「信徒委員になる人」は、司教・神父に忖度し「聖堂取り壊し」の人だけが委員に承認された。委員になるまでは主日のミサに全く来ていなかった信徒が「聖堂取り壊しに賛同すれば、即・信徒委員に」なった。現、副委員長もその一人で、総会の時に前年までの経過を知らないので、トンチンカンな答えが出てきたりして、みな驚いた。もはやお世辞にも「共同体」なんて言えない。そんな教会にしてしまったのは、誰なのか?
 
 それ以前の外国人の主任神父は、言葉が不自由だったが信徒の意見を聴いて集約していた。現主任神父は、一般信徒の話は全く聞かない。司教・神父に忖度する委員とだけと話し、ひたすら「司教様のお望み」だけを信徒たちに押し付けている。
 主任神父への信徒の小さな質問にも「信徒委員会に聞きます」と言う。主任神父が一般信徒の話を聞かず、信徒の家を訪ねることもせず、宣教にも興味すらなく、もっぱら日曜日のミサ後には献金などの計算をしている。
主任神父様の仕事って…何ですか? それでよいのですか?
 
 
 聖堂の西方:船越公園裏の池に「絶滅危惧種」の花(上の写真)と花のアップ     
                        
              
 

「聖堂の修繕費がないから残せない?」「聖堂を耐震修理すれば、50年は大丈夫使える」と

2020-07-27 13:23:59 | 清水教会
聖堂を残したい清水教会信徒たちが、聖堂の修理代を寄付した 
 聖堂の取り壊し理由として「修繕費がないから残せない」と宣伝されていた。 しかしこの聖堂は県内に一つしかない「文化遺産もの」と言われている。何とか保存して活用する手立てを考えたい。市文化遺産担当者は、「所有者の同意があれば、金はインターネットでも集められる」と言うが、司教様は取り壊したいので許可はムリだ。

 聖堂を残したい信徒は大勢いる。ならば「信徒に呼びかけて修繕費を集めてみよう」と思い有志に声を掛けたら、2015年12月、わずか1か月で1,319万4000円が集まった。予想をはるかに超える金額だった。取り壊したい方の委員たちは、私が主として隣の「草薙教会の信徒から集めた」(清水教会には、聖堂を残したい人はすでに、いなくなっているはずだから…)と言った。
 草薙教会の信徒は、清水教会から分離した人がほとんどなので、「聖堂を残したい」と言う人が大勢いた。しかし直前に「清水教会には関わるな」と止められていたので、寄付した人は3人のみ、金額もそれほど多くはなかった。やはり清水教会の信徒が中心で、その総意が顕れた。私は、集まった金額をまず「建設委員長」に報告し、2016年1月の「信徒総会」の場でも集まった信徒に直接、報告した。
 するとT師と信徒委員は私に、「聖堂の取り壊しは、司教様のお望みだから従いなさい」と強く言い、金曜ミサ後に女性委員長は私を見ると感情的になり、私(小畑)に「神父様の言うことを聞けないのか!」と聖堂の中で右肩を突き飛ばした。信徒から暴力を振るわれたのは初めての体験、委員長と言えども(教会法でも)他の信徒にそんなことを言う権限はない。無知での暴力沙汰だと許していたら、後日、信徒委員会の席でその話題が出たら、「私(委員長)は、M氏から暴力を振るわれた」と、当日現場を見て「やめなさい」と止めようとしたM氏を犯人にした(そのウソには驚いた)

 T師は、「清水聖堂を残すべきだ」と言った草薙教会信徒を、教会の1室に呼び出して「清水教会の信徒は減少の一途だ、今後、聖堂を残すための費用を出せない」とデータを見せて説得したそうだが、その信徒は、「なぜ今後、宣教して信徒を増やすことを考えないのか」と怒った。
 T師は、静清地区の「宣教の指導司祭」だが、毎月「宣教担当委員の集まりがあり、一般信徒(の私)も参加が許されたので行った。集まった宣教担当の信徒に、毎回、市販の子供用絵本を読ませていた。聞くと、もし信徒でない人が教会に来たら「絵本を読んで聞かせる」とのことだった。「それは宣教とは違うのではないか」と質問したら、その後、その集まりには宣教委員以外の人(私)は参加できないことになった。

 5,60年前までは「カトリック・アクション」が盛んで、信徒は職場や友人関係、家庭でも「教会に行ってみない?」など、知人友人を誘い、曲がりなりにも宣教していた。
 しかしT師の年代では、そういうことの経験は全くない。又、T師だけではないがこの近隣の主任神父たちは、「病人に聖体」を持っていくことはあっても、信徒とは普通の対話をすることすらない。信徒の生活も知らない。T師の主日の説教はほとんど原稿を読むだけ、この4年間、感動した話などなかった…と信徒は嘆いている。

 まして「宣教」をどうすればよいのか、見当もつかないのではないか。カトリック・アクションをしなくなった70才以下の信徒たちも「宣教」の経験がなく、どうすればよいのか、全くわからないようだ。
 私が、「ベトナムの若者たちがミサ後に静岡へ遊びに行くがお金がかかる、卓球台やギターを置く等して、私たちと話の場を持ちませんか、日本語の勉強にもなるし」と提案したら、「そんなことは提案者(私)が一人でやればよい」と拒否された。

 司教様は、「宣教、宣教」と言葉で言うが、関連の教区大会や教会〇周年記念時の話は「教皇様のこと」ばかり。(以前、教会の50周年記念行事にこられた司教様について男性信徒が、「この司教はあまりにも無礼で、ヘンだ。その教会を築いた宣教師や信徒へのねぎらいの言葉ひとつ言わないなんて」と怒り「福音と社会」に投稿したことがあった)。司教様は自教区の宣伝話や「最近、神父になりたい人が、インターネットで申し込んでくる、横浜教区は神学生・神父の数には恵まれている」と自慢するが、「宣教をこうすればどうか」など、一度も聞いたことがない。68才の司教様自身が、小教区神父時代に「具体的な宣教」をしたことがないのでは? 配下の神父様たちに「宣教」を具体的に教えたり、話し合ったことがあるのだろうか?

 静岡県内でも清水区は、新興宗教が最も盛んな地だと言われている。「イエスの箱舟」「崇教真光」「天理教」他の人たちが私の家にも来て、パンフレットをもって訪問活動をしている。近くの「崇教真光」の建物に土日には沢山の人が家族ぐるみで来ているのを見ると、「新興宗教はご利益狙いだ」と言うが、人々はお金やモノではない何かを求めているのでは…と」思う。
 当カトリック教会も、隣接する保育園に子供を預けている母親の中には、先生に相談しにくいことがあるかもしれない、帰りがけに信徒会館でお茶を飲みながら、話を聞いてあげたり、貧困化している家庭の子供たちに、週一回でも食事を提供することができるかもしれない。辻説法をしなくても、宣教できることがあると思う。
 
 司教様は、新しい司祭が誕生すると1年間ご自分の司教館に置き、かばん持ちや一緒に食事をして育成しているが、その新神父が小教区に派遣されると、信徒数と教会関係の金の管理ばかりしている。つまり机上の管理ばかり、生身の信徒や市民と話しあったりと言う神父様らしい仕事は、厳しい言い方だが、静清地区の神父様たちに限って言えば、ほとんどしていない。 信徒数、教会施設やお金の管理なら、神父がする必要はない。信徒でも一般人でもできる。

私たち信徒は、絶滅危惧種か?(近くの溜め池に絶滅危惧種の花。その美しい花:下)
        

 前に戻るが、T師は清水教会出身の年配神父の所にも(「聖堂は残すべきだ」…と言ったので)説得に行った。その後その神父は「司教様の望み通りにすべき」に変わり「清水教会のことに、近隣教会は関わらないように」と信徒を説得するようになった。
カトリック教会が、約50年前に<近代化された>ことを知らない信徒が多い
 ほとんどの信徒たちは、約50年前に行われた「第二ヴァチカン公会議」後カトリック教会が大きく近代化したことを知らず、<聖堂の所有権は司教様個人が持っていて、その存廃の決定権も司教が持っている>と間違った理解をしている人がほとんどだ。
 聖堂は「宗教法人カトリック横浜教区」の所有物で、清水教会所属の信徒は「占有使用者」にあたる。現実には宗教法人の責任役員会が聖堂の存廃を決定することになるが、決定にあたっては、当該小教区の信徒に説明を尽くし、教区司教には、慈愛あふれる父親の態度をもって対処することを「教会法」は求めている。

2016年~2019年、4回の<信徒総会>でも、聖堂の取り壊しは、決まらなかった
 2015年以後も信徒たちは「聖堂を保存・活用したいか」「取り壊し信徒会館・聖堂を併用するものを新築するか」を話し合ったが、T師や委員たちからの圧力もあり、賛否相半ばにして決まらなかった。
 2016年3月の「信徒総会」で「聖堂取り壊し案」は多数決で否定された

 その年、司教が清水教会に来て「聖堂は残せないものだ」と話し「修繕費を集めた信徒(私:小畑)を破門にすることを考えている」と言われた。T師や信徒委員たちから聞いてはいたが、一般信徒は初めて司教が、信徒の意見を聴くでもなく、中立でもなく、取り壊しはすでに決定、修繕費を集めた信徒を破門…など初めて聞き驚愕した
 司教の発言に勢いを得た信徒委員たちが、地元の建設会社に依頼し聖堂を診断させたが、コンピュータによる解析をし「築80年も経ている、大地震には耐えられない」と結果を出したが、寺社を手掛ける一級日本建築の宮大工が、丹念に検証し、出した耐震診断は、コンピュータで数値を打ち込んだ診断とは、大きく違っていた。

 保存したい信徒たちは、当初の宮大工だけではなく、この地で日本建築を研究し実績ある一級建築士にも診断してもらった。その結果、「聖堂は良質な檜造り、堅固な建造物であり、耐震工事をすれば4700万円かかるが、50年は保証できる。その後は10年ごとに外壁の塗り替えに、都度、20万円必要」との結果だった。 いづれにしても「聖堂を取り壊して、新築する」よりもずっと安い費用で、文化財的価値の高い聖堂を保存・活用できる計算だ。

 しかし司教様はその後も(3回)清水教会に来て、大勢の信徒の前で、「この聖堂は残さない」「外部の市民が」何と言おうと関係ない。信徒でもない一般市民を聖堂に入れてはならない」などと、ヒート・アップした。 (第3回につづく)