
<バチカン大聖堂の正面>
アンドレ・タグレ枢機卿様
十 主の平和 2020年10月7日
私は、日本の横浜教区に所属している信徒の一人〇〇です。
日本・横浜教区にある「文化遺産になる小聖堂堂」を、梅村横浜司教は、信徒の話し合いができないようにして「取り壊す」ことにしました、信徒たちは納得していません。この地は外国人労働者(カトリックが多く、教会にまだ来ていない)隠れ信徒が多くこれからの宣教地でもあります。
日本の中部地区にある静岡県は、世界遺産の「富士山と三保の松原」がある所、その地域一帯、パリ・ミッション会のフランス人宣教師が、第二次世界大戦以前から長年、宣教をした地です。
町のカトリック清水教会聖堂は、1935年、仏人宣教師が、キリシタンを迫害した徳川家康の「浜御殿」の跡地の高台に、まだほんの少ししかいない信徒と、その町の将来性、宣教を考えて、小さいが宝石のように美しい聖堂を、故郷のフランス人の寄付と、日本の木造技術を使い、双塔ゴチック様式で建てました。今、同じものを建てる技術がない…と言われています。もちろん、県外からの巡礼者もたくさん来ています。
第二次世界大戦時の「戦跡」としての価値がある
第二次世界大戦時、この港町はアメリカ軍に攻撃され、1945年7月に、空爆と海からの艦砲射撃で、町は焼け壊滅状態になったのに、この聖堂だけは奇跡的に残りました。そこに被災した市民が聖堂内一杯になるほど押しかけ、フランス人宣教師と近くの医者が被災者たちを看病し、生き残った人が、最近まで生きていて、「聖堂に命を救われた」と言っていました。戦後この聖堂は、戦跡として「平和を学ぶ場」になり毎年、終戦記念日の前後は多くの大人や子供たちが、歴史と平和勉強の場として、聖堂は開かれていました。
「宣教師が建てた聖堂は取り壊す」という梅村司教の方針と、その固い決意
以前から梅村司教は「宣教師が建てたものは取り壊す」と言っていたが、どうしてかは話しません。2014年頃から、
- 清水聖堂は負の遺産だ。修理代がかかるので取り壊すと。新築でも修理代はかかります
- 2015年11月、司教は自分が選んだ建築士を派遣し、外観を見ただけで、信徒委員長、建設委員長の2人だけに「聖堂は残せないものだと承認しなさい」と。主任司祭はその2人に強要「承諾した」の手紙を司教に送り、「聖堂の取り壊しは決まった」と宣伝し始め、全く知らなかった信徒は仰天しました。
- 2015年に、この建物は県の「文化遺産」の筆頭候補に出ていることが、市役所でわかり、市も推奨
- 梅村司教が承諾すればすぐに「文化遺産」になる、県に一つしかない貴重な建造物です。
- 信徒たちが「修理代を集めた。1か月で巨額の修理代が集まった。「修理代がないから取り壊す」は間違いだったのが確認。主任神父は、信徒に「司教様の望みです、聖堂の取り壊しに賛成しなさい」と強要した。修理代を集めた信徒に書留手紙で、2度も「司教様に処分してもらう」と脅迫した。そして信徒間で「話し合い」をさせないようにした。(神父は司教の言う通りに。信徒とは、少しも話さない)
- 信徒たちの多くは、聖堂の所有権は梅村司教、個人が持っていて、存廃の決定権も司教様個人が持つと…間違った理解をし「司教様は神様と同等」自分の意見を言ってはいけないと思っています。
- 第二ヴァチカン公会議で、近代化されたことを知りませんし、司教様たちは、信徒達に知らせません。
小教区では毎年「信徒総会」があり、小教区の信徒が全てを決めていたのに、できなくなり…
2016年、2017年、2018年(2回)、合計4回の「信徒総会」で、信徒の総意は、「聖堂の取り壊しではない、話し合いたい」でした。話し合いは、途中で主任神父・信徒委員がやめさせました。
寺や神社を作る宮大工が、和建築の耐震診断をし、その結果、聖堂は堅固な建造物であり、地震の多い日本では「耐震修理」をすれば、50年は保証できる。取り壊して新築するよりも、大きく安い費用で、文化財的価値の高い聖堂をそのまま耐震保存し「宣教活動」に活用できる…と思われます。
2016~17年、ヴァチカンに手紙を出し、司教から返事を書かせられた<男性信徒>がいます
この教会の男性信徒が、「信徒の話し合いができなくて困っていること」をヴァチカンに手紙を出しました。すると司教はその男性を呼び、「司教様は、いま、信徒たちと一緒に話し合っているのでご安心下さい」と言うウソの手紙を書かせられ、それを司教は、自分に送るように依頼しました。その信徒は、司教に逆らうことが怖く、司教の望み通りの手紙を書き、司教に送りました。司教がその手紙をヴァチカンに送ったと思われます。ところが後日、司教が教会に来て「この信徒の中に、ヴァチカンに手紙を書いた人がいる。そんな信徒がいることを、教皇様が悲しんでいます」と言った。その信徒はウソの手紙を書かされた上に、司教からそんなことを言われました。

<テルベ川とバチカン聖堂:右上>
梅村司教の暴言と司教の裁治権<強い権力中心>の考え方は、信徒に重く…
この町に住む一般市民から「聖堂を残してほしい」という声が上がり、県知事、大学の建築専門家などの有力者や知名人が見学に来て、一様に「これは珍しく美しいゴチック様式の日本建築建物だ」と。テレビや新聞などマスメディアによる報道取材、聖堂でのイベントも多くなりました
市民が「歴史的建造物としての保存」を訴える署名運動をし、約8000人の署名が集まりましたが、司教も主任神父も、受け取らなかったので、市民代表は、ヴァチカンに送りました。
すると主任司祭と、司教の言う通りにする信徒委員らは、訪れる市民やマスメディアの取材陣、遠くからの巡礼者が来ても、聖堂の扉を閉め、聖堂に入ることができなくなり、司教も「許可なく聖堂に入ったら、弁護士を派遣する」と恐喝し、宣教の場として活用しようという姿勢は全くありません。主任司祭は「取り壊しは司教様のお望みです」「聖堂の修理代を集めた人は悪い人、この教会には来られなくなる人です」と信徒委員会でも公言し、聖堂を残したい信徒の<教会での全ての役員・役割を辞めさせ>、誹謗・中傷で排除しました。
2019年3月の信徒総会では信徒委員会側が「聖堂のことは議題にしないこと」を決め、2020年2月の信徒総会も「聖堂」に関する話はやめさせ、信徒からの質問を一切受けず、それでも質問しようとすると、発言を途中で遮(さえぎ)り、席に追い返しました。信徒委員たちの暴言、宣教に反するような行動も、全て司教様の方針だみなされてしまっています。
2017年7月14日、司教が清水教会に来た。そして約80名の信徒を前に「聖堂の修理代を集めた人を、破門にすることを考えている」と言った。大勢の信徒の前で“破門にする…”などと言ってよいのか。誹謗中傷も度を過ぎている。司教発言の影響は大きく、小教区内では一部の信徒たちが、修理代を集めた信徒を敵視、差別行動が大きくなりました。「聖堂を残したい」信徒たちは、教会の中で何も言わないようになりました。
2018年11月26日に司教は清水教会に来て、約100人の信徒に対し、「一般市民を聖堂に入れることやイベントの開催」を禁じた。ある信徒が司教に「マスコミを聖堂に入れないという決定は<第二バチカン公会議文書「広報メディアに関する教令」>の指し示す方向と矛盾しないか」と言ったら、司教は話していた説教台から降りてその質問した信徒に近づき「あなたと話はしたくない」「言いがかりだ」と怒りを露わにした。
“ダメ信徒”のレッテルを貼られた聖堂保存派
司教は何度も清水教会に来た。その度「この聖堂は残さない」「教区の神父全員が、残さないという意見だ」と言った。
片や司教は「話し合いなさい」とも言ったので、主任神父と司教を忖度(そんたく)する信徒委員により、18年3月の「信徒総会」でビジョン:「この教会を、将来どのような教会にしたいか」を話し合うことにした。
しかし同年9月には「話し合いはやめなさい」と中止させられた。
さらに、18年の大晦日近く、司教は聖堂残したい中心の3人にクリスマス・カードを贈り、中に「(聖堂取り壊し問題は、小教区で意見がまとまらないので)今後は、補完性の原理原則により司教顧問委員会が決める」と書かれていた。小教区で意見がまとまらないように、邪魔をしているのは、梅村司教・神父様、忖度する信徒委員なのです。
・2018年3月11日、一般市民約30人が聖堂を見学に来たが、聖堂に鍵をかけて追い返した。この日、遠方から来た巡礼者3人も「巡礼です」と言ったが、聖堂に入れてもらえなかった
裁治権者が、教区信徒に理解を求める必要はないのか?
梅村司教は2014年頃から、清水教会信徒の面前で、次のような“教宣活動”をされてきた。
- 聖堂は「負の遺産」だ ● 修理費用がないから(場面によって「金がかかるから」)残せない
- 信仰は建物ではない(取り壊すことは信仰とは関係ない…と)
- 「信徒の総意」とは数ではなく「信仰による総意」だ
- 信徒の意見がまとまらず決められないから、「補完性の原理原則により、司教諮問委員が決める
司教は、小教区信徒が決められないように圧力をかけつつ、清水教会に来られる度に、ご自分の意向に反対する者を徹底的に痛めつけてこられた。信徒の中には、こうした司教のやり方にショックを受け、精神科の診断を受けた人もいた。
司教と主任司祭に忖度した信徒委員たちによる、パワハラ・モラハラ
2017年から清水教会内には今日に至るまで、司教と主任司祭に忖度した「信徒委員による一般信徒へのパワー・ハラスメント、モラル・ハラスメント、いわれなき誹謗中傷等」の問題が蔓延しています。
2020年9月13日、「清水聖堂は、司教諮問会により<取り壊しが決定した>」と発表した
2019年4月、司教建設委員会が決めたKR社という建設設計会社が、「清水聖堂の診断」をした。その結果が1年半たっても発表されない。ある信徒委員が「司教は聖堂を残すなら、すぐに結果を発表できるが…」。つまり「聖堂は残せる…という結果が出たので、発表できない」のか?
聖堂を残したい信徒代表が弁護士を通して、司教に、回答してほしいと、手紙をだした。2020年8月末に司教諮問会から「聖堂は取り壊す」との返事、KR社から<耐震度が全くないという、信じがたい診断内容書>が添付されてきた。
司教は、「イエス様と教皇に倣う教区民の奉仕者(僕(しもべ)の僕)」でなければならないと承知している。フランチェスコ教皇は司教たちに向かって、「(託された)権限は、弱い人たちを助けるためにだけに使いなさい」と言われた。教皇のお諭しとは真逆の方向と言うほかない。
「聖堂を残したいと望むのは、年寄り信徒のノスタルジーだ」という近隣小教区の神父がいるが、そうではない。若い信徒たちは「近年の安っぽい新しい聖堂」より、「先人の歴史を感じさせる現聖堂を耐震修理して自分たちに残してほしい」と思っている若者信徒が結構いる。
清水小教区内で今もはっきり「聖堂を残したい」と希望する信徒は70人以上、他に「怖くてはっきり言えない」と怯(おび)える多くの信徒がいる。それでも教区建設諮問委員会は「司教・神父様に従いなさい」「聖堂は取り壊す」と言い、問答無用なのか?
近年この町でも、問題を抱え救いを求めている人が増えている。働くために来日した外国人、故郷に送金しているので休日にはお金を使えないと言うベトナム人、日常生活に悩みを抱えている多くの隣人、貧困、引きこもり…等 カトリック教会は、そのような人たちに手を差し伸べ、少しでも積極的に助けて「イエスの幸せを知らせる、信徒の共同体」になりたい…と願っています。
(以上の文を、英文で送りました。)
横浜教区 清水教会信徒 〇〇