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清水女次郎長の想い

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横浜教区・清水教会聖堂は歴史遺産 司教様は、これを取り壊すのですか?(第一回目)つづく

2020-07-26 13:08:56 | 清水教会
 カトリック清水教会聖堂、建設の歴史
 このブログで3回、清水カトリック教会の「木造ゴチック双塔の聖堂」について書いてきた。この聖堂は、静岡市清水区の高台にあり、建設当時は富士山と清水の町清水港が眼下に丸々見えた景勝地。清水港には現在クルーズ船が年に70艘入っているが、間もなく倍の140艘入る予定で港の整備が行われ、今も発展途上にある。
世界遺産になった<三保の松原>にも近い。

 まず改めて、この聖堂を建てた仏人宣教師のドラエ師のことから始めたい。
ドラエ師は1884年生まれ、パリミッション会の宣教師になり、1914年30才で静岡県地区の宣教の使命を担った。当時のドラエ師は、浜松から富士宮市にかけて約100キロを自転車で駆け回った。交通網が未整備だった時代に、出会う人々と話し合い東奔西走の日々だったと伝えられる。
 ドラエ師が初めて清水の地を訪れた時、人口わずか3万5000人に満たなかった所だったが、霊峰富士山を仰ぐ天然の良港の地、自らもフランス北部の港町:ブローニュ育ちの師は、静岡県の<宣教中心地>としての将来性を感じ取っていた。立地で目を付けたのは、高台にある徳川家康の<浜御殿>の跡地で、キリシタン迫害時代には、すぐ近くで6人の殉教者を出した所でもあった。
 しかしドラエ師が、この地を手に入れることは難しかった。外国人宣教師だからだけではない。日本がロシアを相手に戦争を始めた時期と重なり、土地価格が10倍に急騰、資金不足で計画はとん挫した。しかしドラエ師は、宣教の熱意にあふれた人「この地に学校や聖堂を建て、宣教の拠点にする」ことを、決して諦めなかった。

 ドラエ師はまず、県の西寄りの藤枝市に1909年、小さいがゴシック様式(こうもり天井)の聖堂を建てた。(1978年に市内の岡部町に移築されて現在に至る) 珍しい建物が人々の目を引き、宣教のきっかけとなることを願ったのであろう。

 その後、静岡市西郊外の谷津地区に、2つ目の小さな聖堂を建て巡回教会とした谷津教会は非常に小さいながらも、美しい木造聖堂で、「国の指定文化遺産」になったが、2012年に残念ながら焼失した。しかしこの谷津地区は<信仰の村>と呼ばれるほどになり、ここから内野作蔵神父が誕生し、埼玉県内で活躍、後に浦和教区の教区長(司教)となった。今でもこの地の出身者は、信仰熱心だと言われている。
 ドラエ師は、自然豊かな谷津が気に入り晩年をこの地で過ごした。病弱だったドラエ師の診察には、清水教会で親しくなった仏教徒の中村医者が、清水から遠いこの地に通っていたと。ドラエ師は今、聖堂裏側にある高台の墓地で、谷津の人たちと安らかに眠っている。

 1930年頃にドラエ師は、浜御殿の跡地に、当初「幼稚園を」と希望したが、規約上難しいことを知り、聖堂を建てようと想いたちフランスの故郷に行った。その地の信徒らが寄付を募り、パリミッション会日本管区の賛同を得て1935年、ドラエ師は清水に来て約20年後、浜御殿跡地の高台に「総ヒノキ造り、双塔ゴシック様式清水教会聖堂」を、完成させた。この聖堂は、今壊れたら元通りに作れないほど、高度な技術が詰まった建物だと言われている。
 これが現在も同地に屹立する「カトリック清水教会聖堂」である。ドラエ師の情熱と大工たちの技術、それに応える清水小教区信徒の総意が支えとなって、今日まで聖堂は85年の風雪に耐えてきた。
 戦時中1945年7月の大空襲、艦砲射撃にも奇跡的に免れた。ポツンと残った聖堂内に、助けを求めなだれ込んだ市民を、ドラエ師は、近くの中村医師と力を合わせ応急処置をした(生き残った人々の証言から)。ドラエ師は東京の孤児たちを、50人も疎開のため司祭館に受け入れ、これも信徒と協力して助けた。戦中、2度の震度7前後とも伝えられている大地震にも聖堂はビクともせず、清水区民を高台から見守り、地域信徒の活動拠点ともなっている。

「聖堂を取り壊して建て替える」と言う<教区の新方針>と、小教区内の動き
 2014年、清水・草薙両協会に主任司祭としてT師が赴任して来られたすると間もなく、隣の草薙教会の信徒が意外な情報をもたらした。「T師が、聖堂と信徒会館を一緒にした新しい清水教会の完成イラストを、草薙の信徒らに見せている」と言うのだ。「清水教会は、今の聖堂を取り壊すの?」と聞かれ・・・清水の信徒は仰天した。 「信徒会館が古いから新築する必要がある」ことは聞いていたが、「現聖堂を取り壊して新築する」とは…、清水小教区の信徒にとっては初耳だった。

 そういえば、15年位前か、「この聖堂は一寸大風が吹いても壊れる」という噂が広まり、隣接する聖母保育園の子供たちに聖堂で祈りをさせない時期があった。しかしその後、それが単なる憶測だと分かり、聖堂内での園児の祈りは復活していた。
 それでも当時の信徒委員長は、<将来、聖堂を残すかどうかを判断するためには客観的な根拠が必要だ>と思い、保育園に長年来ていた信頼できる日本建築にも詳しい一級建築士、古池春雄氏に診断してもらった。
 古池氏は、天井の裏側にも入って入念に診断した。そして「この聖堂は木造建築にして素晴らしい、美しい建造物。部分的に修繕すれば十分にまだ使える」との診断結果が出た。
 ところがこの診断結果と前後して、「聖堂は負の遺産だ」と宣伝され始めた。又、「修理代がないから、残すことはできない」とも。2015年夏ころ、清水教会の信徒は小グループで「聖堂を残すべきか、建て替えるか」を話し合った。その時の私の体験だが、教会の集会室でフィリッピン人学生2人と日本の若者2人に「聖堂を取り壊して新しくする方がよいと思うか」聞いたところ、4人とも「残してほしい」と言った。「もし地震で壊れたらどうする?」と重ねて聞いたら、「壊れたらその時に考えればよい、ミサならテントでもできるし」と言った。
 その時点でほとんどの信徒は「結婚式や、父母の葬式もしたこの想い出ある聖堂を残したい」気持ちを強く持っていたが、大地震が来るのではないかと言われて、迷う信徒が多くなってきた事実も否めない。
 信徒にアンケートを取ったところ、「残す」「取り壊す」が半々だった。困った信徒委員長は、教区の司教様に「決めて頂きたい」と手紙を出した。その後も信徒らは小グループで「聖堂をどうしたいか」話し合いを重ねたが、結論は出なかった。この頃からT師を中心に、信徒たちに「取り壊すべきだ」と言うプレッシャーがかけられていた

 2015年11月、横浜教区から派遣された一級建築士が来た。十分残せると診断した古池氏(宮大工)が一緒に立ち会ったが、横浜からのその人は古池氏の顔も見ず話しもしない。天井裏や地下を見ることもなく、外観だけを見て「天井や塔が高すぎるから壊れる」と独り言を言って帰った。(古池氏は、この人は<日本建築を知らない人だ>と怒った)
 間もなく横浜教区から「聖堂は残せないものだと了解してほしい」と言う手紙が来た。しかしこの時点で、信徒委員長、建設委員長の2人は、この文面が「聖堂を取り壊す」と言う意味であるとは全く理解していなかった。信徒委員会にもかけないのに、主任司祭から「すぐ返事を出すべきだ」とせかされて「了解しました」と言う返事を送ってしまった。するとT師は「司教様の望み通り、これで聖堂取り壊しは決まった」と公言するようになった
 意味の取り違え、意に沿わない返事をしたことを逆手に取られた信徒委員長は、後日「あの返事は本意ではなかった、取り消したい」と手紙を送ったが、司教からの反応はなく、T師は「聖堂の取り壊しは決定した」と信徒委員にお触れを出した。(つづく)
                        * トップの写真は<清水の町と富士山
 * 後ろからの清水教会聖堂(オレンジ色の西洋瓦が美しい)   
  
                          聖堂の内部(脇祭壇:マリア像側)
                           
 



 
 



私の隣人とは誰か? 周りの他人、困窮者を助けるよりも、親族に金品をやる日本人

2020-07-03 15:14:07 | 清水教会
 3年位前から「不法滞在のコロンビア人」母子家族4人の生活支援をしている。
いわゆる日本に「在留特別許可」がないので40才代の母親は働いてはいけない。(夫はブラジルに帰って行方不明) 中2、中1年と小3年の育ち盛りの3人の子供がいるが、母親は、労働許可がないから、雇用されて働くと、雇った方も罰せられる。

 母親の母国コロンビアは、かつて内戦で荒れ、娘は誘拐されると富裕層の性的奴隷に、又はアラブの富裕層に売られてしまい、男の子は誘拐されると、軍隊に売られてしまうことが多いとか…。現在は内戦は収まっているが、子供の誘拐はまだあり、安全ではない。日本は「安全な国」と聞いて、自分を護ってくれる親も親族もいない母親自身が、安全を求めてコロンビアから日本に来たと言う。
 しかしすでに日本に10年以上もいるので、日本語がわかり体力・気力も十分だが、活用できず、<日本の支援者>たちに頼って一日、又一日と密かに生きている。

 今回のテーマだが: 私たち日本人の支援者について、気づいたことがある。
まず日本人は、親族でもない弱者を助け生活支援をする…と言う発想は乏しい。又、日本の親は、自分たちが築いた財産を子供や孫に譲ることを当然視している 他人が、生活に困窮しているのを見聞きしても、関心がうすい。生活困窮者がいることを訴え<連続して食べ物やお金を寄付してもらうこと>は非常に難しい。最近の大きな天災などの被災者に、一回だけなら寄付をしてもよいと言う人は多いが。

 母子家族を、偶然、支援することになった私たちは、食べ物や寄付を集めて、家族の生活支援をしているが、理解者が非常に少ない。「なぜ、そんな外国人を助けなくてはならないのか?」 「自分の国に帰ればいい」「助ける必要などない」「そんな余裕があれば、子供や孫に少しでも多くあげたい」・・・と言う。

 私が感じる問題は2つ。
その1は、「人は、どこで生きていきたいか、自由だと思う」。外国人が日本で暮らしたいなら、非難はできない。(日本の法務省は違うが…人道的に考えるなら) その2.「親族には金品をやるが、他人、まして外国人を助ける?」必要はないという考え方。

 その1、私が滞在していた仏国。日本の若者がパリに多く滞在していた。親が「早く日本に帰るように」と言うが日本に帰りたくない。彼らは貧困でも、自由な生き方ができるパリにいたい。「本人に、自由がある」と私は思った。人間、どこの国でどの場所で生きようと、自由であってよいのではないだろうか。(現実は厳しいが)

 その2、すでに大人になって自活できる子供を、親は支援し続け「親の財産を子供にだけ譲るのは、当然だ」と考えている日本の慣習が根強くあり、本当によいのか?
 
 これ又外国の話で恐縮だが、フランス・ヨーロッパ・アメリカなど先進国の多くでは、子供を14才頃からは大人扱いをし、大学に行く場合(お金がある親でも)学費を出さないことが多く、子供は奨学金で行く。(日本より学費が安いこともあろうが)
 要は、親が稼いだ金や財産は、親が自由に使い、大人になった子供に使いすぎたり、遺産として与える・・・などと言う考え方はしない。親は子供を<自立>させる。
親も将来、子供に頼らない。親は自分の考えで誰かを助けたり、団体に寄付したり、自分のために使う。フランス人は、子育てが終ると金持ちになり、女性は4,50才位から、高価なものを身に着けたり、自分に金をかけ、自由な金の使い方をしている。

 逆に日本では、子供がいくつになっても親の財産に頼り、又、親がまだ元気で生きているのに「親の財産に口を出す」ことも多い。親が、生活困窮者に寄付したと知ると、(40~50才代の子供が)、年間4~5万という金でさえも、「寄付を受けた人を非難」し、「家族会議にかける」などと脅迫する・・・近年、実際に経験して私は驚いた。
 親の方も「子供には、何不自由なくしてやっている」と言いながらも、「親が他人に寄付したことを、非難するな」と子供を咎めたりはしない。逆に親は、「子供なりに、親を心配してくれてのことだ」と子供をかばう。 どこか、ヘンではないか?
 
 子供たちが<親の財産を、あたかも自分のもの>のように思い、親に命じたり、親自身が、少し年取ったからと、早々に子供に財産を任せきるのは、大きな間違いではないのか…「いつまでたっても、子供は真に自立はできない」と思う。
 もう一つ、「孫に(お金を)やりたいので、その人(外国人困窮者)には、やれない」と言った人もいた。 日本人の多くは、直系親族が第一に大切・・・の価値観がある。一見美しい親子関係であるようで・・・実は<親子の古い強いエゴ>が潜んでいる。
 
 私の友人は配偶者を早くに亡くし、再婚したい相手と相思相愛だったが、財産があったため子供たちが猛反対、ついに再婚を断念した。
私に言わせれば、子供に譲る財産が減ってしまうからと、自分たちの幸せを諦めたことが、子供たちのために良いことなのか?  親は子供を、独立できるように育てれば、それ以上の財産を譲らなくてよいのではないかと思う。 
 生命保険のコマーシャルも、「少しくらいは子供に残したいよね」とあるが、親の財産をあてにする子供が、果たして本当に自立し、幸せを感じるのか・・・私は大きく疑問に思う。「親の財産など、全く当てにしないで生きる子供」を育てることこそ、親としての子育て・教育であって、「健全な子育て」ではないかと思うが…問いたい。 

 重ねて述べるが、近くに<生活に困窮し、食べ物にも困っている他人>がいるのに、見聞きしても、無関心を決め込む人が多い。
 自然災害で「どらえもん募金」等はする人が多く、よいことだが、近年コロナ等で貧困になってしまった人、3度の食事が食べられない子供が増えている。政府や地域団体などだけに任せることは、限界である場合も多い。
 身近なお寺や各種宗教団体は、近隣の善意の人にも呼びかけ、率先して行動すればよい。すでに行動しているところもあるが、人々の必要に対応するはずの「宗教団体」でも無関心なところが多い。
 それでは名だたる寺や教会・宗教グループと言えども、人々の心をとらえることはできない。僧侶や檀家、牧師、神父や信徒たちは、ますます「絶滅危惧種」になっていく・・・と、私は思う。

 ある人がイエスに聞いた。「私にとっての隣人とは、誰のことですか?」 イエスは応えた。「あなたが見聞きした<助けを必要としている人>に近づき、その人を助け自分からその人の友達になる人だ」と。(隣人とは、親族や友人優先…ではない)
 
ため池の<絶滅危惧種>の水草と、白サギ  




カトリック横浜教区 梅村昌弘司教宛ての「通知書」

2020-06-19 18:17:31 | 清水教会
 カトリック横浜教区 梅村司教様宛の「通知書」について
皆さまは横浜教区の清水教会の「取り壊し」をめぐって、5年位前から信徒と司教との間で問題が起きていることは、すでにいろいろなメディアを通じて、ご存じのことと思います。
 2020年(今年) 4月23日、清水教会の保存を願う有志の一人と代理弁護士2名が梅村司教様宛に、内容証明付きの「通知書」を送りました。
 
 この通知書(文末に全文掲載)は、聖堂保存か取り壊しかをめぐり、信徒間司教、司祭と忌憚なく話し合う機会を求めたものです。しかし回答期限の5月15日が過ぎても、司教側からは何の返答もありませんでした。
 この事態を受け、清水教会のその有志は、この教区側の対応について皆様にお知らせし注意を喚起し、今後の推移を共に見守って頂きたいと願います。
 
 横浜教区梅村司教に手紙を出した人に代わり、私が主催しているブログにその記事を掲載したいと思います。私自身が、清水の美しい<歴史的価値の高い聖堂>の保存を強く願うものの一人です。
 
     
   上左の写真は聖堂内部の脇祭壇        上右の写真は中央部分
 
   下記、清水教会の「聖堂を残そう」有志の一人が、司教様に出した記事をお読みください。
 信徒の〇〇です。上記ご紹介の通り、私は弁護士の助言を戴いて、以下に添付した通りの「通知書」を横浜教区梅村司教様に、内容証明付きで送付しました。しかし、今までの数々の嘆願書、質問状、お願い状などと同様に、今回も期限までに何の応答もなく「またか…」と言う想いです。
 
 受洗依頼60年、私は司教・司祭はキリストの代理人、聖書に書かれた「羊の良き牧者」だと言うことを一度も疑ったことはありませんでした。が今は裏切られた気持ちです。問題は単純で、司教様が「司教顧問会(教区の神父)には誰も聖堂を保存したい人はいない」と私たちに言うだけで、「なぜ取り壊したいか」の説明がないまま、信徒に取り壊しの方針を植え付けようとしていることです。現状は、司教・司祭の権威主義に影響されたために、信徒間の対話が行われない。話し合えば解決することなのに、話し合いがなされないため、こじれてしまっています。
 司教・司祭はこの状態がわかっているのに、なぜ手を差し伸べようとしてくれないのか。責任ある立場の人の誠意ある対応とは、到底思えません。もはや私〇〇個人の胸にしまっておくべきではなく、「ウヤムヤに」すべきことではないと思い、教会内外の心ある人々に聞いて頂きたい…と思うに至りました。
 
 とは言え、私は主観的な正義感と義憤に駆られて、闇雲に教会の権威ある牧者を一般社会に向けて告発しようとするものでは決してありません。この度の清水教会の保存をめぐって教会の中で起きている問題は、司教・司祭の権威主義が、信徒間の対話を妨げていることからきています。
 教会を愛する私の良心は一方では、こんな教会の恥を世間にさらすには忍びない、できれば公にしたくはないという思いで一ぱいです。しかし他方では、その教会を愛する思いが、結果的に教会の浄化を妨げ、教会が社会からの信頼と尊敬を失い、まじめに取り合われる価値のない<時代遅れの遺物>のように切り捨てられる結果を招くことにも耐えられません。
 
 一昨年、清水教会の保存を願う信徒や、保存を願う嘆願書に署名された7,800名の市民の切なる声に耳を傾けず、ひたすら対話を拒否して、司教主導で決定しようとすることは、見過ごすことはできません。
 教会を愛する信徒の一人として、このままではいけないと言う想いに駆られ、不本意ながらあえて声を上げる決心をしました。
 
 このブログの場で、問題を広く世に問い、貴重な聖堂の保存に向けて心ある信徒・市民の世論を喚起したいと願うものです。
 まずは問題の「通知書」(下記)をお読み下さい。 清水教会信徒の〇〇   
              
   左上の写真は祭壇の下(」中央に船の錨)    右は、聖堂後方:彫刻のある小部屋
 
〒231-8652 横浜市中区山手町44
カトリック横浜司教 梅村昌弘司教様
通知書
十 主の平和
 当職は〇〇氏(以下は「通知人」と言います)の代理人として、カトリック横浜教区梅村昌弘司教様に対し、以下の通りご通知いたします。
 さて通知人はかねてより、清水教会の存続を願っているところ、すでに複数回にわたり申し入れた通り、この聖堂を存続するのか、取り壊すのかと言う問題(以下「本問題」と言います)を根本から話し合うため、信徒の開かれた集まりがもたれることを望んでおられます。
 この点、2020年2月23日の清水教会の信徒大会においても、複数の信徒から本問題について質問・言及がなされましたが、司会進行役は全く問題としてとりあげようとせずに強引に大会を閉会してしまいました。また、信徒の一人から主任神父に対しても、本問題について話し合いのため、信徒の集まりを持つよう依頼をしましたが、断られました。
 
 本問題に関してはすでに、2018年12月17日の司教諮問会で、今後は補完性の原理・原則をもって教区が主導権をもって解決にあたるとの決議がなされ、2019年1月29日付決定通知が送付されたことは承知しております。しかしながら、過去に清水教会の信徒間で、聖堂を「なぜ保存したいのか」その場合の「各々の問題点」「費用の比較」等、費用負担をすべき信徒として、確実になされるべき、ごく基本的な議論すらなされておりません。
 かかる状況の中で、教区から一方的に、補完性の原理・原則をもって本問題の解決については教区が判断し(教区の改修費等を実質的に負担することとなる清水教会の)信徒の意向が反映されないと言うのでは、信徒に不信感が生じるのもやむを得ないものと考えます。
 
 本来、補完性の原理・原則は、小教区の信徒がなすべき決定を促し、もしくはフォローするために働くべきものであって、上記のように基本的な議論すらなされないまま、<清水教会では解決できない課題であるとか、力不足により責務や機能を果たせない>などと結論づけられ、議論することすら許されないというのは、信徒として大変遺憾で心苦しいものがあります。
 このまま、信徒と牧者との対話もなく、また信徒たちが話し合うことも禁じられたまま、本問題の解決が図られれば、結論がどうあれ、教会の中で十分な対話がつくされていなかったという事実が、信徒同士の不信感や不和につながるのではないか、懸念されるところです。
 
 つきましては、梅村司教様におかれましては、改めて、信徒の集まりの実現にぜひともご協力をお願い致します。どのような結論になろうとも将来、信徒同士が不信感を持ち合うような関係は避けるべきであり、どうか、信徒たちが自由に話し合い、また、主任神父と心を開いて話し合う場を設定して下さるようお願い致します。
 時期につきましては、世間的な情勢もありますので、ミサが通常に行われるようになり次第、早期にお願いできればと存じます。
 
 なお本件に関するご回答につきましては2020年5月15日(金)までに、〇〇氏本人に対して下さいますようお願い致します。以上のとおりご通知致します。
 令和2年4月23日
 〒424-☓☓静岡市☓☓☓ 電話:054-☓☓ FAX:054-☓☓ 通知人 〇 〇
 
 〒424-☓☓ 静岡市☓~☓ ☓☓ビル☓階
 静岡☓☓法律事務所 電話:054-☓☓-☓☓  FAX: 同 左
 通知人代理弁護士 〇〇 〇     同 上 弁護士 〇〇 〇
 
     
左上は、聖堂内:天井と照明      右上は、聖堂の後側(赤い屋根が美しい) 
 
 以上の件、如何 思われますでしょうか?
 長崎・五島の世界遺産にも比肩、本県ではたった1つ残っている「木造檜造りゴシック建築」の清水教会は、多くの信徒や市民に長く愛されてきた貴重な遺産です。先の世界大戦で奇跡的に空爆と艦砲射撃から護られ、多くの負傷者の避難所になったこの聖堂は、現在も子供たちの平和教育のために現存する数少ない教材として「平和資料センター」、教育界から「保存」が望まれています。
 この聖堂が、密室の中で知らぬ間に闇に葬る決定がなされ、問答無用で取り壊されることがないように、注視し、護り、その保存を実現させて頂きたく、皆さまにもお願い致します。    ブログ管理者:小畑雪江     
 
 
     
 
  
 
 
 
 
 
 
 

84年前、徳川家康:浜御殿の跡地に、清水聖堂を建てたフランス人宣教師:ドラエ神父 (その2)

2020-06-03 18:28:09 | 清水教会
 フランスの北部、港町出身の宣教師ドラエ師は、静岡県に赴任して間もなく、精力的に自転車で宣教したと言うが、最初にその実りを見たのは静岡郊外の谷津よりも早く、1909年に、静岡市から少し西の藤枝市に、小さいながら清水教会聖堂と酷似したステンドグラス、リブヴォールト(こうもり天井)の聖堂を建てた。
 床も清水聖堂同様、中央に通路のある畳床のもの。この聖堂は現在、同じ藤枝の
少し東、岡部町に1978年移築され、隣接の保育園があり、子供と先生たちがこの聖堂で毎日祈っている。

 清水聖堂が建てられたのは1935年だから、藤枝聖堂はその26年も前だが、ドラエ師は藤枝の地に信徒を増やし、さらに発展させるため目立つ「聖堂」という建物で、人々の注目を集めたのであろう。その後の清水聖堂を建立するまでの26年間、「木造の聖堂」についてドラエ師自身、発展的に勉強されたと思われる。
 清水聖堂は、岡部聖堂と内部は似ているが、清水聖堂の柱の装飾、両脇の小祭壇の品格、質的に格段の差がある。清水聖堂は、今、移築することさえ<技術的に難しい>と言われる程、宮大工と船大工が協労して建てたものではないか。檜の一本柱など材質も極めてよいと。現代の和建築の専門家が「精巧な木造建築」だと、高い評価をしている。
 ドラエ師は、岡部と谷津聖堂の建設経験があるとはいえ、石造りのフランスとは違い、木造での「こうもり天井」などには苦労されたであろう、極薄のキョウギのような板を使い、現在の建築士が驚くような作り方をしていると。

 それ以上にドラエ師が苦労したのは、建築費だと言われている。外国人が徳川の浜御殿の跡地を買うことの偏見や苦労があったと思われるが、最初に購入したいと思った時の10倍もの土地の高騰で、普通なら諦めるところをドラエ師は諦めなかった。彼の心に、将来性あるこの清水港の地に「宣教したい」という強い想いがあったからではないか。この聖堂は、静岡市が「責任者の許可さえあれば、即<文化遺産>になります」と言っている。
 清水聖堂を長年大切に使い、祈ってきた信徒の多くは、耐震修理して残したいと思っているが、6年前から「古いので、この聖堂を取り壊して現代風なものにする」と、横浜にいる上の責任者は言い続け、信徒間の話し合いも禁じて許さない組織の上層部と、信徒間にも深い溝ができ、今も、大きな問題になっている
 1980年代の高度成長期の、「何でも壊して新しくするのがよい」という価値観は、今は<ない。横浜在住の責任者が、古いものは修理に金がかかると、やみくもに「この聖堂を取り壊せ」と言うのは、すでに古い価値観だ。

 現聖堂の解体費用も驚くほど高騰し、解体して新しくすれば、驚くほど高額になることも分かってきた。長い年月、信徒の様々な想いのあるこの聖堂について、組織の上が決めるのではなく、使ってきた信徒が<しっかり話し合って決める場>を禁じないでほしい。「この聖堂を残したいのは、年配信徒のノスタルジーだ」と言う、近隣の神父がいるが、そうではない。彼らこそ上級権威者に忖度しているのではないか。
 若い世代も「近年の倉庫のような安っぽい外観の聖堂ではなく祈りの場としての威風堂々としたこ双塔の聖堂を、しっかり耐震修理して残してほしい」と言っている。
この聖堂で市民を集め「宣教したい」と願ったドラエ師は、どう思っているだろうか。

 上の写真は、岡部教会聖堂の外観
 下:岡部聖堂の内部(左)  清水聖堂内部(右)中央部分が岡部と酷似        
    
                   
   

コロナと、これからの子供たちの学校はどう変わるか?

2020-06-01 18:47:38 | 清水教会
 コロナが少しは収まって、公立、私立ともに小・中・高校の子供たちの学校が再開されつつあり、2か月遅れの小学校の入学式をするところもあった。
 9月入学、学期については、早急すぎるということになったようだが、日本の学校制度では私が気になっていることがいくつかある。
 1つは、義務教育後の大学などの教育費用が、他の先進国に比べて高い。大学の費用は欧米に比べると非常に高額であること。
 2つ目は、特に大切な義務教育で、先生の数が少なすぎること。
 3つ目は、基礎研究には金をかけない国になっている

 まず1.の「国の未来は子供たちの質にある」と言いながら、経済的に余裕のある子弟でないと希望しても大学、専門の教育、研究を続けることは厳しく、多時間のアルバイトをしないと続けられない。今回もコロナでアルバイトを奪われた学生たちが、専門学校や大学を続けられない…と言うのは、ヘンではないか。アルバイトに時間を奪われ、肝心な「学ぶ」がおろそかになっている。多額な奨学金で卒業しても、長期間の返済に苦労する、結婚もできないというのもおかしい。フランスなど欧米では、大学にかかる費用は日本の半分以下だ。
 
 その2.深刻なのは、小学校からの義務教育で、先生が圧倒的に不足している。1人の先生が夜の部活まで指導して、あまりに過酷で余裕などないブラック職業だという。 
 コロナで、教室にびっしり詰め込んでの教育ができなくなったのを機会に、せめて義務教育くらいは、先生の数を2倍~3倍以上にしてはどうか? 子供は国の宝。その将来で、世界の中でも活躍してほしい人材を、先進国として一人でも多く育成する必要がある。 
 外国人子供たちの日本語教育、国語・算数などの基礎的な教育も大いに半端。日本人の子供でも、通常のスケジュールについていけない子が多くきて、切り捨てられてしまう。現状では先生が、生徒一人一人に向き合って指導する余裕なんかない。少人数教室なら、一人一人の子供の名前を呼んで、個別に指導育成もできる。 障害を持っている子供にも、先生が大勢いて寄り添える余裕があれば、活躍の場や固有で貴重な生き方がより豊かにできるのではないか。

 その3、日本は基礎研究には金を使わなくなったので、今後ノーベル物理・化学などの賞はとれなくなると言われている。すぐに役に立つものにしか金をかけない。 
 政治家・専門家は「予算:金がない」というが、 価値をどこに置くのか? 
 
 私は静岡に住んでいる。富士山の広い裾野には自衛隊の演習場があり、5月末、米軍との共同演習で、一日ではない:わづかな時間での実弾演習に、3億5千万円位使っている。戦争を想定したオスプレイ、戦闘機やハイテクの軍艦、軍備に多大な金をかけるよりも、現にある、人の命と、少子化で、さほど多くもない子供の教育に、日本はもっとお金をかけるべきだと、素人ながら思う。