続き…
(4) 間違った祈りとは
・心のこもってない決まり文句の繰り返し
・意味も分からない文句の繰り返し
・霊的成長に反することや魂の進歩を遅らせることをする祈り
手に入れる資格のないものを一方的に要求する祈り
・摂理に一致しない奇跡や特別な配慮を依頼する祈り
※以上のことを本文から抜き出すと、以下のようになります↓
◆決まり文句のただの繰り返しでは空気に振動を起こすだけです。(P132 8行目~9行目)
◆誰かが作文した祈りの文句を意味も分からずに繰り返す(P133 5行目~6行目)
◆地上の人間はとかく、もしその通りに叶えてあげたら魂の成長にとって良くないこと、進歩を遅らせることになるものを要求しがちです。これは叶えてあげるわけにはいきません。また、そんなものを手にする資格のないものを要求していることもあります。これも叶えられません。(P137 3行目~6行目)
◆祈りとは大霊に法則を変えてくれるように依頼することではない(略)それは私が理解しているところの祈りとは違います。(P140 7行目~9行目)
※例えば、経典を意味が分かった上で読むならいいのですが、意味が難しく分からないのにひたすらお経を読み上げる行為。キリスト教では一斉にみんなで繰り返すフレーズ(その場に参加し、祈りを繰り返すことが大事とされているため)があります。また、苦しみや困難から救い出してもらおうとしたり、病気の苦しさから奇跡の回復を願ったり、お金持ち・成功者・地位や名誉といった物質欲を満たそうとする祈りも実際多いのです。
☆これまでの地上の宗教……「摂理の神」の考え方がなかった
そのため、神を崇拝し絶対視するものの、摂理から外れた祈りをしてきた
その結果、すべての信仰努力と祈りは無駄なものになってしまった
※もちろん願いは叶いませんし、結果「霊的成長」が遅れてしまうという事態になってしまいました。
(5) 正しい祈りとは―――正しい神観に基づいた祈り
・真実の祈りは、偉大(立派・重要)な霊的行為
祈りは霊性向上のための(1つの)手段(※1)。信仰の目的ではない(地上の宗教は目的になっていた)
・魂の奥底からの神に対する誠心誠意の語りかけ
「大霊の道具になりたい」との願望の表明(決意表明をすることで、心の準備にもなる)
・奉仕(サービス・利他愛の実践)に向けて、心を整えるもの
可能なかぎり魂を高い次元にまで引き上げようとするもの(祈り)(※2)
・「大霊に近づきたい」との願いの表明
「神と人々の役に立ちたい」との願いの表明
・祈りには、魂の進化レベルが表れる(※3)
※1)霊性の向上には、他に「霊主肉従」、「利他愛の実践」、「苦しみの甘受」などがあります。
※2)私たちは普段、日常生活を送ることで頭がいっぱいですが、声に出して数分でも「神」と対話することにより、自分の心を整え大霊に少しでも近づきたいと感じるようになるのです。
※3)ありのままの姿が「祈り」に表れます。「未熟な祈り」から少しずつ「大人の祈り」へと成長し、変化していくものなのです。
◆真実の祈りは偉大なる霊的行為です。祈りはあくまでも手段であって目的ではない―――これが最も正しい表現でしょう。(P134 8行目~9行目)
◆魂の奥底からの誠心誠意の祈り、大霊との交わりを深め、大霊の道具としてより有用な存在になりたいとの願望から出た祈り(P132 9行目~10行目)
◆祈りの本質は、(略)より高度なエネルギーと調和するための手段です。誰かが作文した祈りの文句を意味も分からずに繰り返すのではなく、全身全霊をこめて可能なかぎり高い次元の波動に合わせようとする行為(P133 4行目~7行目)
◆衷心(ちゅうしん=心の底から思う本当の気持ち)から祈り大霊に近づきたいとの願いから出た祈り(P137 後3行目)
◆自然に湧き出る祈り、役に立ちたいと願う祈り、知識や光明(こうみょう)、叡智(えいち)、導きを求める祈り、こうした祈りは魂の進化の表れです。(P138 7行目~8行目)
◆祈りの言葉はたった一言しかありません。「何とぞ私を人のために役立てる方法を教え給え」―――これです。「大霊のため、そして大霊の子等のために一身を捧げたい」―――この願いより崇高なもの、これ以上の愛、これに勝る宗教、これより深い哲学はありません。(P134 後5行目~2行目)
☆シルバーバーチの具体的な祈りの見本
「なにとぞ私を人のために役立てる方法を教えたまえ(導いてください)」
「大霊のため、大霊の子等のために一身を捧げたい(道具として使ってください)」
崇高(すうこう)さ、偉大な利他愛、深い哲学(真理)が含まれている
※参考資料;スピリチュアリズム普及会発行『シルバーバーチは語る 8章』
※なお、これらの引用にあたっては『スピリチュアリズム普及会』の許可を得ています。
山々が秋色に色づきさわやかな秋空が広がるなか、10月の「埼玉読書会」が開催されました。霊界と直接つながる月一度のこの時間を、心の底から楽しみにしています。出来が悪い子とはいえ、霊界からとても可愛がられている私です(たぶん)ので、日々霊的なメッセージがいっぱい届けられているはずです。ですから「読書会」だけでなく、普段から霊界と繋がる時間を少しずつ増やしていきたいと思っています。
また、運動不足を考えウォーキングを始めたのですが、朝4時台に起きるのが辛く何度も挫折してきました。それならと自転車通勤をやめて思い切って歩くことにしました。中抜けをするので二往復+職場内での歩きになるのですが、なんと万歩計で1日で2万歩~3万歩を超える運動量でした。慣れるまで体がきついですがこれなら続けられそうなので、健康のためにがんばっていこうと思います。
さて、今回の「読書会」では「祈りの効用」について学びました。シルバーバーチの霊訓を2~3年読んでいくと、さすがに「祈り」の重要性は伝わってきます。霊訓(シルバーバーチは語る)の章の最後には毎回「祈り」が載っていますし、当時のシルバーバーチの交霊会でも最初と最後には必ず「祈り」がありました。この「読書会」でも同じです。始まりと終わりに「祈り」が行われます。
「祈り」があるということは、スピリチュアリズムは「宗教」であると言って間違いないのですが、ここで地上の宗教と違うところは、スピリチュアリズムは「超宗教」と呼べる内容であり、驚くことに霊界では誰もが当たり前に行っているということです。
私の場合、「祈り」は自分の心の辛さを直接「神様」や「仏様」に手を合わせて訴えるものだと思っていました。実際、苦しみや壁にぶつかったとき、藁(わら)をも掴む気持ちで「助けてほしい」と手を合わせてきました。そんな簡単に願いが聞き入れられるわけがないと思いながらも、言葉を選びながら必死に「神さま、仏さま(神さま=イエス、仏さま=ブッダだと信じて)…」と言ってきました。宗教に関わることのない人生でしたので、(余計に)苦しいときだけの都合のいい信仰(?)をしてきました。
ですから、その「祈り」自体に正しい祈り、間違った祈りがあるなど想像することはできませんでした。
その後、霊界の導きで「霊訓」に出会い、「読書会」に出会い今日があるのですが、ここにきて「祈り」や「祈りの効用」を含めシルバーバーチの霊訓を読んでいくだけでは、全体像がなかなか見えにくく掴みにくいという話を(読書会の主催者から)されました。私としては、霊訓の素晴らしい内容に十分すぎると感じていましたからちょっと驚きでした。もちろん素晴らしい内容に変わりはないのですが、「読書会」で手渡される補足プリントで勉強していくようになってからは、その話の通り全体像を大きく捉えることができイメージできるようになっていきました。さらに心に深く入り込み「あ~そういう事だったのか」と納得することも多々でてきました。心底納得できた驚きと感動は、想像以上の喜びでした。難しい内容ではありますが、勉強した深い内容をそのままここに載せていきたいと思います。
『シルバーバーチは語る』 8章 祈りの効用
〈正しい祈りとはどのようなものか〉
(1) 祈りとは
・神や仏などの信仰対象に対する人間からの語りかけ(人間側から近づいて働きかけること)
・代表的な信仰実践(※1)
・地上の大半の宗教が祈りをする
・神観と宗教・信仰・祈りは、一体不可分の(切っても切れない密接な)関係
信仰➂
↑
宗教② ← 神観➀ → 祈り➃
※1)たとえば、「キリスト教」なら日曜日に協会へ行く、「イスラム教」なら1日5回メッカの方向に向かって祈る、「仏教」は宗派によってそれぞれの経を読む等があります。日本はいろんな宗教を生活に取り入れ、人生の節目には神社やお寺にお参りしたり祈るなどしてきました。
※偉大な者に向かって手を合わせるという行為は、人間の「魂」からくるものなのです。
※(上の図より)➀の神様のイメージによって、➁~➃のやり方が変わってきます。地上の宗教によっては「神さま=怖い・人間的感情がある」というイメージがあり、➁➂➃がそれに合わせて考えられてきました。しかしスピリチュアリズムによって正しい「霊的真理」が伝わり、「神観」がここで大きく変わりました。
(2) シルバーバーチが明らかにした画期的な神観―――「摂理の神」
・従来の宗教と信仰と祈りのあり方を根底から覆(くつがえ)す神観
・神は摂理を造り、それを通じて宇宙や万物を支配し、維持・運行している
摂理から外れた「奇跡」は、一切生じない(※1)
・正しい宗教……神の摂理を土台としたもの
正しい信仰……神の摂理に一致しようと努力すること
・人間も、摂理によって厳格・機械的に支配されている
すべての人間が完全平等、完全公平に扱われる
・神と人間は、摂理を介した間接的な関係
・従来の宗教は、神と人間は直接的な関係にあると考えてきた
→ 神に直接、願い事を訴え聞き入れてもらおうとしてきた(※2)
※1)神の摂理に、例外や特別扱いや情状酌量などは一切ありません。
※2)知っていると知らないでは、「祈り」の仕方が全然違ってきます。
(3) これまでの地上人の祈りの実態
・神にさまざまな願い事を訴え、願い出る行為……ご利益信仰・願い事信仰(※1)
・自分の事情を中心としたもの……神の摂理を無視
・神の摂理を無視し、摂理に基づかない祈りは間違い
→ 地上の宗教と信仰者は「間違った祈り」を行ってきた(※2)
☆正しい神観がもたらされたことで、正しい祈りが明らかになった(※3)
※1)悩みにぶつかり(宗教に入ることで)その悩みが解消する。逆に願いが叶わなければ「祈り」が足りないとされてきました。あくまでも自分の利益中心。
※2)良い悪いではなく、「摂理の神」を知らなかったためこのように間違った「祈り」が行われてきました。
※3)シルバーバーチによってもたらされた恩恵であり、このスピリチュアリズムの「神観」が全ての土台となるくらい重要な内容なのです。
続く…