アトムの子のスピリチュアリズム日記/東京スピリチュアリズムサークル(旧 埼玉シルバーバーチ読書会)感想

     
      この地上人生を生きる目的は、『霊界』という本来の世界へ帰るための準備期間です。

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3月の読書会に参加して…Vоl.2

2012年04月02日 17時32分37秒 | 日記



『霊界から見る地上は、無知の程度がひどすぎます。その無知が生み出す悪弊(あくへい=悪いならわし)には、見るに耐えないものがあります。それが地上の悲劇に反映しておりますが、実はそれが、ひいては霊界の悲劇にも反映しているのです。地上の宗教家は死の関門をくぐった信者は、魔法のように突如として、(中略)一切の悩みと心配と不安から解放されるかに説いていますが、それは間違いです。真相とはほど遠い話です。

死んで霊界へ来た人は、(中略)地上にいた時と少しも変わりません。肉体を捨てた――ただそれだけのことです。(中略)利己的だった人は、相変わらず利己的です。貪欲だった人は、相変わらず貪欲です。無知だった人は、相変わらず無知のままです。(中略)

こうしたことがあまりにも多すぎることから、霊的実在について、ある程度の知識を地上に普及させるべしとの決断が下されたのです。(中略)そのためには、何世紀にもわたって受け継がれてきた誤解・無知・偏見・欺瞞(ぎまん=あざむき騙すこと)・迷信――要するに人類を暗闇の中に閉じ込めてきた勢力のすべてと闘わなければなりませんでした。

私たちは、そうした囚(とら)われの状態に置かれ続けている人類に霊的開放をもたらすという目的をもって、一大軍団を組織しました』
(シルバーバーチの霊訓 地上人類のへの最高の福音 P188~189より)


スピリチュアリズムは、こうした状況から始まりました。

霊界から見れば、地球上のすべての宗教は「霊的真理」に無知であり失格です。人類の救いのために何の役にも立っていません。それどころか反対に宗教は、地球上に悲劇をつくり出す元凶(げんきょう)となっています。

21世紀の現在に至るまで、キリスト教に代表される地球上の宗教は、殺し合いや戦争をやめさせるという最低限の責任さえ果たすことができませんでした。そうした中で、「もはや地上の宗教に人類救済の役割を期待することはできない」との判断が下されました。

スピリチュアリズムは、宗教に代わって地球上から悲劇をなくし、地上に永遠の平和をもたらすために興(おこ)されました。スピリチュアリズムは地球上から間違った宗教を一掃して、全人類が霊的成長の道を歩めるような世界をつくることを目的とした大計画なのです。(スピリチュアリズム普及会発行 ニューズレター29号より)


さらにシルバーバーチは、ここまで言い切ります。

『わたしの使命には2つの要素があるとみています。1つは純粋に破壊的なもので、もう1つは建設的なものです。永いあいだ人間の魂の息を詰まらせてきた雑草――協会による虚偽の教え、宗教の名のもとに説かれてきた意味のない、不快きわまる、時には冒涜(ぼうとく)的でさえある教義を破壊するのが第一です。そうしたものは根こそぎ一掃しなければいけません。人生が本来の意義を果たすのを妨げるからです』(地上人類への最高の福音 P251)

※イギリスは、日本と違いキリスト教が国教として認められている国です。そのため小さい頃から学び信じているキリスト教に対し、シルバーバーチがここまで否定したということは、自分たちの人生を全否定されたのと同じくらい大きな衝撃なのです。

※ただ、それ以上に霊界は私たちの霊的成長にとってマイナスになるものを真剣に排除しようとしているのが分かります。キリスト教を始めとする地上のすべての宗教をなくす大計画は、シルバーバーチだけの言葉ではなく霊界の高級霊たちの熱い思いなのです。


霊界には、「神」と「神の摂理」だけを崇拝する共通の信仰・1つの宗教が存在します。もちろんそこには、人工的な教義も宗教組織も教祖もありません。「霊的法則」に忠実な生き方・実践があるのみです。スピリチュアリズムは、そうした霊界に存在する唯一の共通の信仰を地上にもたらし、これまでのすべての人工的宗教を駆逐(くちく)しようとする計画なのです。地球上のあらゆる宗教を、「神」と「神の摂理」を信仰対象とする1つの本物の宗教につくり替えようとする大プロジェクトなのです。

それを実現するために、「霊的真理」を地上にもたらす綿密な計画がイエスを中心とする最高級霊達によって立案されました。その計画にもとずいて全霊界が組織化され、完璧な協調体制が準備されました。そして地上人には想像もつかないような万全な形で地上への働きかけが開始されたのです。今このときも何百億という高級霊達が一糸乱れぬ体制のもとで、地球人類救済のために、地球上のさまざまな分野に向けて働きかけをしています。


こうしたスピリチュアリズムの霊的背景と目的を知れば、地球上のいかなる大宗教もスピリチュアリズムの足元にも及ばないことは明らかです。「規模の大きさ」「霊的背景の強力さ」、もたらされる「霊的真理の広さ・深さ・正確さ」――どの点をとっても、これに匹敵する地上の宗教は存在しません。スピリチュアリズムはその計画の出発点から、地球上の宗教の中で比べるもののない頂点に立つことが決定されていたのです(ニューズレター29号より)

※私たちスピリチュアリストは霊界と共通の認識があるので、死んでもその神観は変わりません。霊界と同じ考えのまま還ることができるということは、勉強し直さなくていいわけですから(私たちだけではなく、高級霊にとっても)本当に喜ばしいことなのです。


短い地上人生において”スピリチュアリズム”と出会うことは、本当に奇跡に近い出来事と言えます。63億の地球人の中で、スピリチュアリズムの名前を知り、その存在について詳しく知っているのは、まだまだ一部の人間に限られます。すでにスピリチュアリズムとのつながりを持っている人は、いかなる宗教関係者よりも恵まれた立場にいます。スピリチュアリストは、計り知れない霊的宝を手にした特別に幸運な人間なのです。


そうしたスピリチュアリストが第一に心がけなければならないことは、「これまでの宗教との係わりをきっぱりと断ち切る」ということです。スピリチュアリズムは、地上の間違った宗教に取って代わるためにもたらされたものです。間違った宗教から人々を救い出すことを目的としているのです。

ですからスピリチュアリズムと真っ先に出会ったスピリチュアリストは、霊界の意向にそってこれまでの宗教との縁を切らなければなりません。それは私達のために今日まで苦労して導いてくれた高級霊に対する当然の義務であり、とるべき当たり前の姿勢なのです。(ニューズ レター29号より)


『真理の指し示す所へは臆することなく突き進み、間違いと分かったものは、たとえ何千年ものあいだ金科玉条(きんかぎょくじょう=自分の主張や立場を守るための絶対のより所)として大切にされてきているものでも、潔(いさぎよ)く捨て去る勇気がなくてはなりません。(中略)

魂が自由になるには、理性が納得しないものは潔く捨て去ることができるようでなくてはなりません』(シルバーバーチは語る P153より)

※イギリスには、キリスト教とスピリチュアリズムを合体させたものがたくさんあります。日本にも和製スピリチュアリズムと呼ばれるものや、古神道とスピリチュアリズムを合わせて考えてる人たちもいます。ただこれらは、シルバーバーチの教えを自分の生活に密着させて都合のいいように当てはめているにすぎません。しかし、宗教の概念で収まらないのが”スピリチュアリズム”です。スピリチュアリストはまっさらな心で受け取り、枠にはめることなく、理性が納得しないものをキッパリと断ち切らないといけません。

「地球上にスピリチュアリズムに匹敵する宗教はない」と断言すれば、すでに何らかの宗教を信じてる人に不快な思いをさせることになります。スピリチュアリズムの意義と価値を主張すればするほど、地球上の宗教を敵に回すことになります。

現にこれまでキリスト教は、スピリチュアリズムを最大の敵として激しい非難を浴びせてきました。今後は人口増加にともない世界一の巨大宗教となっていくイスラム教が、スピリチュアリズムの最大の敵となることでしょう。またニューエイジや神秘思想・新興宗教も、自分達こそ最高という自負があるだけに、「スピリチュアリズムが1番」という主張をなかなか素直に受け入れることはできないでしょう。

ここでしっかり知っておいていただきたいことは、スピリチュアリズムは――「反対者に対して激しい議論や説得で改宗を迫るものではない」ということです。ニューズレターもそれと同じく、反対する人間を対象としてはいません。ニューズレターの読者は、どこまでも時期のきた人、霊的真理を受け入れられる霊性の持ち主(*シルバーバーチの言う「大人の霊」)と考えています。

もっと端的に言えば、すでにスピリチュアリズムやシルバーバーチと出会い、そこに最高のものがあることをうすうすでも感じられる人を対象としているということです。自分達の宗教がだけが最高でそれ以外は劣るとか、それ以外の意見は一切聞く必要はないと主張する人間――言い換えれば”霊的牢獄”の中に居続ける人間を相手にしようとは考えていません。(ニューズレター29号)


わたしの申し上げることがしっくりとこないという方に押しつける気持ちは毛頭ありません。わたしに知り得たものを、精いっぱい謙虚に、精いっぱい敬虔(けいけん=うやまい慎むさま)な気持ちで披瀝(ひれき=心の中を包み隠さず打ち明けること)するだけです。わたしが獲得した知識のすべて、叡智のすべてを、受け入れてくださる方の足もとに置いてさしあげるだけです。これは受け取るわけにはいきません、とおっしゃれば、それはその方の責任であり、わたしの責任ではありません』(地上人類への最高の福音 P54より)

※伝えるときの原則として、自分がきちんと理解し確かなものになっていく⇒時期がきた人に伝えていくという形が大切です。