アトムの子のスピリチュアリズム日記/東京スピリチュアリズムサークル(旧 埼玉シルバーバーチ読書会)感想

     
      この地上人生を生きる目的は、『霊界』という本来の世界へ帰るための準備期間です。

スピリチュアリズム人生とは……スピリチュアリズムの霊的真理を実践する生き方

2016年01月01日 12時45分41秒 | 日記


 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願い申し上げます。

 
いよいよ2016年がスタートしました。今年も学び多き1年になりますよう、そして霊界の皆さんとともに歩いていけますよう、、、この決意を新年の祈りとして「霊界」に捧げたいと思います。また、霊的人生を歩くスピリチュアリストとして、「霊界の道具」の1人に数えていただけるように、覚えていただけるように引き続き努力していきたいと思います。

 今年の目標は「自らの生活を律していくこと」を第一にあげたいと思います。日頃から肉体の管理や生活習慣など自己管理ができていなければ、「霊界」が安心して私を道具として使うことはできません。自らを厳しくしていく年にしていかなければと思います。そして、それを土台に「真理普及」の一歩を形にしていこうと思っています。おそらくアッという間に過ぎていく1年でしょうから、時間を常に意識していかなければなりません。また心の恩師(勝手に思っているだけではありますが)である手塚治虫先生に胸を張って会えるような生き方をすることも大きな目標になっています。霊界では手塚先生自身、高級霊として日々走り回っていることと思います。

手塚先生には夢の中でさえ会うことができない私ですが、それでもシルバーコードが切れて「霊界」に帰ることが決まった日には、守護霊と一緒に先生がそばに来てくださるはずです。そして大きな手で握手してくださり、「よくがんばったね」「実はずっと見守っていたんですよ」と言ってくれるのです。私は嬉しさと感動のあまり体を震わせ、「先生~、これからはずっとそばにいますから…」と大粒の涙を流しながら言うのです。すると先生はニコニコしながら、「あ…霊性が違うので、僕は今から上に行きますね。また一緒にがんばっていきましょう」と。「えっ?あっ?ま、まぁ、確かに…」

「………」。なんだか新年早々悲しくなってきちゃいました。と、とりあえずいつか会っていただけるであろうその日のために、今は地上でがんばっていこうと思います。

 さて1月は「読書会」がお休みのため、スピリチュアリズム普及会HPより勉強していきたいと思います。今回は『スピリチュアリズムの思想Ⅲ』から「スピリチュアリズム人生とはどういうものなのか」を少しずつ学んでいこうと思います。


(1)霊的真理との出会いと「スピリチュアリズム人生」の出発

1)「高級霊訓」との出会いは、スピリチュアリズム人生の出発点

高級霊の霊界通信との出会いは、地上人として最高の恩恵にあずかったと同時に、スピリチュアリストとしての人生(歩み)がその時から始まることを意味しています。高級霊訓との出会いは、「霊的成長の道の出発点に立った」ということなのです。それまでの歩みのすべては、新たな霊的人生を出発するための準備段階だったのです。

ところが実際には、この出発点にたどり着いたものの、そこにとどまったまま肝心なスピリチュアリズム人生を歩み出そうとしない人間があまりにも多いのです。霊的知識を一生懸命に学びはしても、それをいっこうに実行に移そうとしないのです。その結果、せっかく手にした霊的宝(真理)をドブに捨てるようなことになっています。

2)高級霊訓はスピリチュアリズム人生の手引書

『シルバーバーチの霊訓』に代表される高級霊訓との出会いは、「霊的成長」という魂の救済に至る最も優れた手引書・案内書を手にしたということを意味しています。ただし霊訓は、どこまでも霊的成長のための「道しるべ」であって、それを理解しただけでは霊的救いを得ることはできません。霊的成長という人間にとっての最高の宝は、「霊的真理の実践」を通してもたらされるものです。真理は実践に至って初めて、本来の目的を達成することになるのです。

霊界の人々がたいへんな苦労をして「霊的真理」を地上にもたらしてくれたのは、それがなければ、地上人の救いが成就しないからです。地球上の人間が真理を指針として地上人生を歩み、霊的救いを得るようにとの目的で示されたものなのです。すなわち「霊的真理」は、実践することを前提として地球人類に与えられている、ということなのです。スピリチュアリズムの霊的知識は、哲学や思想や学問の一つではなく、「信仰実践」のための指南書・指導書と考えなければなりません。霊的真理は、地球人類がどのように生きたらよいのか、日々直面する問題をどのように考えそれに対処したらよいのかを示す教科書です。言いかえれば「霊的真理」は――「スピリチュアリズム人生の手引書」と言うべきものなのです。


(2)スピリチュアリズム人生とは「霊的人生」のこと

スピリチュアリズム人生とは、「霊的真理」を忠実に実践する生活のことです。霊的真理に基づく信仰生活、霊的真理を指針とした日常生活に他なりません。地上人は霊的真理の実践を通して、物質世界にいながら霊界人に近い歩みをすることができるようになります。肉体を持ちながら、霊的生活を送ることができるようになりますもっとも「肉体」という物質の衣をまとっているため、なかなか思うようにいかないのが実情ですが、そこに地上人としての修行の意味があるのです)

このように物質世界に身を置きつつも、霊を中心とした歩みをすることを「霊的人生」と言います。スピリチュアリズム人生とは「霊的人生」のことなのです。霊的人生は地上人が古来、探求してきた霊性と人間性を高める最高の生き方です。それは「霊的成長」という地上人生の目的を実現する道そのものなのです。

スピリチュアリズム人生とは「霊的人生」のことですが、それは「神の摂理」に一致し、宇宙・自然界と調和しようとする努力のプロセスとも言えます。宇宙も霊界も神の造られた摂理によって支配されています。人間はこの摂理にそって生きることで、霊的成長をするようになっています。摂理から離れた歩みを通して霊的成長を達成することはできません。摂理から外れた行為は「カルマ」となり、苦しみの体験によって償わなければならなくなります。「霊的真理の実践」とは、神の摂理に一致しようとする努力に他なりません。人間は神の摂理に一致することによって霊的成長が促され、神に近づくことができるのです。

人間は摂理に一致し、神に近づいた分だけ、魂の幸福・魂の喜びを得られるようになります。人間にとっての本当の幸福は、摂理に一致し、神と一体となったときに初めて訪れるものなのです。「スピリチュアリズム人生」とは――霊的真理の実践によって「神の摂理」に調和し、神に近づき、人間としての真の幸福に至る道と言えます。


(3)霊的真理の実践が、スピリチュアリストの真偽を決定

1)スピリチュアリストとしての資格ーーー「霊的真理」にそった実践的生き方

霊的真理は、私たちがどのように日常生活を過ごすべきかを教えています。スピリチュアリズムで大切なことは、「実生活において何をしてい るか」ということです。霊的真理にそった日常生活を心がける歩みがスピリチュアリズム人生なのです。私たちが「スピリチュアリスト」として霊界から認められるかどうかは、日々の生活の中で霊的真理を実践しようとしているか否かで決まります。真理を手にしながらも知的好奇心のレベルにとどまっている人間は、本物のスピリチュアリストとは認められません。

霊界の高級霊は例外なく、行為(実践)の重要性を強調します。シルバーバーチは次のように述べています。

★大切なのは行いです。行為です。つまり各人の毎日の「生活」そのものです。(シルバーバーチの霊訓(3)潮文社 P71)

★神を信じない人でも霊格の高い人がおり、信心深い人でも霊格の低い人がいます。霊格の高さは信仰心の多寡(たか)で測れるものではありません。行為によって測るべきです。(シルバーバーチの霊訓 霊的新時代の到来(シルバーバーチ普及会)P152)

★要はその人が生きてきた人生の中身、つまりどれだけ人のために尽くしたか、内部の神性をどれだけ発揮したかにかかっています。大切なのはそれだけです。知識は、ないよりはあるに越したことはありません。が、その人の真価は毎日をどう生きたかに尽きます。(シルバーバーチは語る(スピリチュアリズム普及会)P219)

またインペレーター霊は――「我々は信条にはさしてこだわりません。それよりも我々は行為を重要視します。何を信じていたかは問いません。何を為したかを問います。(中略)言葉より行いに、口先の告白よりも普段の業績に目を向けるのです。我々の説く宗教は、行為と習性の宗教であり……(霊訓(完訳・下)(スピリチュアリズム普及会)P40)と言っています。


2)口先だけ・言葉だけのスピリチュアリストにならない―――スピリチュアリストは徹底した実践主義者であるべき

スピリチュアリストは、徹底した「実践主義者」でなければなりません。実践のともなわないスピリチュアリズム人生・霊的人生は存在しません。ところがせっかくスピリチュアリズムと出会いながらも、口先だけ・言葉だけの生き方をする人がいます。自分は真理を実践していないのに、周りの人々に真理を語り愛の重要性を訴えようとするのです。霊的真理を口にする本人自身が、スピリチュアリズムから最も遠い生き方をしていることがあるのです。

霊的真理を知った者がそれを実行に移さず、ただ口先だけで真理を語ったり愛の大切さを主張することは「偽善」以外の何ものでもありません。本当は真理を知っている分だけ、自分自身に厳しい内容を課さなければならないのですが、当たり前の努力さえしようとしないのです。そして一般の人々よりもこの世的な欲望に翻弄(ほんろう)され、利己心と傲慢(ごうまん)さに支配されるようになってしまっています。そうした到底スピリチュアリストとは言えないような人間が、テレビやインターネットや書籍など至るところで見受けられます。真理を少しかじっただけでスピリチュアリズムが分かったと思い込んでいる軽率な人間は困りますが、真理を知りながら何も実践しない口先だけの偽善者も困ったものです。

霊的真理を知らない世間の人々から「素晴らしい人間・愛のある人間」と見られるようになるには、たいして努力は必要ありません。真理を語り、愛の重要性を繰り返し訴えればいいのです。そしてそうした者は、いつの間にか自分が立派な人間になったつもりになってしまいます。しかし「ニセモノ」を覆(おお)っていたメッキは、そのうち簡単にはがれてしまうものです。口先で立派な言葉を語るだけでそれを実践しようとしない人間は、他人を欺(あざむ)くばかりでなく自分自身をも欺き、霊的成長を阻害することになります。自らの魂を醜くし、真理を知らないこの世の人々よりも劣ることになってしまいます。

3)実践の努力なくして価値あるもの(霊的宝)を手にすることはできない―――スピリチュアリストは真摯な努力主義者であるべき

霊的真理を日常生活の中で実践するのは、実にたいへんなことです。多くの精神的エネルギーが必要とされます。大きな緊張を強いられ、強いストレスを受けることになります。このたいへんさゆえに、せっかく真理を手にしながらそれを実践しようとせず、口先だけ・言葉だけのスピリチュアリストにとどまってしまう人が多いのです。

霊的真理の実践は、奮闘努力なくしてはできません。それが「神の摂理」なのです。真理の実践には、常に苦しみや困難が付きまといます。「霊的成長」という人間にとって最も価値ある霊的宝を手にするためには、当然それに見合った実践の努力をしなければなりません。スピリチュアリズムの「努力主義」は、まさに神の摂理そのものなのです。スピリチュアリズム人生とは、霊的真理の実践のために必死に努力する歩みに他なりません。真理を実践するための苦しみや困難・障害との絶え間ない闘いの道なのです。スピリチュアリズム人生・霊的人生は、決して安易で気楽な歩みではありません。

多くの人々が苦労を避けて幸福になりたいと願っていますが、そうした道はありません。霊的には何の価値もないこの世の富(金銭・財産・名誉・人気・権力)を得るためであってもそれなりの努力が要りますが、「霊的富」を手にするためには、それとは比較にならない努力が必要とされるのです。苦労しないで幸福になる、辛い体験をしないで成長するというような都合のいい話は、神の造った世界には存在しません。もしそうした安易な道があり得るかのような教えを説く者がいるとするなら、それはすべて「ニセモノ」です

「苦しみつつ実践の努力に励む者だけが本当の宝を手にすることができる」――それが神の摂理なのです。実にシンプルな法則です。スピリチュアリズムは決して、安易な生き方も安っぽい幸福論も説きません。霊的真理を実践する努力とそのための闘いの重要性を強調するのです。

苦難や障害に立ち向かった者が、気楽な人生を送っている者よりも大きく力強く成長していくということは、それこそ真の意味でのご利益と言わなければなりません。(シルバーバーチの霊訓(1)潮文社 P57)

価値ある賞ほど手に入れるのが困難なのです。容易にもらえるものはもらう価値はないことになります。簡単に達成したものほど忘れやすいものです。内部の神性の開発は達成困難なものの中でも最も困難なものです。(シルバーバーチの霊訓(1)潮文社 P71)

魂の宝はそうやすやすと手に入るものではありません。もしも楽に手に入るものであれば、なにも、苦労する必要などないでしょう。痛みと苦しみの最中にある時はなかなかその得心がいかないものですが、必死に努力し苦しんでいる時こそ、魂にとっていちばんの薬なのです。(シルバーバーチの霊訓(1)潮文社 P52)

もしも私の説く真理を聞くことによって楽な人生を送れるようになったとしたら、それは私が神から授かった使命に背いたことになります。私どもは人生の悩みや苦しみを避けて通る方法をお教えしているのではありません。それに敢然と立ち向かい、それを克服し、そしていっそう力強い人間となってくださることが私どもの真の目的なのです。(シルバーバーチの霊訓(1)潮文社 P52)


(4)霊的人生の具体的な実践項目ーーー霊的真理に基づく実践内容の概要

1)最も重要な「3つの柱」と「基本的な実践4項目」

霊的真理によって示される実践項目、すなわち霊的人生を歩むうえでの実践内容は、大きくは次の3つから成り立っています。「霊優位(霊主肉従)の努力」「利他愛の実践」「苦しみへの正しい対処」です。スピリチュアリズムの膨大な霊的知識に基づく実践内容は、この3つの柱に含まれます。この単純な3つの実践項目の中に、地球人類が宗教を通じて探し求めてきた修行のすべてが含まれているのです。これらはスピリチュアリズムの信仰の核であり、スピリチュアリストの日常生活における努力のすべてです。以下では、この3つの柱にそって説明していきます。

その重要な柱の一つである「利他愛の実践」の中には、「霊的真理の普及活動(伝道)」も含まれています。当サイトでは、霊的真理の普及活動(伝道)の重要性を考慮してそれを独立項目として取り上げ、基本的な実践項目の一つとしています。したがって基本的な実践項目は4つになります。スピリチュアリズムの基本的な実践4項目と、それぞれについて述べている該当箇所は次のようになっています。

     ■基本的な実践4項目と該当箇所
   
      ➀霊優位(霊主肉従)の努力
      ➁利他愛の実践
      ➂霊的真理の普及活動(伝道)
      ➃苦しみへの正しい対処

2)実践力を強化し、より高い霊的人生を歩むための「3つの心がまえ」と「祈り」

基本的な実践4項目に取り組んでいくうえで重要な意識や心がまえがあります。それが6章で説明する「道具意識」「犠牲精神」「霊的視野」です。これらは霊的人生を歩む際の強力な「霊的武器」となり、推進力となります。また7章で取り上げる「祈り」という信仰実践も、霊的人生をスムーズに歩むための強力なサポートとなります。

    ■基本的な実践4項目を強化する心構えと祈り

      ➀道具意識・犠牲精神・霊的視野
      ➁祈り

3)利他愛実践の延長としての「サークルづくり」「霊性教育」

霊的真理の普及活動は、重要な利他愛の実践です。その霊的真理の普及活動(伝道)の一環として「サークルづくり」は重要な意味を持っています。スピリチュアリズムの展開とともに全国各地にスピリチュアリストの集まり(サークルや読書会やチャーチ)がつくられていくようになります。こうした集まりは、一人一人のスピリチュアリストにとって心の支えとなり励ましとなります。真理を中心とした正しい集まりは、利他愛実践の場所となって各自の「霊的成長」を促し、伝道を進めるうえでも重要な拠点となります。しかし安易な集まりは、霊的成長にとってマイナスとなる危険性を持っています

スピリチュアリストの「サークルづくり」は、どのようにしたらよいのでしょうか。霊的成長をもたらすスピリチュアリストの集まりとは、どのような内容を持ったものなのでしょうか。これについては8章で取り上げます。

また親が子どもを育てることも、大きな目で見れば利他愛の行為の一つと言えます。一歩先に地上人生を歩んでいる大人が、「霊的先輩」として子どもを育てることが育児・教育です。親が子どもに霊的真理を伝え、本当の愛で「魂」を育てることを通して子どもの霊性は高められていきます。「霊的真理」に基づく正しい育児は、そのまま子どもにとっての霊的成長の道となります。こうしたスピリチュアリズムにおける育児・教育を「霊性教育」と言います。これについては9章で取り上げます。

4)「理想を目指しての内面の闘い」と「妨害勢力との対外的な戦い」

スピリチュアリズムは、高い理想を目指す霊的な歩みと言えます目標が高い分だけ挫折も多く、理想と現実のギャップに絶えず苦しむことになりますもし高い理想に向けての努力を放棄してしまうなら、その時点で霊的成長はストップしてしまいます。「霊的真理の実践」というスピリチュアリズムの「霊的人生」は、厳しい内面の闘いを乗り超えていくプロセスでもあります。真の勇気と忍耐が要求される克己の歩みです。この問題については10章で取り上げます。

一方、スピリチュアリズム人生の障害や困難は、外部からの敵対・妨害という形で迫ってくることもあります。反対勢力はスピリチュアリズムの普及に反発し、何とかこれを阻止しようと画策(かくさく)してきます。霊的人生を歩むうえでは、こうした敵対勢力との戦いは避けられません。正々堂々と敵対勢力を迎え撃ちこれを克服していくことは、スピリチュアリズム人生の一部分と言えます。これについては11章で取り上げます。

スピリチュアリズムの思想[Ⅲ]は、こうした構成になっています。


※参考資料;スピリチュアリズム普及会HP「スピリチュアリズムの思想Ⅲ」

※なお、これらの引用にあたっては『スピリチュアリズム普及会』の許可を得ています。