アトムの子のスピリチュアリズム日記/東京スピリチュアリズムサークル(旧 埼玉シルバーバーチ読書会)感想

     
      この地上人生を生きる目的は、『霊界』という本来の世界へ帰るための準備期間です。

高級霊によってもたらされた『2つの一番』 Vol.2

2013年09月05日 13時20分32秒 | 日記



(4)シルバーバーチのストレートなPRこそが「真実の人類愛の実践」


真実の愛の持ち主なら、そして本当に心の底から人々の幸せと霊的成長を願うなら、何の迷いもなく「最高の真理を一人でも多くの人々に教えてあげたい」と思うようになるものです。

今、皆さんがシルバーバーチの霊訓は人類にとって最高の宝・最高の教えであるとの確信があるならば、それをストレートに人々に伝えることこそ「最高の愛の実践」となるのです。

霊的真理普及より、自分の見栄を優先する愚かさ

ところが世の中には、シルバーバーチの霊訓の価値を知りながら、わざわざ他の通信や宗教思想と同列に扱い、論じようとする人間がいます。そうすることで、さも自分は客観的で広い心・広い視野を持っているかのようなポーズをとるのです。もし、その人が勉強不足か、あるいは霊性の低さゆえにシルバーバーチが最高であることを実感できないというのであれば話は別ですが……そうした格好をつけた態度のどこに本当の愛があるというのでしょうか。そこにあるのは、自分の優秀さを自慢したいという低俗な虚栄心だけです。

※「偏(かたよ)ることなく、1つのことに固執(こしつ)しない」というのは、日本人特有であり、また日本人が好きな考え方です。しかしこれは「自分は客観的な判断ができている」という勘違いからきているのです。

※シルバーバーチがキリスト教を強く批判する理由には、そうしないと何が正しく・何が真実かが分からなくなるからです。また、正しいものと正しくないものを混同するということは、何が『正しいもの』なのか判断ができていないということです。

さらには、シルバーバーチの教えを適当にアレンジしてつくり替え、さも自分の考えのごとく人々にアピールする人間もいます。スピリチュアル・カウンセラーとしての自分自身の名声や人気取りのために、シルバーバーチの霊訓を利用するといったきわめて悪質な行為を行っている事実もあります。他人に霊的真理を伝えると言いながら、実際は人々を騙し、自分自身の人気を高めようとしているに過ぎません。スピリチュアリズムの知識を私利私欲やこの世の名声のために悪用するという卑劣な行為は、最も重大な霊的罪を犯すことなのです。

※こういう人は、聞いていて気分が良くなる言葉や癒される言葉を選んで話したり(書いたり)しているのです。そして大衆受けするような人柄や優しさを見せたり演じたりするのです。どういう形にしろ、霊界から降ろされた「霊訓」(全ての人間に平等であり、お金を取ることのない高級霊の教え)に対して、わざわざお金を取ってサイトを開いたり、スピリチュアルな物と偽ってグッズを売るなどの行為は明らかに間違っています。そういう行為をする人間が未だにいるとしたら、その摂理違反の度合いはあまりにも大きく私の想像を遥かに超える重い罪になるでしょう。

自己中心の自己満足的伝道をしない

一方、シルバーバーチの教えは高すぎて一般の人には受け入れられにくいから、レベルを下げて窓口を広げる必要があると主張する人間もいます。そして、わざわざシルバーバーチを出さないようにするのです。

※残念ですが、もっとも人間的な考え方と言えます。

もし、そうした人間的な手段によって現実に多くの人々の心を霊的成長の道へと引き上げることができるなら何の問題もありません。しかし、そのやり方は霊的事実に照らしたとき明らかに間違っています。低い次元に降りていくことによって、より多くの人々に真理を伝えることができるという言い分は一応もっともらしく聞こえますが、その人は「霊界からの導き」や「霊的真理の受容時期」という真理の基本が全く分かっていないのです。

※しかし「低い次元」に降りてしまうと、それに見合ったレベルの人しかこないものです。そのような勝手な判断はせずに、『シルバーバーチの霊訓』を受け取った者から先に歩んでいけばいいのです。

真理普及の主役は霊界の霊達です。そして地上人が真理を受け入れるには、一定の霊的レベルに至っているという条件を満たしていなければなりません。つまり時期のきていない人に対しては、どれだけ必死に伝道しても無駄ですし、どのような方法をもってしても受け入れられないということです。

※私たち地上人が受け入れやすいようにと勝手に「霊訓」のレベルを下げて、人間的な判断や考えで窓口を広げるのは絶対に間違っています。いついかなる時も、地上人は「協力」するという姿勢でなければなりません。

言うまでもないことですが、講演会や大会を開催して大勢の人々に一度に真理を伝えようとしても無駄になるだけです。一時的な興奮と感動を与えることはできても、すぐに醒めて元通りになってしまいます。「霊的真理普及の鉄則」を忘れてはなりません。スピリチュアリズムは、時期のきた一人一人に真理が手渡される中で進展していくものなのです。 真理の伝道についての基本を、シルバーバーチの次の言葉でもう一度確認しましょう。

(質問)「霊界側がスピリチュアリズムの普及を望んでおられるなら、もっと新聞などを使った宣伝をなさるとよいのではないでしょうか。」

(答え)「これは、これは驚きました。あなたは霊的知識の普及がどういうものかよくご存知ないようですね。知識が普及するということは結構なことです。しかし宣伝効果となると、また話は別です。魂が真理に目覚めて感動するには、それぞれに時機というものがあるのです。私たちは私たちなりの手段を講じています。計画はきちんと出来上がっているのです。あとはあなた方の世界からの協力が必要なのです。」シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.61

最もシンプルでストレートな人類愛の実践

そのような人々に共通するのは、他人の幸福より自分の見栄が優先しているということです。他人の霊的成長より自分の実績追求が大事なのです。知識の広さを誇っているつもりでいても、実際には真理の理解の浅さをさらけ出しています。愛の重要性を声高に叫んでいても、実は真実の愛ではなく、ただ自分を善人に見せたいということだけなのです。人々に奉仕しているポーズをとり、愛のある振りをしていても、本当は自分自身を愛しているに過ぎません。

こうした人達は、せっかく与えられた「最高の人類愛実践のチャンス」を自ら捨て去っています。シルバーバーチを最高の教えだと信じるなら、その一番素晴らしいものを一人でも多くの人々に伝えることです。「シルバーバーチの霊訓という最高の教えがあります。関心があったら一度読んでみてください」とストレートに勧めればよいだけなのです。それが最も純粋でシンプルな愛の実践なのです。シルバーバーチのPRだけに徹すればよいのです。自分流にアレンジしたり、意味のない人間的な手段を講じる必要はありません。


※参考資料;スピリチュアリズム普及会発行「ニューズレター29号」

※なお、これらの引用にあたっては『スピリチュアリズム普及会』の許可を得ています。




高級霊によってもたらされた『2つの一番』 Vol.1

2013年09月03日 20時57分27秒 | 日記


 8月の「読書会」が休みのため、過去に学んだものの中からもう一度勉強(復習)していきたいと思います。内容は、スピリチュアリズム普及会が発行しているニューズレター29号より「高級霊によってもたらされた2つの一番」です。ここで言う「2つの一番」とは『スピリチュアリズム』と『シルバーバーチ』のことを指しています。私自身もこの「2つの一番」に出会い、いつの頃からか自らを「スピリチュアリスト」と名乗るようになりました。正確には、霊界が認める「本物のスピリチュアリスト」を目指そうと思うようになりました。

 しかし、真のスピリチュアリストを目指そうと思った頃から、私生活や職場での試練や苦難が多くなってきました。「霊界」が準備をし時期を見て与えてくれているのですが、そのためつい10日ほど前まで職場では心穏やかではない状態が続いていました。必死に考えた上での私の言動が、予想外の方向にいってしまいかなりの絶望感に陥りました。また、2つも3つもいろいろなことが重なり正直困惑していました。しかし、結果は好転したのです。悩んだり行動を起こした経緯を考えても何故こうなったか分かりませんし、疲れきった今は考える余力もありません。ただただ有り難い気持ちでそのまま仕事に精を出しています。

 ただどちらにしろ、どういう結果にしろ試練や苦難は有り難いものです。穏やかな人生に憧れはありますが、霊的成長ができない自分を想像すると「守護霊」に(今は難しい時期と判断され)距離を置かれているような、見捨てられているような感覚でとても悲しい気持ちになります。ですから、苦難を恐れずに喜びも悲しみも「守護霊」と一緒に、人生の最後まで二人三脚で歩いて行きたいと思っています。

 さて、今回のニューズレター29号は私にとって「初心」を忘れないためにも繰り返し読む必要があります。また、しっかりと地に足をつけ「スピリチュアリスト」として生きていくための手引きにしていきたいと思います。


(3)シルバーバーチの霊訓との出会いは、地球人にとって最高の恩恵

スピリチュアリズムは霊界を総動員した人類史上最大のプロジェクトです。現時点において、そうした霊界での大きな動きを知ることができた地上人は、ほんの一部に限られます。

そのスピリチュアリズムの中で、シルバーバーチの霊訓は頂点に位置しています。「シルバーバーチの霊訓と出会う」ということは、高級霊による長年の導きの最高の結実・努力の結晶を手にしたことを意味します。シルバーバーチの霊訓を知るということは、地球人類として最高の恩恵を手にしたということなのです。価値ある地上人生を送るチャンスに恵まれたということなのです。シルバーバーチを知った私達スピリチュアリストは、最も幸せな地球人なのです。

賢明なスピリチュアリストとは?

私達は、スピリチュアリズムという全霊界あげての壮大な地球規模の救済活動の事実を知りました。しかも、その最頂点に位置するシルバーバーチの霊訓までも知ることができました。賢明なスピリチュアリストとは、こうした壮大な流れの中で、霊界の意向にそって正しく対処する人間のことです。霊界主導の大計画の流れにぴったりと合流し、高級霊と一緒になって地上人類救済の活動に身を捧げる人間のことです。与えられた「全人類への最高の奉仕のチャンス」を確実にものにする人間のことなのです。

霊性の恵まれた人は、シルバーバーチの霊訓という最高の叡智・霊的宝を手にすると、無条件にそれを自分の人生の中心に置き、人生の指針にします。そして、それ以外のものには見向きもしなくなります。「シルバーバーチの霊訓さえあれば十分である」と、自然に思うようになります。なぜなら本物の教えに出会うためのそれまでの苦しい求道の歩みは、シルバーバーチとの出会いによって一つの終着点に至ったことを実感できるからです。

時期がきて霊性の開かれた人は、シルバーバーチという最高の教えに出会った後は、実践に意識が向くようになります。手にした最高の教えを何度も何度も繰り返し読み、真理の実践にエネルギーと時間を向けるようになります。こうしてシンプルで澄み切った霊的人生を出発するようになります。毎日を高級霊とともに歩み、導きと応援を得る中で地球人として「最高の霊的人生」を送るようになるのです。

最も賢明な地上人とは、崇高な奉仕に自分の人生をすべて捧げる人間のことです。自分流の身勝手な奉仕・自己満足的な偽善的奉仕に走ることなく、高級霊の道具として「最高の奉仕」に素直に身を投じることができる人間のことです。シルバーバーチとの出会いを果たしたスピリチュアリストこそ、まさにこうした賢明な地上人を目指さなければなりません。私達は、それができる立場に立っているのです。

今さら、あれこれ他の霊界通信を漁(あさ)る必要はない

世の中には、シルバーバーチという最高の真理に出会いながらも、まだ他の霊界通信を必死に漁り続けている人がいます。最高の真理に出会った以上、もはやあれこれ他のものを物色する必要などないはずです。もちろん他の通信を読むことは全く意味がないというわけではありません。一読する価値のあるもの、スピリチュアリズムをより深く理解するうえで助けとなる優れた通信もあります。しかし、それはどこまでも脇役的な存在に過ぎません。

シルバーバーチと出会いながらまだ他のものを求める人は、いったい何のために真理の探究をしてきたのでしょうか。最高の真理を知りたいため、最も価値あるものを手に入れたいためではなかったのでしょうか。何百冊もの宗教書・心霊書・精神関連書を読んだとしても、シルバーバーチの霊訓には及びません。

霊的真理は実践を目的として与えられたもの

真理に関してもう一つの重要な点は、「真理は知るためだけに与えられたものではない」ということです。そんなことのために霊界が総力を挙げ、万難を排して地上にもたらしたわけではありません。どうでもいいような知識収集の趣味のために、霊界の人々は苦労してきたのではありません。最高の霊的真理を伝え、「一刻も早くそれを実践して霊的成長の道を歩んでもらいたい」との思いから必死の努力をしてきたのです

「時おり私がうんざりさせられることの一つに、霊界からの“高等な教え”ばかりを求めて、それを同胞のために役立てることをしない人がいることがあります。」シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.91

「単なる知識の収集では大して価値はありません。もしもそれを他人のために使わないでいると、一種の利己主義ともなりかねません。シルバーバーチの霊訓 スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ』(スピリチュアリズム普及会)  p.98


最高の霊的宝をドブに捨てるようなことはしない

シルバーバーチの霊訓という最高の霊的宝を手にしながら、低俗な見栄のために、それをすべてドブに捨てるようなことをしている人間がいます。残念なことですが、こうしたスピリチュアリストが実際、多く見受けられます。

シルバーバーチの霊訓という最高の教え・最高の霊的真理と出会いながら、それを単なる地上の一つの思想程度の位置づけしかせず、何の意味もない議論に時間を費やしたり、馬鹿げた自己主張に走っています。こうした人達は、せっかく手にした霊的宝を大切に扱えないのです。そして、くだらないことだけに時間とエネルギーを傾け、地上人生を無駄に過ごしています。一人一人に与えられた地上人生はそれほど長くはないのに、どうしてそんな無意味なことに時間を費やし続けるのでしょうか。

そうした人間ほど、「シルバーバーチだけにこだわるのは偏狭(へんきょう)である」などと、もっともらしい屁理屈(へりくつ)を言うものです。自分の考えの浅さ・傲慢さに気づいていないのです。

私達スピリチュアリストには「最高の霊的真理を知った」ということで、すでに大きな責任が発生しています。高級霊のこれまでの必死の導きを裏切り、無にするような行為は決して許されないのです。いつまでも、どちらでもいいようなことにこだわり続けていてはなりません。せっかく与えられた“最高の霊的宝”をドブに捨てるようなことをしてはなりません。

「霊的真理の啓示の恩恵に浴しながらも、なお自分中心の生き方に終始している人は、その怠慢に対する罰がそれだけ大きくなります。知らずに犯したのではなく、知っていながら犯しているからです。」シルバーバーチは語る』(スピリチュアリズム普及会)  p.76



※参考資料;スピリチュアリズム普及会発行「ニューズレター29号」

※なお、これらの引用にあったては『スピリチュアリズム普及会』の許可を得ています。