アトムの子のスピリチュアリズム日記/東京スピリチュアリズムサークル(旧 埼玉シルバーバーチ読書会)感想

     
      この地上人生を生きる目的は、『霊界』という本来の世界へ帰るための準備期間です。

12月の読書会に参加して…Vоl.1

2011年12月26日 15時59分30秒 | 日記


今年最後の読書会になりました。今年はいろいろな出来事がありましたが、なかでも東北地方の太平洋沖地震の被害の大きさは私たちの想像をはるかに超えるものでした。私たち読書会のメンバーは経済的援助や物質的援助だけではなく、スピリチュアリストとしてできることは何かを考えました。それは、亡くなった人たちへ、または愛する人を一瞬にして亡くし悲しみの涙にくれている地上に残された人たちへ、そして被災し身も心も疲れ希望を失ってる人たちへ、『祈り』という形で「魂の援助」を続けてきました。

今回の読書会は、それら地上の出来事の乗り越え方を含め、日々スピリチュアリストが目指す心構えとしてスピリチュアリズム普及会HP・「超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズムの本質と特徴」より『超宗教としてのスピリチュアリズムの特徴』を学びました。


【特徴1】
スピリチュアリズムには、”教祖”がいません。地上世界における大きな問題点は、しょせん1人の人間にすぎない者を、神の地位に祭り上げたり、崇拝の対象としたりすることです。そこから宗教は道を踏み外し、エゴの集団と化していくようになります。

人間の霊的本性として、絶対的な存在とつながり、それに従って生きたいという願望がありますが、そうした思いはすべて「神」に向けるべきなのです。なぜなら人間は、神につながって「神の子ども」として生きるように造られているからです。しかし物質の中に閉じ込められ、霊性が鈍くなった地上人は、神の代わりに人間を崇拝の対象とするようになってしまいました。スピリチュアリズムは、こうした”人間崇拝”を徹底して排除します。


※自分よりも大きな者と繋がっていたいという気持ちは、魂を持った人なら誰もがみな持っているものなのです。それは、神が与えた物だからです。本来その気持ちは「神」に向けなければなりません。


【特徴2】
スピリチュアリズムは、地上の宗教のような”宗教組織”をつくりません。したがって地上の組織宗教に見られるような霊的弊害はないのです。スピリチュアリズムには、魂の成長を目的とした少人数のサークルやチャーチは存在しますが、魂の成長は最終的には1人1人の問題に帰着するという認識から、必ずしも必要なものとは考えません。スピリチュアリズムは、霊的成長にプラスの影響をもたらす範囲において、サークルやチャーチの存在意義を認めています。

※魂の成長度合いや切るカルマが1人1人違うため、組織を作る必要はないのです。


【特徴3】
スピリチュアリズムの推進・展開のほとんどが霊界の高級霊によってなされています。したがってスピリチュアリズムの”主役”は、霊界にいる高級霊ということになります。他の宗教のように、地上人が主役ではありません。地上のスピリチュアリストは、主役である霊界の高級霊達の補助者、あるいは”道具”としての役割を果たすことになります。スピリチュアリズムにおける真の権威者は、神と高級霊達なのです。

※私たちは”いち道具”に過ぎないため、霊界の全貌(ぜんぼう)や進み具合を把握することはできません。


【特徴4】
スピリチュアリズムは熱心に霊的真理を普及しようと努めますが、地上の宗教のように人間の力や組織の力、あるいはマスメディアの力を用いての普及活動はしません。スピリチュアリズムは、「霊的時期」のきた地上人の1人1人に霊的真理が手渡されるという形で普及・拡大していくようになります。「霊的真理」を受け入れられる時期のきた人は、霊界の導きによって真理との出会いを果たすようになります。したがって地上人が、がむしゃらに普及を進める必要など全くありません。

※つまり、地上の宗教のような先導や洗脳はいらない・あってはならないということです。


【特徴5】
スピリチュアリズムの土台となる「霊的真理」は、人類史上最高レベルの叡智・知識です。しかも誰にでも理解できるシンプルで分かりやすいものです。スピリチュアリズムの霊的真理が、他の宗教の教義(ドグマ)とは比較にならないほど優れているのは、その内容が霊界の高級霊によって審議されたものだからです。それが用意周到な準備のもと(制約が極力少ない形)で地上に降ろされました。その結果、霊界に蓄積されてきた霊的知識が、純粋な形で地上にもたらされることになったのです。

そうした高級霊界通信の中で、『シルバーバーチの霊訓』・モーゼスの『霊訓』・カルデックの『霊の書』の”世界三大霊訓”は、人類にとっての最高の叡智・霊的宝といえます。この三大霊訓の中に、霊的真理・霊的知識が凝縮されています。スピリチュアリズムの思想が明瞭にされています。


※地上の宗教の教祖は霊界からのインスピは受けたものの、その教祖の霊的レベルでしか受け取れないため、霊的レベルの範囲でしか理解できないのです。


【特徴6】
スピリチュアリズムは、神と摂理に対する純粋な信仰であり、生活のすべてを捧げた真剣な霊的人生です。霊的真理・霊的事実という霊的知識を土台とし、その上に信仰的要素(神と摂理への絶対信仰)を積み上げたものの全体が”スピリチュアリズム”と言えます。

※この文は全て大切です。シルバーバーチがよく「スピリチュアリズムは信仰ではない」と言っていますが、それは「地上における従来の信仰ではない」という意味です。また、地上の誰もが真剣に生きたいと思ってはいるけれど、その方向性が分からないため困難にぶつかった時なかなか前に進めないのが現状です。宗教が教義を土台にしてるのに対し、スピリチュアリズムは全てが霊的成長のためという霊的知識を土台にしているため、無駄がなく本当の意味で前に進むことができるのです。


【特徴7】
スピリチュアリズムの信仰対象は、「唯一の神(大霊)」と神の造られた「摂理」だけです。それ以外の対象物を崇拝したり、祈りの対象とすべきではありません。したがって多くの信仰対象を持つ多神教や、天使や歴史上の人物、霊的存在(背後霊・人霊・精霊)への崇拝は間違いです。スピリチュアリズムは、神以外への信仰・崇拝を強く否定します。

※交霊会で、参加者がシルバーバーチにお礼を言ったとき注意を受けるのはそのためです。


【特徴8】
スピリチュアリズムは、徹底した「霊優位主義・霊中心主義」です。現在までの地上世界は物質中心主義に支配されてきましたが、スピリチュアリズムはそうした在り方に真正面から闘いを挑みます。スピリチュアリズムの視点・価値観・救いは、すべて「霊と霊界」を基準としており、霊を優先(中心と)しないものには一切の価値を認めません。当然のこととして、地上人類が必死に求める物質や富・肉体的快楽・名声・権威・階級などにも価値を認めません。

※全ては霊的視点・霊的価値観から判断していくことになります。


【特徴9】
スピリチュアリズムは、「霊的真理」を指針とする霊性の向上(霊的成長)を最終的な目標としています。霊的成長こそが、地上人生の究極の目標であるとします。スピリチュアリズムは、こうした徹底した「霊的成長至上主義」を主張します。

スピリチュアリズムでは、日常生活の1つ1つの営みを、霊的成長とプラスとなるものにしなければなりません。肉体ならびに物質的環境は、人間の霊的成長という目的の手段となったとき、初めて存在価値を持つことになります。


※霊的成長という人生の目標が分からないことは不幸なことです。自分の存在価値や最終的な目標が分からない今の若者たちの多くが、このことに気づかずにツライ思いをしているかもしれません。

※また霊訓を読んでも成長しなければ意味がないことです。逆に(究極の話しですが)、霊訓を知らなくてもカルマを切り、人のために生き「霊的成長」をしてる人もいるのです。


【特徴10】
スピリチュアリズムは、地上人類に「最高の救い」をもたらします。スピリチュアリズムが地上人に与える救いとは、「霊的成長」に他なりません。地上における霊的成長は、人間が将来必ず行くことになる霊界への準備ともなっています。それは霊界における幸福に直結する霊的宝と言えます。

※シンプルな霊的人生(生き方)が分かったということは、とても幸せなことで最高の救いだと実感できると思います。国が変われば法も変わってしまいますが、霊界から降ろされた真理だけは何があっても変わらないのです。


続く…




11月の読書会に参加して…

2011年12月08日 06時43分18秒 | 日記


『われわれがシルバーバーチと呼んでいる霊は実はレッド・インディアンではない。いったい誰なのか、今もって分からない。分かっているのは、その霊は大変な高級霊界に所属していて、その次元からは直接地上界と接触できないために、かつて地上でレッド・インディアンだった霊の霊的身体を中継してわれわれに語りかけている、ということだけである』(シルバーバーチは語る)

…という話しから、今回の読書会は始まりました。


シルバーバーチは、60年間の交霊会の中で、最後まで地上時代の身元を明かすことはありませんでした。このことだけ見ても、シルバーバーチはかなりの高級霊だといえます。それは、交霊会の目的が地上に『霊訓』を正しく伝えるということですから、自分の身元を明かす必要はないという”(霊界の)道具”に徹したわけです。しかしそれとは違い、あまり霊的に高くない霊だと、ついつい「自分は○○だった」と自らの身元を明かしてしまったり、さらに低級霊になっていくと「自分はイエスの生まれ変わりだ」とか、地上の有名人の名前を出したりします。

また、最初の『シルバーバーチは語る』の文章のように、彼が地上の霊媒(モーリス・バーバネル)だけでなく、「霊界の霊媒(レッド・インディアン)」も用意しなければならなかったという点をみても、やはりシルバーバーチがかなりの高級霊だということが分かると思います。更にそれだけではなく、地上の霊媒を通して正確な霊言を地上に降ろすだけでも大変なことなのに、もう1人の霊媒を準備しなければならなかったということは、霊界での気が遠くなるような準備と苦労があったわけです。



『生半可な知識は危険であるとよく言われますが、時として知識が多すぎても危険であることがあります。その知識が間違っている場合はとくにそうです。ある種の知識が脳を占領してしまうと、知性がその脳を通して自由に思考するゆとりが無くなります。その意味で、学び直すべきことや捨てなければならないことが沢山ある”聖職者”を、わたしは気の毒に思います。』(シルバーバーチの霊訓;スピリチュアリズムによる霊性進化の道しるべ11章)

ここでシルバーバーチは、”聖職者”のことを取り上げていますが、実は”聖職者”だけではなくこれは”スピリチュアリスト”にもいえることなのです。”スピリチュアリスト”が中途半端な知識を持つことや、間違った真理を学んでしまうことは、地上人生が違う方向にいってしまう危険性があります。さらに、それがその人に深く根付けば根付くほど「霊界」まで持って行ってしまうということになり、「霊界」での訂正が大変になってしまいます。

また、霊的真理を学ぶ以外に余分な知識・・枝葉の知識ばかり増やしてしまうことも良くありません。同様に自分なりに解釈してしまうことや、自分の都合のいいところだけ受け入れてしまうことも、霊的成長を妨げてしまい(マイナスの要素を作ってしまい)いいことではありません。



それでは、なぜ3千年前の古代霊であるシルバーバーチが、地上に舞い戻ってきたのか…。それは、どんなに素晴らしい指導者が現れようと、いかなる書物であろうと、いかなる宗教であろうと、それが地上の存在であっても霊界の存在であっても、たった1つのものに盲従(もうじゅう)してはいけない…それよりも、『大霊(神)が定められた大自然の摂理に従いなさい』ということを説くために地上にやって来たのです。

たとえこの先、地上的背景が変わることがあってもこれだけは変わらないというのが高級霊お墨付きの”大自然の摂理”であり”スピリチュアリズム”なのです。この世の常識・礼儀・勉強・道徳は、霊界で通用しない部分が多いけれども、”スピリチュアリズム”だけは最高レベルで霊界でも通じるのです。


『皆さんは今、霊界の審議会で用意された叡智がこのわたし(シルバーバーチ)を通して届けられてるのをお聞きになっていらしゃるのです。それを(叡智を)広めることによって地上人類の叡智と理解力とが増すにつれて、生活が大霊(神)の御心にそったものとなるでしょう。摂理にのっとったものとなるでしょう。地上世界の悲劇と飢餓、苦労と心痛は、すべてその摂理に従った生き方をしていないところから生じていることを悟るようになるでしょう』(霊性進化の道しるべ11章)

とても重要な文章で、人間の叡智を超えたもの・審議に審議を重ねて用意した叡智が地上に届けられているのです。今の地上人の霊性に合わせて、伝えていくべきものと、伝えなくていいもの(類魂や再生の詳しい内容)など「霊界」の深い配慮の中届けられているのです。

また一定の霊性レベルに達すれば「シルバーバーチの霊訓」が無条件で分かるというのも事実です。これは知性や理性とは違い、いろいろ勉強してきたこととは関係なく、その人の霊性のレベルによって惹かれることなのです。



この広大な宇宙には、唯一絶対の「大霊(神)」が存在しています。「大霊(神)」とは、果てしない宇宙であろうと地球であろうと、全てのあらゆる生命現象をコントロールする永遠・不変の摂理のことです。決して人間らしいとか、ヒゲが生えてるとかいう存在のものではありません。

確かに今の私には「霊界」の記憶がありません。見えない世界でもあります。信じる・信じないの世界かもしれません…。

ただ私の”魂(霊)”が「霊」の存在や「霊界」の存在、「守護霊」の存在を認めた以上・・その全てを支配している完璧で寸分の狂いもなく働く「大霊の摂理・法則」のことを否定する理由がみつかりません。反対に、より深く理解できるようになりました。また、今から「霊界」と共通の神観を持っているということはとても素敵なことですし、何よりも「霊界」に還ってからも通用することの素晴らしさと重要性を実感した今回の読書会でした。