今年最後の読書会になりました。今年はいろいろな出来事がありましたが、なかでも東北地方の太平洋沖地震の被害の大きさは私たちの想像をはるかに超えるものでした。私たち読書会のメンバーは経済的援助や物質的援助だけではなく、スピリチュアリストとしてできることは何かを考えました。それは、亡くなった人たちへ、または愛する人を一瞬にして亡くし悲しみの涙にくれている地上に残された人たちへ、そして被災し身も心も疲れ希望を失ってる人たちへ、『祈り』という形で「魂の援助」を続けてきました。
今回の読書会は、それら地上の出来事の乗り越え方を含め、日々スピリチュアリストが目指す心構えとしてスピリチュアリズム普及会HP・「超宗教・高次元宗教としてのスピリチュアリズムの本質と特徴」より『超宗教としてのスピリチュアリズムの特徴』を学びました。
【特徴1】
スピリチュアリズムには、”教祖”がいません。地上世界における大きな問題点は、しょせん1人の人間にすぎない者を、神の地位に祭り上げたり、崇拝の対象としたりすることです。そこから宗教は道を踏み外し、エゴの集団と化していくようになります。
人間の霊的本性として、絶対的な存在とつながり、それに従って生きたいという願望がありますが、そうした思いはすべて「神」に向けるべきなのです。なぜなら人間は、神につながって「神の子ども」として生きるように造られているからです。しかし物質の中に閉じ込められ、霊性が鈍くなった地上人は、神の代わりに人間を崇拝の対象とするようになってしまいました。スピリチュアリズムは、こうした”人間崇拝”を徹底して排除します。
※自分よりも大きな者と繋がっていたいという気持ちは、魂を持った人なら誰もがみな持っているものなのです。それは、神が与えた物だからです。本来その気持ちは「神」に向けなければなりません。
【特徴2】
スピリチュアリズムは、地上の宗教のような”宗教組織”をつくりません。したがって地上の組織宗教に見られるような霊的弊害はないのです。スピリチュアリズムには、魂の成長を目的とした少人数のサークルやチャーチは存在しますが、魂の成長は最終的には1人1人の問題に帰着するという認識から、必ずしも必要なものとは考えません。スピリチュアリズムは、霊的成長にプラスの影響をもたらす範囲において、サークルやチャーチの存在意義を認めています。
※魂の成長度合いや切るカルマが1人1人違うため、組織を作る必要はないのです。
【特徴3】
スピリチュアリズムの推進・展開のほとんどが霊界の高級霊によってなされています。したがってスピリチュアリズムの”主役”は、霊界にいる高級霊ということになります。他の宗教のように、地上人が主役ではありません。地上のスピリチュアリストは、主役である霊界の高級霊達の補助者、あるいは”道具”としての役割を果たすことになります。スピリチュアリズムにおける真の権威者は、神と高級霊達なのです。
※私たちは”いち道具”に過ぎないため、霊界の全貌(ぜんぼう)や進み具合を把握することはできません。
【特徴4】
スピリチュアリズムは熱心に霊的真理を普及しようと努めますが、地上の宗教のように人間の力や組織の力、あるいはマスメディアの力を用いての普及活動はしません。スピリチュアリズムは、「霊的時期」のきた地上人の1人1人に霊的真理が手渡されるという形で普及・拡大していくようになります。「霊的真理」を受け入れられる時期のきた人は、霊界の導きによって真理との出会いを果たすようになります。したがって地上人が、がむしゃらに普及を進める必要など全くありません。
※つまり、地上の宗教のような先導や洗脳はいらない・あってはならないということです。
【特徴5】
スピリチュアリズムの土台となる「霊的真理」は、人類史上最高レベルの叡智・知識です。しかも誰にでも理解できるシンプルで分かりやすいものです。スピリチュアリズムの霊的真理が、他の宗教の教義(ドグマ)とは比較にならないほど優れているのは、その内容が霊界の高級霊によって審議されたものだからです。それが用意周到な準備のもと(制約が極力少ない形)で地上に降ろされました。その結果、霊界に蓄積されてきた霊的知識が、純粋な形で地上にもたらされることになったのです。
そうした高級霊界通信の中で、『シルバーバーチの霊訓』・モーゼスの『霊訓』・カルデックの『霊の書』の”世界三大霊訓”は、人類にとっての最高の叡智・霊的宝といえます。この三大霊訓の中に、霊的真理・霊的知識が凝縮されています。スピリチュアリズムの思想が明瞭にされています。
※地上の宗教の教祖は霊界からのインスピは受けたものの、その教祖の霊的レベルでしか受け取れないため、霊的レベルの範囲でしか理解できないのです。
【特徴6】
スピリチュアリズムは、神と摂理に対する純粋な信仰であり、生活のすべてを捧げた真剣な霊的人生です。霊的真理・霊的事実という霊的知識を土台とし、その上に信仰的要素(神と摂理への絶対信仰)を積み上げたものの全体が”スピリチュアリズム”と言えます。
※この文は全て大切です。シルバーバーチがよく「スピリチュアリズムは信仰ではない」と言っていますが、それは「地上における従来の信仰ではない」という意味です。また、地上の誰もが真剣に生きたいと思ってはいるけれど、その方向性が分からないため困難にぶつかった時なかなか前に進めないのが現状です。宗教が教義を土台にしてるのに対し、スピリチュアリズムは全てが霊的成長のためという霊的知識を土台にしているため、無駄がなく本当の意味で前に進むことができるのです。
【特徴7】
スピリチュアリズムの信仰対象は、「唯一の神(大霊)」と神の造られた「摂理」だけです。それ以外の対象物を崇拝したり、祈りの対象とすべきではありません。したがって多くの信仰対象を持つ多神教や、天使や歴史上の人物、霊的存在(背後霊・人霊・精霊)への崇拝は間違いです。スピリチュアリズムは、神以外への信仰・崇拝を強く否定します。
※交霊会で、参加者がシルバーバーチにお礼を言ったとき注意を受けるのはそのためです。
【特徴8】
スピリチュアリズムは、徹底した「霊優位主義・霊中心主義」です。現在までの地上世界は物質中心主義に支配されてきましたが、スピリチュアリズムはそうした在り方に真正面から闘いを挑みます。スピリチュアリズムの視点・価値観・救いは、すべて「霊と霊界」を基準としており、霊を優先(中心と)しないものには一切の価値を認めません。当然のこととして、地上人類が必死に求める物質や富・肉体的快楽・名声・権威・階級などにも価値を認めません。
※全ては霊的視点・霊的価値観から判断していくことになります。
【特徴9】
スピリチュアリズムは、「霊的真理」を指針とする霊性の向上(霊的成長)を最終的な目標としています。霊的成長こそが、地上人生の究極の目標であるとします。スピリチュアリズムは、こうした徹底した「霊的成長至上主義」を主張します。
スピリチュアリズムでは、日常生活の1つ1つの営みを、霊的成長とプラスとなるものにしなければなりません。肉体ならびに物質的環境は、人間の霊的成長という目的の手段となったとき、初めて存在価値を持つことになります。
※霊的成長という人生の目標が分からないことは不幸なことです。自分の存在価値や最終的な目標が分からない今の若者たちの多くが、このことに気づかずにツライ思いをしているかもしれません。
※また霊訓を読んでも成長しなければ意味がないことです。逆に(究極の話しですが)、霊訓を知らなくてもカルマを切り、人のために生き「霊的成長」をしてる人もいるのです。
【特徴10】
スピリチュアリズムは、地上人類に「最高の救い」をもたらします。スピリチュアリズムが地上人に与える救いとは、「霊的成長」に他なりません。地上における霊的成長は、人間が将来必ず行くことになる霊界への準備ともなっています。それは霊界における幸福に直結する霊的宝と言えます。
※シンプルな霊的人生(生き方)が分かったということは、とても幸せなことで最高の救いだと実感できると思います。国が変われば法も変わってしまいますが、霊界から降ろされた真理だけは何があっても変わらないのです。
続く…