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熊野古道 4日目 下松➡️山中渓 2014.3.24

2014-03-24 | 街道歩き

歩き始めて4日目となりました。iPhoneの中の案内地図をたえずチェックしながら歩きました。
それでも迷ってばかり。なかなか熊野古道は曲者です。
紀伊路の大阪府エリアは案内が不親切。歩いてる場合は、道間違えると大変。
もとに戻るのに時間と労力がかかる。


今朝は堺から南海電車で羽衣へ、羽衣からJRの鳳経由下松へ。下松から歩きました。
早速出くわしました。和泉式部伝説。





和泉式部は東海道にも中山道にも登場。当時としては、ウロウロされた人ですね。
帰国したら調べてみましょう。
    天元元年(978年)頃 - 没年不詳)は平安時代中期の歌人越前大江雅致の娘。
    中古三十六歌仙女房三十六歌仙の一人。
 多くの伝説があるようです。。
 

  • 岩手県北上市 - 和賀町竪川目に墓所がある。付近が出生地あるいは没地と伝えられ、ここが和泉式部伝説の北限とされる。早世した小式部を哀れんだ隣人が五輪塔を建てたという伝説に準えて明治2年に奉建された五輪塔などがある。
  • 福島県石川郡石川町 - この地方を治めた豪族、安田兵衛国康の一子「玉世姫」(たまよひめ)が和泉式部であると言い伝えが残る。式部が産湯を浴びた湧水を小和清水(こわしみず)、13でこの地を離れた式部との別れを悲しんだ飼猫「そめ」が啼きながら浸かり病を治したといわれる霊泉が猫啼温泉として現存する。
  • 岐阜県可児郡御嵩町 - 旧中山道の途中に和泉式部の廟所と言われる石碑が存在する。同地に伝わる伝承によると晩年は東海道を下る旅に出て、寛仁3年(1019年)にここで病を得て歿したとされている。碑には「一人さへ 渡れば沈む 浮橋に あとなる人は しばしとどまれ」という一首が刻まれている。
  • 大阪府堺市西区平岡町 - 居宅跡である「和泉式部宮」がある。
  • 大阪府岸和田市 - 阪和線下松駅周辺の大阪府道30号大阪和泉泉南線沿いには和泉式部にまつわる池、塚などが存在する。
  • 兵庫県伊丹市に和泉式部の墓所がある。
  • 京都府京都市右京区太秦 - 太秦和泉式部町という地名がある。
  • 京都府亀岡市 - 称名寺に和泉式部の墓所があると伝えられる。
  • 山口県山陽小野田市 - 和泉式部の墓所がある。
  • 佐賀県白石町嬉野市 - 白石町の福泉禅寺で生誕し、嬉野市の大黒丸夫婦に育てられたとされる言い伝えがある。寺には故郷を偲んで詠んだとされる和歌の掛け軸が伝わっており、境内には歌碑と供養塔が建立されている。

 

しかしこれらの逸話や墓所と伝わるものは全国各地に存在するが、いずれも伝承の域を出ないものも多い。柳田國男は、このような伝承が各地に存在する理由を「これは式部の伝説を語り物にして歩く京都誓願寺に所属する女性たちが、中世に諸国をくまなくめぐったからである」と述べている。

お化けカメラがありました。


コンビニでコーヒーブレイク。




熊野街道にも一里塚があるんですね。




久しぶりに見ました。バキュームカー
臭いから間違いありやせん。




















泉州を歩いています。













お墓の写真はやめました。何か写ったらいやなんで。

素敵な熊野街道。








大阪夏の陣 古戦場跡。


明治大橋と明治小橋、大正大橋もある。なぜここに?




遠い自画像。










なんだこりゃ?ピンクのゴリラ。
























何故か鳥居だけ。神社はない。


















今日は山中渓まで。電車で和歌山にでて泊まります。
明日からは熊野古道 和歌山県に入ります。

熊野古道、熊野街道、紀州街道とどうも名称が定まりません。
また、平安朝の昔からの道、江戸時代以降整備した道といろいろあるようです。






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