ゆーぼん街道歩きブログ(欧州カミーノ、東海道他(五街道)、熊野古道、北国街道他)

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真鶴半島一周トレイル

2022-03-17 | 街道歩き

 なかなか巡礼が国内外ともに行けない状態が続いてます。ウクライナでの
戦争、第三次世界大戦にならないことを祈ります。人類は未だに殺し合いを
やめない。これは何故だろうかと考えます。みな死は怖いはず、だのに殺し
合いをする。個人の人生は一回きりなのにね。不思議な動物ですね。
 ただ今回は報道が激しい。やはりSNSの進化に伴い、映像による情報が増
えたせいだろうか?(フェイクもあるが)中東、もっと前のベトナムもここ
までの報道はなかったような気がする。人類は殺ればやり返すの繰り返し・
・・。これを続ける限り人類は退化することになるね。やがて滅びる・・・。
 自分にとって何ができるんだろうと皆が考える。

 ということで何となく気は重いが、私にとって歩くしかないので、今回は
FB友人に紹介いただいた”真鶴半島一周を歩いてみました。約10kmほどの
行程です。


 真鶴駅までは電車、そこから左回りに半島を一周します。最初に出会った
のは荒井城址公園です。枝垂桜が有名だそうですが、だいぶ早過ぎたようで
す。河津桜だと思われる桜が咲いていました。

 荒井城跡公園は、後三年の役(1083年)で源頼家につき活躍した荒井実継が
築いた居城跡に整備された公園のようです。源氏系ですね。






 荒井城址公園を抜けて歩いていると、突然現れました・・”モアイ像”です。び
っくりしました。ちょうど通りかかった人と少しおしゃべり、これプラスチック
製だって。興味本位で造ったみたいです。イースター島は何も関連ありません。


 相模湾が見えました。気持ちの良いウォーキングコースです。

 ここは真鶴岬のようです。正面沖に初島が見えます。釣りをしていたころよく
行きました。イカのどんぶりが美味かったと記憶してます。この手前はミニゴル
フ場となっています。


 まあ、記念碑案内板にごちゃごちゃと書いてありますが、かすれてよく読めま
せん。


 いろんな記念碑がありました。よくわかりませんでした。折角ですのでもう少
し判りやすい掲示板にしてくれるか、現代ならQRコードを張り付けておいてほ
しい。


記念に初島入れて自撮りです。帽子のマークはCAMINOホタテです。



 これから訪れる三ツ石を遠望。

 中川一政美術館です。歩いているときはなかなか立ち寄りが面倒なんでパスし
ました。


 ここからはお林遊歩道に入ります。一応ささやかな登山です。

 こんな道です。

 なかなかの古木、大木があります。

 この案内標識には驚きました。神様ではよく見かけますが、この形はどう見
てもあれです。その偉大さに萎縮しながら通りました。


 ここいらは採石場だったようです。海に近く江戸へ石材を運ぶのが便利なとこ
ろです。


 お林を抜けて海岸にでました。ここからは海岸を歩いて半島先端に向かいます。

 初島とその横は伊豆半島でしょうか?春霞、花粉、黄砂でぼやけてます。

 海岸は石、岩多く、遊歩道が整備されていました。

 三ツ石が見えてきました。確かに三つ岩があります。





 ほんとに素敵な道です。





 海岸の岩場の草むらに一匹の虎・・寅年のせいか前回江の島でも遭遇しました。
寅年はあらゆる異変が多いようです。注意しないとね。すでに地震、戦争、ウイ
ルス、花粉、黄砂と発生してます。


 そしてここまで来ると三ツ石が二ツ石に見えます。そしてしめ縄があると伊勢
二見浦にそっくりです。思わず手を合わせました。




 干満の差で地続きになったり、島になったりするそうです。まるでモンサンミ
シェル。

 ここから半島の崖を登ります。といっても階段がありますが・・・登るとあり
ました。真鶴最南端ですって。


 よかところです。カフェもありました。ただ腹が減ってるので先に進みます。

 途中ありました山の神神社です。いわれはわかりません。

 佐々木信綱の歌碑もありました。明治の歌人です。

 上手く撮れませんが、岩場の透き通った海を撮ったつもりです。

 そしてありついた海鮮づくしの昼飯です。2700円 先に食べましたがサザエの
つぼ焼きもついてました。もちろん平日14時ころ、客は私一人、だから感染対
策万全です。アルコールはなし、ドクターストップです。


 食べながら海を眺めてのんびり。最高のウォーキングでした。

 食後、真鶴駅に向かって歩きます。ありました貴船神社、今からおよそ千二百
年ほど昔の夏、真鶴岬の笠島(現在の三ツ石)の沖合に、夜ごと不思議な光が現
れ、海面を煌々と照らしていました。
 ある日「平井の翁」という人が磯辺に出て遥か沖を見渡したところ、光を背に
した一隻の楼船が波間に浮かび海岸に近づいてくるので、船内を調べてみると、
そこには木像十体余りと、口伝によれば、「この神をお祀りすれば村の発展があ
る」と記された書状があったとされます。
 その夜、神は翁の夢に現れ、自らが大国主神である事を告げました。そこで翁
は村人と力を合わせて社を建て、村の鎮守の神としてお祀りしたのが、現在の貴
船神社の起源と伝えられています。ということで京都の貴船神社との関係はよく
わかりません。確か京都は水神だったと思います。この由緒は貴船神社HPより
コピーさせていただきました。




 石橋山だけでなくここにも頼朝が隠れた場所がありました。



 これは品川砲台場とあります。どうやら品川砲台場が埋め立てで消えることに
なったため、真鶴に移転したようです。



 以上で真鶴駅到着です。約10kmほどの旅ですが、なかなか充実してました。
次はいずこへ・・。早く西国街道歩きたい、早くドイツカミーノ歩きたい。


 
 
 
 
 
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