7/5(水)曇
一昨日、布々岐敬子歌集『野に還りゆく』が届く。
おお、懐かしい人が第二歌集を出されたのだ。
昔、在籍していた「開放区」の同期入会組。
年齢は少し先輩だったけれども屈託のない
会えばいつもニコニコしている女性である。
「開放区」の休刊後に私が立ち上げた「蓮」という
同人誌にも参加してくれてありがたかった。
その「蓮」が11号で突然、潰えたときには
ずいぶんご迷惑をおかけしたので、心苦しく
少し疎遠になっていた。
そんな私に第二歌集をお送りくださったわけだ。
これはこれはと楽しみに歌集を取り出すと
帯はお姉さまが書いておられる。
「入院の初日に、もはや私を認識出来ず、…」と書かれている。
ん?いったいどういうことだ?と「あとがき」を読むと、
2022年の夏に玄関で転倒したらしく、そこで頭を強く打ち付けた
らしいことが書いてあった。以来、いろいろの病気を併発し…
「この歌集は本人の知らないところで、人生の締め括りをつける
ように、出されることとなりました。」と綴られている。
なんということだろう。
彼女は定年後、東京板橋区の赤塚から、故郷である長野県上田市に
引っ越されお姉さまと二人で暮らしていらした。
「意外に近いのよ」と言って、毎月のように上京されていたし、
お姉さまにも、八丁堀の「パンドラ」で一度お目にかかったことがある。
私はご馳走になってばかりいて、二人で飲み食いをして
語りあったこともあった。毎回「こんど奢るよー」と
手を振りながらも約束は果たせずじまい。
7~8年前になるけれど上田市に旅に出たとき
ダメもとでお電話したことがあった。
結局お目にかかれなかったけれど
こんど出かけるときには事前に連絡してみようと思っていた。
いつでも会えると思える不思議な魅力のある方であった。
お姉さまのご心労も察するに余りある。
どうか布々岐さんのご安静を願うばかりだ。