
マックではナゲットとポテトとホットコーヒーしか注文しない。
この日「コーヒーは車内で召し上がりますか?」と訊かれて受けとったのは
アイスコーヒー。はいはいコレね!暑いもんね!と、当然のような顔をして
受け取りましたが、ボクが頼んだのはホットなの。
イヤ、ホットを頼んだんだけど・・なんて言えるわけないのです。
2025/8/27(水) 晴のち曇の予定
gooブログの更新も残りひと月ほどなので書き残しておきます。
今朝、読売新聞「編集手帳」の切り抜きが妹からLINEに届く。
やなせさんが書いたアンパンマンの主題歌の歌詞についてだった。
いま、やなせさんの奥さんを主人公にしたNHK朝ドラが放送されて
いるけれど、ボクは朝ドラを観たことがないので噂で知っているだけ。
40年ほど前、やなせさんは「詩とメルヘン」という雑誌を編集されていた。
1973年から2003年まで発行されていた文芸誌で、Wikipediaによると
「読者層は十才から九十才ぐらいまで」を対象とし、一般の読者が投稿した作品に、
プロのイラストレーターが絵をつけるという読者参加型の編集を特徴とした。
やなせさんが「お金がない」「いつまでこれを出せるか」と弱音を吐きながらも
フルカラーの大判、中綴じの贅沢な作りの雑誌を出されていたことを思い出す。
アンパンマンの大ヒットによって休刊となったのは皮肉だけれども。
それにしても、たいそう乙女チックな雑誌であったことは確かだ。
それを当時、武道部に所属するバンカラだったボクが買って来ては、夜な夜な
ポエムを書いて投稿していたんだから、キモいよね。
で、たまに掲載されてはひとり悦に入っていたが、どこかでその噂を嗅ぎつけた
後輩が「先輩の心にはうさぎが棲んでいる」と言いふらした。
「おっ!その言葉が詩だよ」と思った。
やなせさんはボクの作品を「なんか、可憐な感じがする」と評してくださった。
爾来ボクは可憐なの。「入選者の言葉」なるコーナーが巻末にあって、毎月、
ダンボール3分の1箱分くらいのお手紙を全国から頂戴した。なんせ1980年代の
ことで、LINEはおろかメールすら無かった時代。つまり文通。
やり取りが続く人もいれば、1回っきりの人もいたが、そんな時代が過ぎてボクは
短歌だけを細々と続けてきた。40年間なんてあっという間だねー。
それなりの短歌道を歩んでいたが、あるとき所属する団体が主催するシンポジウムの
司会をやらされることになったボク。

パソコン内を検索すると、なんとその時のチラシが残っていた。
2013/8/24開催とある。もう12年前のことになるねー。
有名歌人をパネラーに迎え、汗を拭き拭き田原総一朗バリに現場を仕切るボク。
来場者は100人を超えていたやも知れず。しかし、どなたの記憶にも残って
いないであろうこの日のこと。
休憩で一服し、席に戻ろうとしたとき、歌人Uさんから声をかけられた。
「ねぇねぇこの人知ってる?」と小さな女性を紹介された。急なことだもんで
「エっ!イヤちょっとワカラナイナ」とカタコトになる。汗も出るわ!
「んったく隅に置けないねー」なんてUさんに追い込まれるボク。続けて
「昔、手紙のやり取りしていたんだって?」とUさんに言われ、彼女はポツリと
「詩とメルヘンの・・」と言った。ああ、あの時代の誰かか?と、思うものの
誰かはわからないに決まっているよ。「変なこと書いてないよね?」「大丈夫です」
と、彼女は答えたような気がする。現在は消してもらったが、あの頃、どういう
わけかWikipediaに載っていて、その経歴と見覚えのある名前からボクだと
確信して訪ねてきたのだと思う。文通していた当時、彼女は中学生でボクは
Fラン大学生。思えばたかだか6~7年の歳の差だったが、果てしなくこどもに
思えたので文通は続かなかったように思う。
彼女は立派な歌人さんになっていた。
それから、お互いの歌集を送り合ったり、感想を書いたり、ボクの雑誌を
送ってはハガキなどをもらう関係が10数年続くこととなる。
それだけの時間。
この6月、とある方の歌集批評会があった。ボクは予定の立たない暮しだから、
批評会などにはあんまり出かけなくなっていたのだが、この歌集は印象にあったし、
旧知の歌人Uさんが版元だし、尊敬するFさんが発起人。で、出席しようと思って、
その彼女に「批評会行きますか?」とLINEしたのだった。
「もし出席するなら声かけてよ」と、お願いしたのは顔を憶えていなかったから。
当日、壁の花になっていると、右下に人の気配。彼女だった。
甲子園じゃないけれど12年ぶり2回目の出会いであった。
お互いにお土産を渡して、この日も数分間の立ち話で終わった。
知り合って40年。お目にかかったのは2回。会話時間は合計10分未満。
やなせさんが繋いだ縁であり、短歌がボクらにあったことは確かだ。
ロマンだよね。
おしまい。