「核絶対否定」を主張していた(故)森市郎氏も、「当時は原子力の平和利用に希望を抱いた」(以下、引用は『朝日新聞』)、「後に『いまから思えば穴に入りたいほど恥ずかしい空想を抱いていた』と述懐」したそうです。当初、核の平和利用という「原発戦争」を認めたという意味では、氏も「A級戦犯」だったということでしょう。
氏は、オーストラリアの原住民である反核運動化のシェリル・ブハナンの「平和利用だろうが、ウラン採掘時から普通の人々が被害を受けていることを忘れてほしくない」という訴えを聞き、「核の開発利用は構造的に差別・抑圧の上に成り立っている」と気づかれ、「核と人類は共存できない。反原発の運動は人間が核を否定するか、核に人間が否定されるかの戦いだ」と主張しますが、「現実に生活のかかっている人たちに、『核と人類は共存できない』を浸透させられなかった」、つまり氏の核兵器と原発を差別(しゃべつ)しない考えは、原発を推進する人々にも、反核運動に関わる人々にも、広く受け入れられることにはならなかったのです。
しかし、氏の言われる「核と人類は共存できない」とうことは、奇しくも(不幸にも)フクシマによって現実のものとなってしまいました。「原発戦争」が、最終的な悲劇的結末を迎えたのです。この「原発戦争」は、戦争を放棄し、「核」を持たないとし、二度と戦争は繰り返しませんと宣言したその「舌」で、(今度は同盟国となった)米国と共に始めた「戦争」なのです。その「原発(核)戦争」の背後には「経済戦争」があり、「軍事的、政治的」戦争があるのです。福沢(敬称略)が「平時も有事も相争う」と表現したように、この世界は常に、形を変えた「戦争」に明け暮れているのです。
そして「構造的に差別・抑圧の上に成り立っている」これらの「戦争」は、そのコスト(犠牲)を多くの人類に押し付けています。フクシマの「原発(核)戦争」は、その被害(犠牲)を現在も拡大し続けています。今こそ、氏の言われた「核絶対否定」の思想が多くの人々に届くことを願うのですが、世界のこの「構造」(利のシステム)は、未だ微動だにしていないように感じるのです・・・
P.S. 「バンキシャ」を観ていたら、牛の糞尿を利用して堆肥を作り、田畑に入れ、またそれを餌にするという理想的な循環(持続可能な農業)をしている人々の手によって、今度は放射能汚染された牛の糞尿から作った堆肥が汚染され、餌を汚染し、また汚染牛が生まれるという、汚染の循環が行なわれるといいます。このような皮肉で悲惨な現実を知り、畜産業、農業に真剣に取り組んでこられた方々の絶望は如何ばかりかと、暗澹たる気持ちにならざるを得ませんでした。しかしこれもまた、人為的な2次汚染となりますから、2次被害を防ぐためにも、この糞尿はきちんと処分され管理されなけれなばらないのです・・・(それにしても、食品安全委員会の安全基準が、(上限)年5mSvというのはどうなのでしょう。これで安全といえるのでしょうか?・・・)
P.S.2 「NHKスペシャル」で飯舘村が特集されていました。政府はこの地の危険性に気づいて事故から5日後には現地で放射線の測定を始めていますが、13日経ってやっと公表したとか。しかし避難地域に決まった住民説明会でも、ホットスポットでは、95,1μSv/時もの高放射線が観測されているのにも拘わらず、この放射能汚染については触れられず、具体的な避難場所や指示は出されなかったそうです。まさに無責任極まりない対応です。(怒りと涙なしに番組を観られませんでした)
番組の中で、福島市でも除染のアドバイスをし、実際に現地で行なっている元原子力委員の○○博士、「産廃」という言葉で、住民の方に当地の谷の提供を促していましたが、氏の最大の任務は、除染とその研究は勿論でしょうが、放射能汚染された土壌他、放射性廃棄物の処分場の選定と、(除染で顔を売り、現地に入って住民と共に汗をかく先生として)住民の説得を担っているようです。
放射性廃棄物処分場の重要性は言うまでもありませんが、除染を行なうのはそこに住み続けるという前提で行なうものですから、除染と同時に処分場への土地提供を持ち出すのは余りにも露骨というか無神経ではないかと思うのですが、甘いのでしょうか・・・差別的な私としては、やはり最早50年、100年と帰ることの出来ない20キロ圏内の土地を買い上げて、そこに処分場を造るべきだとい思います。関東圏の汚染汚泥や福島市の除染土壌も全て(焼却は駄目です)、そこに持ち込むべきだと思います。放射能汚染物質を1箇所に集めて、厳重に管理することが何より肝要なのです・・・(その意味では、ガレキを川崎市に移動させて、焼却することはその真反対、放射性物質の2次的、3次的拡散(飛散)に結び付けるものであって、断固反対です・・・)
氏は、オーストラリアの原住民である反核運動化のシェリル・ブハナンの「平和利用だろうが、ウラン採掘時から普通の人々が被害を受けていることを忘れてほしくない」という訴えを聞き、「核の開発利用は構造的に差別・抑圧の上に成り立っている」と気づかれ、「核と人類は共存できない。反原発の運動は人間が核を否定するか、核に人間が否定されるかの戦いだ」と主張しますが、「現実に生活のかかっている人たちに、『核と人類は共存できない』を浸透させられなかった」、つまり氏の核兵器と原発を差別(しゃべつ)しない考えは、原発を推進する人々にも、反核運動に関わる人々にも、広く受け入れられることにはならなかったのです。
しかし、氏の言われる「核と人類は共存できない」とうことは、奇しくも(不幸にも)フクシマによって現実のものとなってしまいました。「原発戦争」が、最終的な悲劇的結末を迎えたのです。この「原発戦争」は、戦争を放棄し、「核」を持たないとし、二度と戦争は繰り返しませんと宣言したその「舌」で、(今度は同盟国となった)米国と共に始めた「戦争」なのです。その「原発(核)戦争」の背後には「経済戦争」があり、「軍事的、政治的」戦争があるのです。福沢(敬称略)が「平時も有事も相争う」と表現したように、この世界は常に、形を変えた「戦争」に明け暮れているのです。
そして「構造的に差別・抑圧の上に成り立っている」これらの「戦争」は、そのコスト(犠牲)を多くの人類に押し付けています。フクシマの「原発(核)戦争」は、その被害(犠牲)を現在も拡大し続けています。今こそ、氏の言われた「核絶対否定」の思想が多くの人々に届くことを願うのですが、世界のこの「構造」(利のシステム)は、未だ微動だにしていないように感じるのです・・・
P.S. 「バンキシャ」を観ていたら、牛の糞尿を利用して堆肥を作り、田畑に入れ、またそれを餌にするという理想的な循環(持続可能な農業)をしている人々の手によって、今度は放射能汚染された牛の糞尿から作った堆肥が汚染され、餌を汚染し、また汚染牛が生まれるという、汚染の循環が行なわれるといいます。このような皮肉で悲惨な現実を知り、畜産業、農業に真剣に取り組んでこられた方々の絶望は如何ばかりかと、暗澹たる気持ちにならざるを得ませんでした。しかしこれもまた、人為的な2次汚染となりますから、2次被害を防ぐためにも、この糞尿はきちんと処分され管理されなけれなばらないのです・・・(それにしても、食品安全委員会の安全基準が、(上限)年5mSvというのはどうなのでしょう。これで安全といえるのでしょうか?・・・)
P.S.2 「NHKスペシャル」で飯舘村が特集されていました。政府はこの地の危険性に気づいて事故から5日後には現地で放射線の測定を始めていますが、13日経ってやっと公表したとか。しかし避難地域に決まった住民説明会でも、ホットスポットでは、95,1μSv/時もの高放射線が観測されているのにも拘わらず、この放射能汚染については触れられず、具体的な避難場所や指示は出されなかったそうです。まさに無責任極まりない対応です。(怒りと涙なしに番組を観られませんでした)
番組の中で、福島市でも除染のアドバイスをし、実際に現地で行なっている元原子力委員の○○博士、「産廃」という言葉で、住民の方に当地の谷の提供を促していましたが、氏の最大の任務は、除染とその研究は勿論でしょうが、放射能汚染された土壌他、放射性廃棄物の処分場の選定と、(除染で顔を売り、現地に入って住民と共に汗をかく先生として)住民の説得を担っているようです。
放射性廃棄物処分場の重要性は言うまでもありませんが、除染を行なうのはそこに住み続けるという前提で行なうものですから、除染と同時に処分場への土地提供を持ち出すのは余りにも露骨というか無神経ではないかと思うのですが、甘いのでしょうか・・・差別的な私としては、やはり最早50年、100年と帰ることの出来ない20キロ圏内の土地を買い上げて、そこに処分場を造るべきだとい思います。関東圏の汚染汚泥や福島市の除染土壌も全て(焼却は駄目です)、そこに持ち込むべきだと思います。放射能汚染物質を1箇所に集めて、厳重に管理することが何より肝要なのです・・・(その意味では、ガレキを川崎市に移動させて、焼却することはその真反対、放射性物質の2次的、3次的拡散(飛散)に結び付けるものであって、断固反対です・・・)