プルサーマル計画を憂慮する有志の会

愛媛県伊方発電所3号機におけるプルサーマル発電の問題を考える有志の会です。

ハイチ共和国の今

2011年01月24日 | 日記
 NHKのETV特集「ハイチのマザーテレサ」を観ました。(以下その要約です)

1年前未曾有の大地震がハイチを襲いました。その復興の緒につき始めた昨年10月、ハリケーンが襲来しました。そして、コレラの流行、3,800人が死亡し18万人が感染したそうです。どん底の生活の民衆に、次々と襲う災害、悲劇、そしてさらに、大統領選をめぐる不正と、混乱、暴動と、ハイチはまさに地獄絵図のような様相です。

こうしたハイチに修道女として渡って24年、医療活動に奉仕する一人の日本人女医、須藤シスターがおられます。マラリヤやエイズ、デング熱で多くの死者が出、欧米の200倍という感染者がいる結核が、文字どおり「死の病」として厳然としてある貧しき国において、しかも薬も医療機器もベッドもない状況の中、病院を建て、医療に身を投じてこられた須藤シスターですが、大地震がその病院もろともハイチのインフラを全て薙ぎ倒してしまいました。

そして崩れ落ちた国立結核療養所の復興計画が、イタリアのNGOやスイスの赤十字の参加そして、ハイチ保健所の参加の下立てられるのですが、その計画は須藤さんが当初目指したものから、いつの間にか莫大な金が必要な計画へとすり替えられ、現場の要望からはほど遠い内容となってしまい、頓挫してしまいます。(多分、ハイチ政府が他国からの援助をもとに、国内の建設会社に受注させて儲けようとしたのでしょう)

 かつてハイチは、殆どの国民が農民で、農業で生活できる国だったっそうですが、(経緯や内容は知りませんが)軍事政権樹立後、国連の経済制裁を受け、農地は荒廃、農民は都市へと追い遣られ、スラム化したといいます。須藤さんは、国の再建には農業の復興は必要だと、農業学校の設立を目指し、土地を用意したのですが、その土地には被災した難民で溢れる現状です。

 まだまだ復興への道は険しい状況で、1人奮闘する須藤シスターは、もう二度と日本には戻らない覚悟で、このハイチの復興に身を投げ出しておられるとのことでした。番組を見た正直な感想としては、孤軍奮闘の高齢のシスターには申し訳ないのですが、どうにもならない、という暗澹たる気持でした。まあ、私のような無力な(そして罪深い)者に、シスターは何も求めてはおられないでしょうが・・・

 世界からは見捨てられたこの国を、須藤さんは見捨てないのだ、そして淡々と力を尽くす、誰もができることではないと思いました。須藤さんはまた、多くの方と一緒に考え、今の状況を切り抜けていきたいと、1人ではできないことだと、言われていましたが、ハイチの復興に、1人でも多くの方の関心が集まるようにと、ただ祈るだけです・・・

P.S. 悲惨な状況の他国を見る度に思うのは、一つは「構造的貧困」であるということ、そしてそれは「構造的暴力(差別)」であるということです。そのシステムのなかでは、日本は「100人村の1人」であるということ、つまり支配し、差別し、抑圧する側であるということです。その罪深さにいつも呻吟し、罪悪感を感じ、憂鬱な気持ちから抜け出すことはできません。かと言って、シスターのように身を投げ出して、人のために尽くすほどの信念も信仰も持っていはいません。まさに中途半端で哀れな人間です。そんな自己憐憫に陥っている私にも、優しく語り掛けてくれるのは、マザー・テレサだけです。実は日本にも様々な「内戦」は存在し、傷付いた多くの被災者(被害者)が溢れていることを、マザーは知っていたと思います。そして何より、私たちの「心の飢餓」を「魂の貧しさ」を誰よりも理解し、慰撫の心で、そして「愛語」でもって今も語り掛けてくれているのです・・・

P.S. マザーならどうされるだろうかと、このハイチのことを妄想しました。多分マザーなら、何も特別なことはせず、ただ、目の前の患者のみに心を捧げることでしょう。そして巨大な瓦礫の山のひとかけらの石を、その皺々の手で拾い上げ、また拾い上げ、テントを一つ、また一つと設置し、淡々と患者に向き合い続けることでしょう・・・たとえ、それでは復興からは程遠いと批判されても、ただ1人、ただ1人の手を優しく握り締めながら・・・