10月連休の1日と先日の日曜日に秩父へ出かけ、秩父34観音霊場の内12の札所を回
ってきました。秩父34観音霊場は、西国33観音霊場と坂東33観音霊場とともに、日本
100観音霊場として昔から庶民に親しまれた霊場巡りです。
これまでは機会ある毎に五木寛之の百寺巡礼の寺を回ってきましたが、全国に点在する一
流の寺を訪ねる他に、昔の人々が心のよりどころとした観音様を巡り、想いを伝えて安らぎ
を得る観音霊場巡礼を体験することも必要だと思い、比較的1地域に集中している秩父34
観音霊場を巡礼しようと思い行動に移しました。
秩父34観音霊場をゆっくり徒歩で回るには、7日間(1回で5観音を巡る)必要だと言
われているので、来年の3月末を目標に34ケ所を回る計画を立てました。
今回秩父を訪れた2回とも暖かい日差しが降り注ぐ秋晴れのなか、普段運動もしていない
ことから1回で10数kmを歩くことが出来るか心配でしたが、2回とも意外と問題なく歩
くことが出来ました。
ただし、1回目の巡礼で札所1番の四萬部寺から札所2番の真福寺へ行くには山を登らな
ければならず、坂道を登るに際して、息が切れるなどちょっと大変でしたが、空気が美味し
く感じられる自然の木々中を歩くのも、また格別の喜びを感じました。
久しぶりに全身で気持ちよい汗を流しました。山頂にある真福寺に到着し、下界を眺める
と山々が青い濃淡による組み合わせで見えるとともに、ぽっかりと浮かんだ白い雲とともに
空が青と白のグラデーションでキャンバスに描いた絵画のような感じでした。
それぞれの寺の本尊である観音菩薩像を拝顔する際には、真言(十一面観音であれば、オ
ン・マカ・キャロニキャ・ソワカ)を唱えるとともに、自分の願いごとを祈念します。今回
12の寺を回りましたが、それぞれ味のある観音菩薩像でした。
個人的には、9番の明智寺(建立は建久2年(1192年)とのことです)の前立本尊如
意輪観世音像に対して親しみを持ちました。この仏像は、右手を右あごの下に添えるととも
に、顔全体を右に少し傾けており、全体的に少し色気があるようで親しみを感じました。
いままでにいろいろな仏像を拝顔してきましたが、秩父の里にある小さな寺に約800年
前から人々の願いをじっと聞きながらたたずんでいる前立本尊如意輪観世音像を見ていると、
自分の身の回りで起こる不安や安堵や希望や失望等のいろいろなことが、一瞬にしてすーっ
と消えてしまったかのような錯覚を覚えました。
また今回の巡礼の際に不思議な体験をしました。札所6番の卜雲寺と7番の法長寺を訪れ
た際にですが、背中に焼けるような熱さを感じたのと、しばらくすると今度は涼しい風が数
秒間自分に身を包み、いままでの熱さが一瞬にして消えるという体験をしました。
秩父には江戸時代の巡礼道が現在まで残されており、今回は可能な限りこの巡礼道を歩き
ましたが、これらは田圃の畦道や細い道からなっており、回りの自然の素朴さを感じながら
ただひたすらに歩き続けていたので、陽の暑さと体温の上昇で背中に熱さを感じたのかも知
れません。しかし、今思い出してもとても不思議な体験でした。
それぞれの寺で参拝した後は、御朱印を頂き次の寺に向かう繰り返しです。まだ2回の巡
礼体験ですが、初めは徒歩で予定通り回れるかといろいろ心配しました。また、寺を目指し
て歩き出した時点では、目的の場所は遠くで目に見えませんが、一歩一歩歩いていると、自
ずと目的の寺に着きます。最後の方になると、巡礼は先が見えない人生と同じだと思うよう
になりました。
継続は力なりとよく言いますが、何事も毎日の小さなことの積み重ねが、最後に大きな力
に繋がると思います。地道に進むのが最もよい方法なのだと実感した巡礼でした。合掌
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