一昨年のリーマン・ショック以来、世界の景気は後退し、日本でもデフレスパイラル現象
が生じ、多くの業界で先行きが不透明になって来ています。このような状況の中で、我々が
唯一対応できることは、節約を含めた消費を減らす行動です。
1980年代後半から始まったバブル経済の時期は、誰もが右肩上がりの状況が続く訳が
ないと思いながらも、その時の大きな流れの中で禁断の果実を味わっていたのです。何事も
金で解決がつくことから、自らの立ち位置を誤解し、あたかもその状況が相応しいものだと
思いながら、物の購入に走った時期でした。
バブル期は自分の欲しい物が何でも手に入れられたので、戦後の物が無い時期から見ると
天国のような錯覚を覚えたに違いありません。そして物を得ることで、自分は幸せだと感じ
る日本人が殆どでした。
物が無かったと言うひもじい経験をしている戦前派は、物の価値が分かるのですが、これ
らの経験がない戦後派はこの本質の点で見極めが弱いのです。また、戦前生まれの人と戦後
生まれの人の価値観が、ここで大きく変わったのではないかと思います。
このようなバブル時代に育った若者が、今は親となり子供を面倒見るようになって、今の
世の中は激変しました。何が変わったかというと、自分の子供たちにいとも簡単に物を与え、
さらに常に最善の道を選ぶようにレールを敷き、子供に選択権を与えないような育て方をし
てきたのです。
失敗を経験させない生き方が最も危険です。安全な生き方が最も危険である事に何故気づ
かないのか残念で仕方ありません。自然界の動物の育て方に見習う必要があります。
これらの背景には、常に今よりも幸せのレベルを上げることが必須だと考えているのだと
思います。というのも、今の親はバブルの時期に最もその恩恵を受けた世代であるから、自
分自身がまず現状の幸せレベルを上げたいとの想いが強いのだと思います。
常に成長することが重要だと今の世の中で言われていますが、その意味をもっと真剣に考
える必要があると思います。極端な言い方をすれば、今の親はまず自分があって、その次に
子供があるのです。昔の親は、自分よりも子供の事を考え行動していました。今の親は、行
動の順番を変える必要があるのです。
一方で今の若者を批判する事がありますが、最終的な問題は学校教育にあるとの残念な結
論がよく引き出されています。個人的には、教育は学校ではなく家庭での教育が最も重要と
考えます。
もっと言えば親が子供をきちんと教育していないことが、今の日本を弱くしているのだと
思っています。言葉を変えて言えば今の親は、こどもを教育する基本部分を持っていないの
で、子供を指導することが出来ないとも言えます。
確かに便利なものを手に入れることは大切かも知れません、また美味しい物を食べるのも
時には必要だと思いますが、最も重要なことは人間としてどのように生きるのか、何を価値
観として持って生きるのかという基本的なところが欠けていることが、不幸なことだと思っ
ています。
成長が極端に遅くなった時代の生き方として、物に執着するのではなく人間としての生き
方に執着するような方向に転換すべきだと思います。60歳を間近にしている凡夫にとって
は、日本全体が貧しかった時期を少しだけ経験しているので、物の価値もある程度分かりま
すし、それ以上に物が全てではないとの考えが染みついています。
物が中心の幸せは、飽和状態が必ず来ますが、心の幸せは飽和しません。毎日が幸せを感
じる生き方は十分に可能であることを今の親は再認識し、この考えに従って自分の子供を再
教育して欲しいと思います。
このような時代であるからこそ、もっと人間としての幸せが何かを真剣に考えてほしいと
思うのです。特に今の親の意識を変えることが、日本を変える大きな要因になると考えてい
ます。政権交代以前の大きな日本の問題であると認識しています。
凡夫の浅はかな考えで、失礼いたしました。 合掌
が生じ、多くの業界で先行きが不透明になって来ています。このような状況の中で、我々が
唯一対応できることは、節約を含めた消費を減らす行動です。
1980年代後半から始まったバブル経済の時期は、誰もが右肩上がりの状況が続く訳が
ないと思いながらも、その時の大きな流れの中で禁断の果実を味わっていたのです。何事も
金で解決がつくことから、自らの立ち位置を誤解し、あたかもその状況が相応しいものだと
思いながら、物の購入に走った時期でした。
バブル期は自分の欲しい物が何でも手に入れられたので、戦後の物が無い時期から見ると
天国のような錯覚を覚えたに違いありません。そして物を得ることで、自分は幸せだと感じ
る日本人が殆どでした。
物が無かったと言うひもじい経験をしている戦前派は、物の価値が分かるのですが、これ
らの経験がない戦後派はこの本質の点で見極めが弱いのです。また、戦前生まれの人と戦後
生まれの人の価値観が、ここで大きく変わったのではないかと思います。
このようなバブル時代に育った若者が、今は親となり子供を面倒見るようになって、今の
世の中は激変しました。何が変わったかというと、自分の子供たちにいとも簡単に物を与え、
さらに常に最善の道を選ぶようにレールを敷き、子供に選択権を与えないような育て方をし
てきたのです。
失敗を経験させない生き方が最も危険です。安全な生き方が最も危険である事に何故気づ
かないのか残念で仕方ありません。自然界の動物の育て方に見習う必要があります。
これらの背景には、常に今よりも幸せのレベルを上げることが必須だと考えているのだと
思います。というのも、今の親はバブルの時期に最もその恩恵を受けた世代であるから、自
分自身がまず現状の幸せレベルを上げたいとの想いが強いのだと思います。
常に成長することが重要だと今の世の中で言われていますが、その意味をもっと真剣に考
える必要があると思います。極端な言い方をすれば、今の親はまず自分があって、その次に
子供があるのです。昔の親は、自分よりも子供の事を考え行動していました。今の親は、行
動の順番を変える必要があるのです。
一方で今の若者を批判する事がありますが、最終的な問題は学校教育にあるとの残念な結
論がよく引き出されています。個人的には、教育は学校ではなく家庭での教育が最も重要と
考えます。
もっと言えば親が子供をきちんと教育していないことが、今の日本を弱くしているのだと
思っています。言葉を変えて言えば今の親は、こどもを教育する基本部分を持っていないの
で、子供を指導することが出来ないとも言えます。
確かに便利なものを手に入れることは大切かも知れません、また美味しい物を食べるのも
時には必要だと思いますが、最も重要なことは人間としてどのように生きるのか、何を価値
観として持って生きるのかという基本的なところが欠けていることが、不幸なことだと思っ
ています。
成長が極端に遅くなった時代の生き方として、物に執着するのではなく人間としての生き
方に執着するような方向に転換すべきだと思います。60歳を間近にしている凡夫にとって
は、日本全体が貧しかった時期を少しだけ経験しているので、物の価値もある程度分かりま
すし、それ以上に物が全てではないとの考えが染みついています。
物が中心の幸せは、飽和状態が必ず来ますが、心の幸せは飽和しません。毎日が幸せを感
じる生き方は十分に可能であることを今の親は再認識し、この考えに従って自分の子供を再
教育して欲しいと思います。
このような時代であるからこそ、もっと人間としての幸せが何かを真剣に考えてほしいと
思うのです。特に今の親の意識を変えることが、日本を変える大きな要因になると考えてい
ます。政権交代以前の大きな日本の問題であると認識しています。
凡夫の浅はかな考えで、失礼いたしました。 合掌